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1999年度 中学2年4組―3学期

1999年度  111枚目 2000/01/14

新しい年はどんなスタート

▼明日は「鏡開き」。お正月もこれでいよいよ終わりです。何人もの人から年賀状を頂きましたが、誰にも返事を出さずじまいでごめんね。前にも言ったことがあるかもしれないけど、思うところがあって僕はずいぶん前から年賀状の「習慣」を止めました。目上の方やお世話になった方や友達にも出しませんし、返事も止めました。けっして無視しているわけでも気に入らないからでもありませんので、了解して下さい。

▼新学期が始まって一週間。冬山のつどいの部屋決めは、ちょっとごたごたしましたが、せっかくの思い出作りの行事です。これからの一ヶ月、お互いが少しでも気持ちよく過ごせるように気遣いあえるよう心がけようね。

▼基礎学力テストの追試の結果が今日返却されました。二科目とも追試なしにスカッと合格した人も居ますが、残念なことに、月曜日の追々試に参加しなければならない人がまだ十一人(二科目ともは四人だけ)残りました。冬休みの過ごし方を振り返って下さい。

▼三学期は三年生の生活への「助走」でもあります。ここで気合いを入れておかないと、しんどいことになるのは目に見えてるよ。毎日コツコツ家で勉強しよって、お互いにはげましあいながら頑張っている人も四組の中にもいるようです。足の引っ張り合いはもちろんのこと、だらける自分の情けなさを「まあいいやんなあ」とお互い慰め合うだけの関係は、そろそろ「卒業」してもいいかもしれないね。

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1999年度 中学2年4組―2学期

1999年度  113枚目 2000/01/17

冬山登山になりませんように

▼この所天気がぐずつき気味ですが、それでも雪の気配はぜんぜん。流葉スキー場も「滑走不可」。このままだと、ホントに「冬山」のつどい=登山になってしまいそうです。北京では、水不足解消のために気球に薬を積んで飛ばし、雪を降らせたそうですが、そういうのを日本でもやってくれればいいのにね。

▼ともあれ、本番までもう一ヶ月ありません。体調崩さないように気を付けましょう。特に、体の硬い人は毎晩ストレッチをしておくとケガの予防に効果大。心肺機能に自信の無い人はせいぜい歩いて体を慣らしておきましょう。

▼ぼくも、一月の四日から雨の日以外毎晩、夜の九時過ぎにウォーキングをしています。三年前ならジョギングしてるところですが、今すぐそれをやると膝や腰を痛めそうなので、まず歩くことから始めました。宇治の黄蘗公園の外周コース5周を三十分程で歩くと、汗びっしょりになります。

▼天気は空の神様しだいでどうしようもありませんが、人と人との関わりは、その気になりさえすればどうにでもなります。何でもかんでも人にあわせるというのではなく、どうすることが自分も含めて、より多くの人の楽しさに結びつくかってことを考えながら、毎日を過ごしていくことが、冬山のつどいを楽しいものにしていくんだろうね。

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1999年度 中学2年4組―3学期

1999年度  114枚目 2000/01/18

感じる心、動けるからだ

▼昨日は阪神淡路大震災から五年目で、いろんなセレモニーが行われていました。みんなの親戚や知り合いの中にも、被災して大変な苦労をして、今も傷を抱えている人も居ると思いますが、世の中の多くの人の記憶からは、そうした事実が段々消えていっています。我が家の震災の名残は、地震で割れて不揃いになったままのお皿と、中身がスカスカのまま押し入れにほってある緊急避難袋ぐらいかな。

▼毎日の新聞に目を通していると、日本中、世界中で毎日どこかの誰かに災難が降りかかっています。天災は忘れた頃にやってくるなどということわざがありますが、天災に限らず「災難」って言うものは自分のすぐ近くに潜んでいてもそれに気付かないだけで、自分の「世界」に災難が顔を出さなければ、災難なんて無いものと思い込んだりしているだけかもしれません。

▼自分に災難が降りかかってこなくてよかった、と思うのは自然なことです。でも、同じ地球の上で、この同じ瞬間に傷つき、おびえ、苦しんでいる人が居ます。それに対してどれだけ敏感に反応できるかで、ぼくら一人一人の「世界」の大きさが決まるのかもしれないね。

▼「優しさ」とか「強さ」っていうのは、目に見えにくい何かに気付いたり、気付いた時に何かをしたりする力ではないでしょうか。敏感すぎると疲れますが、鈍感すぎることは人を傷付けることにもなりかねません。家の中、クラスの中、クラブの中から自分が気付くべき事できることは何か見直してみてもいいね。

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1999年度 中学2年4組―3学期

1999年度  115枚目 2000/01/19

よく見える距離

▼「世紀の変わり目」ということで、テレビでも新聞でもいろんな特集が組まれています。日本の社会はどうなるのか、人類の歴史は?とか言うのを見聞きしていると、今のこの世の中のことをいろいろ考えされることもしばしばです。

▼と同時に、短い一人の人間の一生を、どう生きたらいいのかということもあらためて考えさせられます。「何事もなさずに生きるには人生は長く、何事かをなすには人生はあまりにも短い」と昔誰かが言ったようですが、ホントにそうだなって思いませんか?

▼でもそれ以上に大変なのは、自分がしたいことを見つけ、自信を持ってそれをやり続けるって事かもしれないね。「自分のことは自分が一番よく分かってる」って思うこともあるけど、人のことはあれこれ言えても自分のことで気付かない事って案外多いかもしれません。自分の中にどんな可能性が宿っているのか見つけるのは難しいもんです。

▼何かをよく知るためには、知りものに近づくのがよい方法だと思っている人も多いでしょ。でもね、写真を撮る時のことを考えてごらん近づくとアップになって、一部分ははっきりよく見えるけど全体は分からなくなります。それと同じ事。目先のことにとらわれたず、今の自分をより知るには、自分の全身と自分が立っている場所まで見えるように、自分をちょっと離れたところから眺めてみることも必要です。ひょっとしたら一人旅に出たいお母さんやお父さんもいるかもね。

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1999年度 中学2年4組―3学期

1999年度  116枚目 2000/01/20

寒さの中で

▼昨日あたりから急に冷え込んできました。今朝は霜がそれほどきつくなかったけど、昨日の朝は雪が降ったのかと思うほど家の屋根も車のフロントガラスも真っ白に凍り付いていました。これで、山にもどっと雪が降ってくれたらいいのにね。

▼霜の降りた朝は、鉢植えのパンジーやビオラも地植えのサザンカもフローズンフラワーになっていて、何とも言えないおもむきがあります。

▼寒くなって野山にえさが減ってくると我が家にやってくる鳥の数も増えてきます。えさ台にバードケーキとひまわりの種とミカンの二つ割りを用意しているのですが、ちょっと朝遅く起きると、スズメやシジュウカラやメジロが、えさを催促するようにジュクジュクピーピー鳴き始めます。

▼のろのろ起きてえさを用意すると一番に降りてくるのはヤマガラ。僕がそばに立っていても気にせずに、ひまわりの種を一つくわえて飛び立ち、離れた小枝や植木蜂の端でカラを突ついてむいた中身を食べ始めます。次はヒヨドリ。ヒヨドリは偉そうな奴で、自分が食べてる間は他の鳥を追っ払ってえさに近づかせません。それも気にせず一番小さなメジロがミカンをついばみ始め、ヒヨドリが去った後で二十羽ほどのスズメが群がり始めます。ひとしきり食べた後、水を張った水盤(信楽で少し欠けてて二百円で買ってきた深めの皿)にメジロやスズメが飛びこんで、水浴びしている姿を見ていると心が和みます。

▼四組では、インフルエンザでぶっ倒れてしまった人も出てきました。靴箱の靴がどっかに行くという困ったことも起きました。風邪ひきかけたこの世の中を暖かく過ごしていけるよう、寒さを楽しむだけのゆとりと、励ましあえる人との関わりを大切にしたいものです。

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1999年度 中学2年4組―3学期

1999年度  117枚目 2000/01/21

一年前の自分は?

▼ついに京都の街にも雪が降り始めました。流葉スキー場は35cmの積雪で、一部滑走可能になってきました。あと60cmほど降れば、何とかスキーが出来そうです。

▼今日の国語の時間の終わりかけにも話をしましたが、後二ヶ月で三年生になるみんなには、授業や勉強(学校で習うものばかりとは限りません)に対する「姿勢」についてじっくり考える時間を一人一人で持って欲しいと思います。

▼自分が身に付けようと思うものがぼんやりしている人は、他人が真剣に何かに取り組み始めていることにも気付けません。人と比較をする必要はまったくありません。でも、お互いが足を引っ張り合うよりも、「それぞれの何か」を目指していくことを励ましあえる関係の方がずっといい。

▼今日は一冊も班ノートも中二ノートも出ませんでした。そこで、一年二組の学級通信に載せられた、勉強や授業に対する思い(HRの時間に五分間で全員が書いたそうです)の一部を紹介します。一年生の言葉に素直に向き合えるかな?

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1999年度 中学2年4組―3学期

1999年度  118枚目 2000/01/24

ゆっくりしみじみ

▼冬の個人面談を始めて一週間が過ぎました。毎日顔を合わせながら、ほとんど声を掛けられないまま半年が過ぎてしまった人も居れば、声を掛ければ注意ばかりになってしまっていた人も居ます。だからこそ、一人一人と1時間近くゆっくり顔を見ながら話が出来るっていうのは、とてもうれしいことです。(みんなはそれどころじゃないって思うかもしれないけど)ひょっとしたら、いつも一緒に暮らしている家族や友達同士でも、同じ事が言えるかもしれないね。

▼我が家でも、小言や言い合いは毎日のように飛び交っていますが、時間をゆっくりとって、何か一つのことで話をするということはとてもまれです。昨日は、ヨメさんが書かなくちゃならないレポート(「多動の自閉症児の発達と援助について」とか言うようなテーマです)があるのに考えがまとまらないから話に付き合えというので1時間ばかりそのことで話をしました。その話と関連してどんなもんかなと思うことがありました。

▼みんなは「できた」らほめられ「できなかった」ら叱られたり頑張れと励まされるって言うことは良いことだと思う?できないことでも最後までやり切るって言うことに、どれぐらい値打ちがあると思う?

▼何かができなくったって、そこに自分が居る(存在している)って言うことだけで誰かがうれしく思ってくれたり、自分が本当はやりたくなかったりやらなくてもいいって思うことをやり切って、それで本当に充実感ややり切った喜びが得られるんだろうか?

▼人と話をすると、今まで考えもしなかったことを考えたり、自分の中でぼんやりしていたことがハッキリしてくるもんです。誰かと何かを話すなら、みんなは誰と何を話したい?

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1999年度 中学2年4組―3学期

1999年度  119枚目 2000/01/26

雪景色だねえ

▼朝カーテンを開けると薄っすら吹きが積っていて、それだけで何かスガスガしく感じるのはなぜだろうね。僕の住んでいる宇治あたりではそれほど積ってもいませんでしたが、車で北に向かうにつれ、屋根にしっかり雪を積んだ車が目に付き始めきました。山科から東山に抜ける五條バイパスのトンネルあたりでは、木々の小枝が朝日に白く輝いて、とってもきれいでした。

▼ところが学校に来てみると、空席が昨日にも増して増えていてさみしいばかり。インフルエンザから復活してきた人と入れ替わりにダウンした人もいて、大変。中学の先生方も今日は5人もお休み。クラスによっては3時間目から6時間目まで自習になったようです。

▼「冬山のつどい」まであと三週間を切りました。みんなそろって元気に行けるよう、一人一人が気を付けるだけじゃなく、教室の換気や暖房の仕方など、気を配りあえることは何でもして下さい。家でも、お母さんの注意はうるさがらずに、しっかり聴くように!

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A


1999年度 中学2年4組―3学期

1999年度  120枚目 2000/02/01

ズボンの制服ってどう? 

▼今日も冷えるねえ。朝には小雪もちらついて、起きるのも大変。昼間も冷たい北風が吹いて、階段でスカート押えながら背中を丸めてるみんなの姿を見るだけで、寒さが増してきます。今日のHRの様子を見ていると「冬山」用にコートを新しく買おうと思っている人もいるようだけど、京都駅までの行き帰り以外ほとんどコートを着る場面はありません。毎日使ってるので十分です。

▼スキー場があるのは岐阜県の神岡町ですが、その町の出身で一年生の国語を担当しておられる山本先生の話では、神岡町の女子中学生の制服は京女と同じようなセーラーなんだそうですが、冬はスカートの代わりにズボンでもOKなんだそうです。ただ、十数年前は下にズボンをはいている人は少なく、足が悪くて義足だった人だけしかはいていなかったそうです。

▼冷え性の人や寒がりの人、家ではスカート絶対はかない人、いろんな人がいると思います。もし京女の制服に、ズボンバージョンがあったら、みんなはどっちを選ぶかな?

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1999年度 中学2年4組―3学期

1999年度  121枚目 2000/02/09

銀の世界に染まりたい 

▼今日の朝は、タイヤにチェーンを付けて、いつもよりずっと早く家を出たのですが、ヨメさんを学校まで送っていったりしていつもと違う道を通ったせいもあって、学校に着いたのは八時四五分。朝礼に行けずに済みませんでした。ごめんなさい。

▼来週の今頃は、もうスキーのレッスンも三講習済んでて、初めてスキーに行った人も、何とか滑れるようになってるはずです。やったことのないことにチャレンジして何かができるようになるって、とてもステキな体験です。

▼この前の入試の代休(月)の日は葛西・松井・馬崎先生と岐阜県のめいほうスキー場に足慣らしに行ってきました。三年ぶりのスキーでしたが、葛西先生の練習のお付き合いでとろとろ滑ったので帰ってからもそう体も痛くなく、これならみんなとスキー場で滑っても何とか行けそうかなって思ってます。

▼今日も欠席者四名。体調に十分気をつかって下さい。健康調査表(と懇親会の出欠確認)がまだの人は、明日忘れずに持ってきて下さい。

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1999年度 中学2年4組―3学期

1999年度  122枚目 2000/02/22

そうなって初めて学べるもの

▼冬山の最後の日から今日まで、ホントは楽しかった思い出で浮き立っていてもいいはずのクラスの中は、何やら重たい空気が垂れ込めていました。泡立つ一口のビールがこんなに重たいものだとは、これまでみんなも思っていなかったと思います。でも、今日の合同HRでビールを飲んでしまった五人が、ちゃんと自分の今の思いを話せたことで、一つのけじめができたと思います。法律=ルールを破った罪以上に、一緒に生きている仲間の気持ちを傷付けた罪に気付けたことに、とても大きな意味ありました。そして、謝っている人の姿を見て、自分の中の罪に気付いた人も多かったのではないでしょうか?

▼法律やルールは人の生活を部分的に制限するものですが、それは、力の強い者も弱い者も一つの社会で対等平等に安心して生活できるようにするためです。そして、誰にどんな責任があるのかをはっきり示すためのものです。

▼前にもこの手紙で触れたと思いますが、義務教育の「義務」は、子供の義務ではなく、未来を支える子供たちの教育を受ける権利を「親と国」が保障する義務です。未成年者の飲酒についても同じです。大正十一年に定められた「未成年者飲酒禁止法」をわかりやすく紹介すると、「@子供は酒を飲んではいけない。A親や親に代わる大人は、子供が酒を飲んだことを知った時は止めさせること。B子供に酒を売っては行けない。C子供に酒を飲ませたり売ったりした大人は千円以上一万円以下の罰金刑」となっています。法律は、子供を罰するのではなく、ちゃんと子供を保護しなかった大人を罰するのです。

▼みんなに限らず、大人の僕らも、たとえ自分が一人(あるいは小さなグループの中だけ)で生きてるつもりでも、実はたくさんの人とのかかわりの中で生きていることに気付く時があります。そのとき、自分はそこでどんな「役割」や「責任」を負っているのか考えられるってことが大切だよね。これからも、一つ一つの行事や出来事を通して、自分は「どんな場面で何ができる人なのか」を考えていって欲しいと思います。

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1999年度 中学2年4組―3学期

1999年度  123枚目 2000/02/24

正しいけれど正しくない 

▼昨日はちょっと学校からの帰りが遅くなって、つかれたーと思いながら家のドアを開けてリビングに行くと、ヨメさんがもっとくたびれた顔をしていて「オカブーモ」のあいさつ。中2の息子がまた学校でやらかしたわけ。

▼息子の学校では、授業中騒がしい状態がずっと前から続いていて、クラスでどうにかしようという話が出ては、それがなし崩しになってごたごたしていたようです。で、この前のHRで「授業中に騒ぐ人が出たら、罰として教室の窓を開ける」という「ルール」(もう一つこのル−ルにどんな意味があるのかわからんのですが、頭を冷やせって言うことなんでしょうかね)ができたそうです。

▼で、昨日のある授業の時、また教室が騒がしくなったのに、「窓を開ける役」の人が窓を開けなかったそうです。うちの息子は授業が終った後、その「役」の子の所に行き、「何で窓を開けへんかったんや」相手は「そんなにうるさくなかった」の言い合いになり、相手が出したパンチが顔に当たって「キレタ」息子は相手をバックドロップで投げ倒し、床に頭をしたたかぶつけた相手は保健室行き。夜、担任の先生がやってきてヨメさんに事情を話し、ヨメさんが息子を連れてその子の家まで謝りに行ってきたそうです。

▼息子の言い分は「ルール違反を注意したのに聞かずに手を出してきた相手が悪い。投げ飛ばしたのは正当防衛だ」それに対してヨメさんは「ルールを守るのも注意するのも正しいけど、暴力を使って人を傷付けるのは大間違い。頭打っただけですんで、相手も分かってくれたからいいものの、一つ間違って首の骨でも折ってしまってたらどうするの!」

▼最近遅刻(ルール違反)しがちだった息子は、今朝はいつもより早めに家を出て行きました。社会の中で暮らすのは、大人にとっても子供にとっても結構大変なものです。被害者になるのは嫌だけど、加害者にはもっとなってほしくありません。だからこそ、どんな時に、何をどうしたらいいのか、「解る力と出来る力」の両方を育てていくことが大切なんだろうね。シミジミ……

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1999年度 中学2年4組―3学期

1999年度  124枚目 2000/02/25

離せる離せない

▼目の前の何かをつかもうとする時、たいてい手を使います。ところが、その時両手に別の物を持っていたとしたら、持っているものを手放さなくてはなりません。それって、あたり前で簡単そうな話なんだけど、実際は結構難しいもんがあるんだよね.

▼多くの人は思いもよらないことが起こった時、気絶でもしない限りマンガやドラマの一場面のように持ってたものを放り出したり落としたりするってことは少なくて、たいがいは思わず身が固く縮まって、持ってるものをぎゅっと握り締めるものです.

▼前もって心の準備も出来ないまま、突然ある出来事に出くわした時、今持ってるものを手から離して新しいものをつかみ取るのか、今あるものをしっかり握り締めたまま見過ごすのか、その選択がその人それぞれの個性だったり限界だったりするかもしれません。

▼自分がこれまで持っていたものの中には、生まれた時から持ち続けてきたものもあれば、親や周りの人から大事に持っていなさいといって持たされてきたものもあるだろうし、自分でコツコツ集めてきたものもあるだろうね.

▼でも、一人の人が両手で持てる分量には限りがあります。「今」自分が手に持つべき物は何か?ちゃんと落とさないようにしっかり持つことも大切ですが、時には持ってるものをあっさり離して、思い切りよく新しいものをつかむってことも大切なんじゃないかなって思わない?
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1999年度 中学2年4組―3学期

1999年度  125枚目 2000/02/26

助走を始めない?

▼来週は中二最後の授業の週です。だからどうだって言うの?って言う受け止め方も出来るけど、新しい学年で今までと違った何かをつかみたい、これまでの自分以上の何かを見つけたい、今の自分の何かを変えたいって思っている人にとっては、一つの節目になるんじゃないかな。

▼春休みになってからとか、三年生になったらとか踏み切る場所を先に決めても、その場所に立った時から始めたのでは思ったほどに飛躍することは出来ません。立ち幅跳びと走り幅跳びで、とべる距離が違うのは、助走の勢いが有るか無いかによるんだよね。遠くに跳んでいきたければ、その分だけ助走で加速して、今まで立っていた地面を思いっきり蹴るってことが大切です。

▼何かの終わりは何かの始まりです。「今」自分が立っている場所と立っている自分をしっかり見つめること。「今」向かおうとしている先をしっかり見つめること。「今」できることを今からやり始める事が飛躍のための助走なんじゃないかな。「テスト前の一週間」じゃなく、自分が飛び立つための一週間にして欲しいと思います。

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1999年度 中学2年4組―3学期

1999年度  126枚目 2000/02/29

足したり引いたり

▼今日は閏年の二十九日。一年の日数を合わせるために四年に一度一日足すんだけど、西暦が百で割り切れる年は増やさない事になっていて、その上四百で割り切れる年はやっぱり増やす事になっているので、四でも百でも四百でも割り切れる二千年の今年は一日増やして二十九日まで。四百年に一度の特別な日ってわけ。でも、「増えようと減ろうと、どんな理屈があろうと、私の生活には何の関わりも無い」って思う人が多いだろうね。

▼勉強も同じように思ってる人もいるだろうね。日常生活で使う「算数」なら、せいぜい七桁の整数の掛け算割り算と、分数がチョットできれば十分。計算が早くて正確って言うのは算数の世界。これは電卓やコンピュータにまかせてもいいかもしれない。日頃使わないややこしい「数学」の証明問題や角度や割合を出す問題なんて解けなくったっていいかも。

▼でもね、決まった答えを「当てる」だけの勉強が数学ではないはず。物事を順序立てて考えたり、問題を解決するための道筋を見つけたり、どうやって解決するか根気よく考え続ける力は、数学の勉強を通してとっても身につくもののはず。

▼もしみんながこれまで知られていない未知の世界を発見したり、解決されていない問題を解いたりする仕事、って言うより人生を歩もうとするなら、数学も芸術も同じように意味あるものに見えてくるはずです。

▼「自分が知りたいものを見つけていくため」の力を、毎日の授業で貯えていけるような勉強ができたらいいね。テストに追われ、どっかに入学するためだけの勉強は疲れるばっかりじゃない?

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B


1999年度 中学2年4組―3学期

1999年度  127枚目 2000/03/01

水と油

▼我が家では上の息子を除いた三人が太り過ぎなのと、部屋が片付かずに汚れっぱなしなのが大きな課題。「らくらくシェイプアップ」「物が少ないすっきりした生活」なんて言う見出しが躍る雑誌をテーブルに積み上げているうちのヨメさんが、最近またまた買いこんできたのが「体脂肪計付き体重計」とナショナルの「電気ホウキ」。さっそく四人の身長と体重を機械にセットして乗ってみると、僕の体脂肪率は26%。

▼昔、理科の授業で人間の体重の70%近くは水だって習ったような記憶があるんだけど、僕の場合70%が水で26%が脂肪だとすると骨やお肉や脳みそはたったの4%か?世の中や自分の事にあれこれ思いを巡らし悩んでいる僕は、ただの水と油のかたまりだったとのだ、と思うと、何だか力が抜けてしまいました。

▼電気ホウキの方は結構手軽に床のゴミを吸い取ってくれるのですが、6時間充電して動いてくれるのはたったの15分。ヨメさんに言わせれば、「ちょっとそこらをきれいにするだけなんだから15分動いてくれれば十分」という事なんだけど、そんな程度なら今までの掃除機で十分ちゃうの?と息子に言われています。

▼昨日と今日と言ってる事が違ったり、言ってる事とやってる事が矛盾したり、そんな他人や自分の姿にイライラする事が多いけど、人間自体が「水と油」でできてんだからしょうがないのかもしれないね。でも、あんまりそれがひどい時は、体ごとドレッシングのビンみたいにシャカシャカ振ってみるのもいいかもしれません。

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1999年度 中学2年4組―3学期

1999年度  128枚目 2000/03/03

生きる「もし、…たら…」 

▼「もしあの時こうしていたら、今頃こんなことにはなっていなかったのに」って思う事はよくある事かもしれないね。でもね、済んでしまった事はどうしようもありません。後悔したり反省したりする事は大事な事ではありますが、後ろを見ているだけでは何も始まらない。何が問題だったのかをつきとめたら、後は、「今、何をするか」しか残らないよね。

▼人は一人で生きているわけではないから、失敗も成功も何か・誰かとの関わりの中でしか生まれません。だから、終わったことに対して「もし、…たら…」を思うんじゃなくって、今現在進行中の、この瞬間の何か・誰かと自分を置き換えて考えるための「もし、…たら…」を思ってみるのは意味がある。「もしそれをしているのが私だったら」「もしそれをされているのが私だったら」「もしそれをする事に私がなったら」

▼立場を入れ替えて考える事のできる想像力。想像力は力です。力は優しさを支えてくれます。優しさは勇気を産みます。勇気は夢を現実にします。どこかの誰かの事と突き放す前に、私だったらって考える事ができた時、何かが始まるって思いたいもんです。

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1999年度 中学2年4組―3学期

1999年度  129枚目 2000/03/04

終わりは誰が決めるもの? 

▼今日で二年生最後の授業が終わりました。でも、それは形の上で終わっただけなのかもしれないね。何かの始まりも終わりも、自分以外の学校や社会が勝手に決めてしまうように見えますが、本当は、始まりも終わりも自分で決めるものなんだと思わない?

▼たしかに授業は終わったけど、みんな一人一人は、二年生のはじめや京女に入学したはじめに、何を「始めよう」って思ったんだろうね。そして、どこまでできたら「一応終わり」って考えてきたんだろう。もし、何となく新学年が始まっただけで、何となく今日を迎えたんだとしたら、それは終わったどころか、まだ始まっていないのかもしれません。

▼今日から三十五日後に三年生の授業が始まります。もし、自分は今もまだ始まっていないと思う人、始まりはしたけど終わっていないと思う人は、自分なりの一つの区切りを付けて、三年生の始業式を迎えられるようにして欲しいと、切に願っています。自分がやり始めた時が始まりの時、あきらめた時が終わりの時。与えられるのではなく、自らつかみ取ることを学んで下さい。

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1999年度 中学2年4組―3学期

1999年度  130枚目 2000/03/18

タイやヒラメもいいけれど

▼この手紙も今日で終わりです。最後「らしい」ことを書こうかと思いましたが、それは僕らしくなさそうなので、いつも通りで終わろうかと思います。

▼去年から今年にかけて動物占いが流行ってました。それによると、僕はコアラなんだそうで、ユーカリの葉っぱは食べたことないけど、下腹あたりの肉付きを見るとしっかりコアラになってるようです。今日の晩からウォーキングを再開し、新学期からは三年ぶりの自転車通勤にもどせたらと思っています。

▼ところで、あの動物占いは、鳥も魚も虫も動物なのに、なぜ四つ足の動物ばかり出てくるのでしょう。スズメやカメやイソギンチャクがいてもよさそうだと思わない?うちのヨメさんは、「サナダムシみたいに寄生してやる」とか、「一生コバンザメみたいに引っ付いとくし」とか勝手に言ってますが、僕はサメになった覚えは一度もありません。みんなは魚になるとしたら何になりたい?

▼春の小川で、先頭の一匹が右を向いたら一斉に右、左を向けば左に向く集団行動好きのメダカになりたい?スズキ→イナダ→ハマチ→ブリと成長につれ名前を変える上昇志向の出世魚がいい?日本では高級魚の代表はタイ。「腐ってもタイ」なんて言うような、誇り高い魚がいい?

▼高級魚の中には竜宮城でタイと一緒に踊っているヒラメもいるね。身は白くって刺身にするとおいしいけれど、海の底で這いつくばって上ばかり見ています。自分より強い人や上の立場の人のことばかりを気にして得をしようとしてる人をヒラメって呼んで、さげすむ言い方もあるけど、結構いるよね、そういう人って。

▼僕は赤身のマグロや白身の高級魚より、背の青いサバがいいな。焼津直送の太平洋のサバもおいしいけど、小浜で捕れた日本海産の五十aクラスのサバの塩焼きは絶品です。お弁当のおかずになる小ぶりな味噌煮もいいし、生姜を添えた酢締めの薄切りは酒の肴にピッタリ。昆布のだしが染み込んだサバの生寿司は大好物です。青い魚は生臭さが気になったり、人によってはアレルギーが出るようだけど、そんな癖の強さも僕は好きです。

▼世の中には、何が良くって何が悪いって言う「常識」みたいなもんがあります。人を脅したり、だましたり、傷つけたりするのは誰がどう考えたっていけないことだけど、自分がどんな人間になりたいかって言うことを考える時、世の中の「高級」にばかり目を奪われてしまうと、自分を見失いかねません。いくらブランド品を身にまとっても、それはブランド品を買うお金を持っていることの証明でしかない場合もあります。どの大学を出たか、どんな職業についているのかってことも、同じなんじゃないかな。


 自分の素顔を見たことある?

▼昨日卒業した三年生の一人と、この前しゃべっていてなるほどって思ったことがあります。その子は眉毛を細くして、目の周りにちょっぴり色を塗ってる子なんだけど、僕が「その目はどないしたんや?」って聞くと、「これが私の素(ス)です」って答えてました。もちろんそれは「嘘」なんだけど、でも、それは「本当」なのかもしれないなって思いました。

▼生まれた時から持っている自分の姿、お母さんやお父さんに育てられてきた(作られてきた)姿に手を加えて、「今までと違う自分になりたい自分」をお手軽に実現しているのが、その化粧した顔だとするならば、それは彼女の心をそのまま表現した、彼女の「素顔」なのかもしれません。

▼髪を染めることも、化粧をすることも、京女の中学校でも高校でも「禁止」です。それでもルールを破るのは、「決められたこと」に縛られたくないって言う思いがあるのかもしれません。昔から「左は長髪・右はスキンヘッド」の定説があるように、髪をいじるのは、わかりやすい自己主張の一つです。(わからない人はお父さんに聞いて)それとは別に、自分の「素顔」に自信が持てなくって、ヨロイのように化粧をする人もいるかもしれません。一見変化の見られない窮屈な生活の中に「遊び」を求めている人もいるかもしれません。

▼ルール破りが悪いってことはハッキリしてます。それは学校でも社会でも一緒です。だからこそ「今、自分は、何をしているんだろう」ってことを、自分の頭で考え、自分の心に耳を澄まして聴くってことが大切なんじゃないかな。自分の素顔って、案外見つけにくいし、見つけても受け入れるのが大変なのは、子供も大人も一緒です。

▼二ヶ月後の今日、五月十八日は、もう北海道の研究旅行からも帰ってきています。京女生史上初の北海道旅行。歩いたことのない土地で、新しいクラスの新しい人との関わりの中で、 いっぱいの思い出を作ってくれることを願ってます。

▼四ヶ月後の七月十八日は、夏休みを迎える日。中学最後の夏の思い出をどう作りたい?体育系のクラブでは、最後の試合に挑戦する人たちも多いだろうね。

▼六ヶ月後の九月十八日は体育祭の前日。みんなは一・二年生を引っ張って、どんな応援演技を作るのでしょう。七ヶ月後の十月十八日には文化祭も終わっています。演劇?展示?これまでの最高傑作を、クラス全員の手で作ってみたいと思わない?

▼八ヶ月後には二回目の実力テストを受け、十一月の終わりに、京女の高校に行くのか、よその高校に行くのか、京女に行くならT類なのかU類なのかを決める予備調査の提出期限がやってきます。一人一人が自分を見つめ直し、自分自身で自分の道を見つけていくには、地道な努力が必要なだけじゃなくって、孤独に耐える力も必要になるかもしれません。

▼十ヶ月後には、自分が受ける高校の願書を提出し、十一ヶ月後には受験。そして十二ヶ月後の今日、みんなはこの中学校の生徒ではなくなっているのです。その日、二年四組の全員が、京女の中学に来て良かった、いろんなことがあったからこそ充実した日々だったと満足して卒業し、自信を持ってそれぞれの道を歩んで行ってくれることを心から願っています。 


御礼申し上げます

▼最後になりましたが、四組の保護者の皆様には、様々にご支援頂き、ありがとうございました。お嬢さん方とは精一杯向き合うことに努めてまいりましたが、なお、いたらない点は多々あります。今後とも、クラスを離れましても、変わらぬご支援ご協力よろしくお願いいたします。

▼百三十枚の手紙、ご愛読ありがとうございました。
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