新しい年はどんなスタート |
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冬山登山になりませんように |
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感じる心、動けるからだ |
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よく見える距離 |
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寒さの中で |
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一年前の自分は? |
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ゆっくりしみじみ |
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雪景色だねえ |
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ズボンの制服ってどう? |
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銀の世界に染まりたい |
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そうなって初めて学べるもの |
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正しいけれど正しくない |
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離せる離せない ▼目の前の何かをつかもうとする時、たいてい手を使います。ところが、その時両手に別の物を持っていたとしたら、持っているものを手放さなくてはなりません。それって、あたり前で簡単そうな話なんだけど、実際は結構難しいもんがあるんだよね. ▼多くの人は思いもよらないことが起こった時、気絶でもしない限りマンガやドラマの一場面のように持ってたものを放り出したり落としたりするってことは少なくて、たいがいは思わず身が固く縮まって、持ってるものをぎゅっと握り締めるものです. ▼前もって心の準備も出来ないまま、突然ある出来事に出くわした時、今持ってるものを手から離して新しいものをつかみ取るのか、今あるものをしっかり握り締めたまま見過ごすのか、その選択がその人それぞれの個性だったり限界だったりするかもしれません。 ▼自分がこれまで持っていたものの中には、生まれた時から持ち続けてきたものもあれば、親や周りの人から大事に持っていなさいといって持たされてきたものもあるだろうし、自分でコツコツ集めてきたものもあるだろうね. ▼でも、一人の人が両手で持てる分量には限りがあります。「今」自分が手に持つべき物は何か?ちゃんと落とさないようにしっかり持つことも大切ですが、時には持ってるものをあっさり離して、思い切りよく新しいものをつかむってことも大切なんじゃないかなって思わない? |
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助走を始めない? |
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足したり引いたり |
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水と油 |
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生きる「もし、…たら…」 |
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終わりは誰が決めるもの? |
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タイやヒラメもいいけれど ▼この手紙も今日で終わりです。最後「らしい」ことを書こうかと思いましたが、それは僕らしくなさそうなので、いつも通りで終わろうかと思います。 ▼去年から今年にかけて動物占いが流行ってました。それによると、僕はコアラなんだそうで、ユーカリの葉っぱは食べたことないけど、下腹あたりの肉付きを見るとしっかりコアラになってるようです。今日の晩からウォーキングを再開し、新学期からは三年ぶりの自転車通勤にもどせたらと思っています。 ▼ところで、あの動物占いは、鳥も魚も虫も動物なのに、なぜ四つ足の動物ばかり出てくるのでしょう。スズメやカメやイソギンチャクがいてもよさそうだと思わない?うちのヨメさんは、「サナダムシみたいに寄生してやる」とか、「一生コバンザメみたいに引っ付いとくし」とか勝手に言ってますが、僕はサメになった覚えは一度もありません。みんなは魚になるとしたら何になりたい? ▼春の小川で、先頭の一匹が右を向いたら一斉に右、左を向けば左に向く集団行動好きのメダカになりたい?スズキ→イナダ→ハマチ→ブリと成長につれ名前を変える上昇志向の出世魚がいい?日本では高級魚の代表はタイ。「腐ってもタイ」なんて言うような、誇り高い魚がいい? ▼高級魚の中には竜宮城でタイと一緒に踊っているヒラメもいるね。身は白くって刺身にするとおいしいけれど、海の底で這いつくばって上ばかり見ています。自分より強い人や上の立場の人のことばかりを気にして得をしようとしてる人をヒラメって呼んで、さげすむ言い方もあるけど、結構いるよね、そういう人って。 ▼僕は赤身のマグロや白身の高級魚より、背の青いサバがいいな。焼津直送の太平洋のサバもおいしいけど、小浜で捕れた日本海産の五十aクラスのサバの塩焼きは絶品です。お弁当のおかずになる小ぶりな味噌煮もいいし、生姜を添えた酢締めの薄切りは酒の肴にピッタリ。昆布のだしが染み込んだサバの生寿司は大好物です。青い魚は生臭さが気になったり、人によってはアレルギーが出るようだけど、そんな癖の強さも僕は好きです。 ▼世の中には、何が良くって何が悪いって言う「常識」みたいなもんがあります。人を脅したり、だましたり、傷つけたりするのは誰がどう考えたっていけないことだけど、自分がどんな人間になりたいかって言うことを考える時、世の中の「高級」にばかり目を奪われてしまうと、自分を見失いかねません。いくらブランド品を身にまとっても、それはブランド品を買うお金を持っていることの証明でしかない場合もあります。どの大学を出たか、どんな職業についているのかってことも、同じなんじゃないかな。 自分の素顔を見たことある? ▼昨日卒業した三年生の一人と、この前しゃべっていてなるほどって思ったことがあります。その子は眉毛を細くして、目の周りにちょっぴり色を塗ってる子なんだけど、僕が「その目はどないしたんや?」って聞くと、「これが私の素(ス)です」って答えてました。もちろんそれは「嘘」なんだけど、でも、それは「本当」なのかもしれないなって思いました。 ▼生まれた時から持っている自分の姿、お母さんやお父さんに育てられてきた(作られてきた)姿に手を加えて、「今までと違う自分になりたい自分」をお手軽に実現しているのが、その化粧した顔だとするならば、それは彼女の心をそのまま表現した、彼女の「素顔」なのかもしれません。 ▼髪を染めることも、化粧をすることも、京女の中学校でも高校でも「禁止」です。それでもルールを破るのは、「決められたこと」に縛られたくないって言う思いがあるのかもしれません。昔から「左は長髪・右はスキンヘッド」の定説があるように、髪をいじるのは、わかりやすい自己主張の一つです。(わからない人はお父さんに聞いて)それとは別に、自分の「素顔」に自信が持てなくって、ヨロイのように化粧をする人もいるかもしれません。一見変化の見られない窮屈な生活の中に「遊び」を求めている人もいるかもしれません。 ▼ルール破りが悪いってことはハッキリしてます。それは学校でも社会でも一緒です。だからこそ「今、自分は、何をしているんだろう」ってことを、自分の頭で考え、自分の心に耳を澄まして聴くってことが大切なんじゃないかな。自分の素顔って、案外見つけにくいし、見つけても受け入れるのが大変なのは、子供も大人も一緒です。 ▼二ヶ月後の今日、五月十八日は、もう北海道の研究旅行からも帰ってきています。京女生史上初の北海道旅行。歩いたことのない土地で、新しいクラスの新しい人との関わりの中で、 いっぱいの思い出を作ってくれることを願ってます。 ▼四ヶ月後の七月十八日は、夏休みを迎える日。中学最後の夏の思い出をどう作りたい?体育系のクラブでは、最後の試合に挑戦する人たちも多いだろうね。 ▼六ヶ月後の九月十八日は体育祭の前日。みんなは一・二年生を引っ張って、どんな応援演技を作るのでしょう。七ヶ月後の十月十八日には文化祭も終わっています。演劇?展示?これまでの最高傑作を、クラス全員の手で作ってみたいと思わない? ▼八ヶ月後には二回目の実力テストを受け、十一月の終わりに、京女の高校に行くのか、よその高校に行くのか、京女に行くならT類なのかU類なのかを決める予備調査の提出期限がやってきます。一人一人が自分を見つめ直し、自分自身で自分の道を見つけていくには、地道な努力が必要なだけじゃなくって、孤独に耐える力も必要になるかもしれません。 ▼十ヶ月後には、自分が受ける高校の願書を提出し、十一ヶ月後には受験。そして十二ヶ月後の今日、みんなはこの中学校の生徒ではなくなっているのです。その日、二年四組の全員が、京女の中学に来て良かった、いろんなことがあったからこそ充実した日々だったと満足して卒業し、自信を持ってそれぞれの道を歩んで行ってくれることを心から願っています。 御礼申し上げます ▼最後になりましたが、四組の保護者の皆様には、様々にご支援頂き、ありがとうございました。お嬢さん方とは精一杯向き合うことに努めてまいりましたが、なお、いたらない点は多々あります。今後とも、クラスを離れましても、変わらぬご支援ご協力よろしくお願いいたします。 ▼百三十枚の手紙、ご愛読ありがとうございました。 |
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