誰にもわかってもらえない私をわかってあげられるのは私だけ。友達なんてうわべだけ。恋人(もともとそんな人いないけど)なんて面倒なだけ。私は誰にもじゃまされないで、ただ一人この闇の中で夢を見る。


もう2月半ばになっていた。戻ってきた模擬試験の結果は散々だったうえ、いっしょに受けたかおりは、自分よりずっと成績がよかった。むなしくガランとした心には、通りかかる家々のカーテンからもれる光も、揚げ物の香も、ピアノの音色も、何かよそよそしく遠いものに感じられた。

いつもの曲がり角に近付いた時、寒々とした街燈の明かりの下に、白いものが浮かび上がっているのに気づいた。はじめはネコかと思ったが、それは道の真ん中にきちんとそろえて置かれた、1足のスニーカーだった。友香里はゆっくり歩調をゆるめながらそこに近付いた。そして自分の影がその靴の上にかかった瞬間、友香里の口から自分でも思いがけない言葉が飛び出した。

「飛び上がり自殺したんだ。」

友香里は、飛び降り自殺する人が靴を脱ぎ、その下に遺書めいたメモを置く場面をテレビで見るたびに、なぜ自殺者は靴を脱ぐのかとぼんやり気にかかっていた。そのわけに、いま気付いてしまったのだ。

この世で希望を見つけられなくなって、この世と自分に絶望してしまった人の本当の望みは、死ぬことじゃない。ここ≠ナかなえられない望みをどこか違う世界でかなえることなんだ。ビルの屋上や断崖絶壁に立って、はるかな世界に鳥のように飛び立とうとするんだ。この地上で靴は必要でも、空の彼方の世界に靴はいらない。でも、ほとんどの人は飛び上がり自殺に失敗して墜落し、体は地上にたたきつけられ、悲しいことに死んでしまうんだ。じゃあ、もしここ≠ゥら、道の真ん中で飛び上がり自殺をしてみたらどう。そうよ、この人と同じように。私だって。

友香里は素早く辺りを見回しカバンを置くと、街燈を背に空を見上げた。そして、ゆっくりと息を吸い込み、自分にささやきかけるようにまたたく小さな星に向かって両腕を挙げ、願いをつぶやこうとした。

「私の願いは……。ちがう、そうだったのよ。私の本当の望みは……。」

友香里は言葉に詰まった。そして、地上に突っ立っていた。空に向かって差し出した手に、長い息が白くかかった。冷たいほほに伝う涙が熱かった。友香里は、涙をぬぐいながら下ろした手で、カバンを拾い上げた。アスファルトにへばりついている自分の影を引き連れながら角を曲がった。

家にはいつもと同じように母がいて、ドアを開けるなり試験の結果を問いただした。

「ねぇ、何番だった?ちょっとは上がった?」
「もうそんなことどうでもいいの。」
「何言っているのよユカ。ユカ、あなた泣いてるの?そんなに悪かったの?」
友香里は何も答えず、そっと2階に上がり、窓辺の机に向かうと、日記帳を取り出しペンを走らせた。

今まで見えなかった人たちが見える。公園のベンチに、満員電車に、私の教室に。
飛び上がり自殺に失敗した人たち。
飛び上がることを止めた人たち
      人という字

人という字は二人の人が支え合っている姿だ。
右は短く左は長いが
確かにそこに二人いる。

人という字は二人の人が支え合っている姿かしら。
右は支えているけれど
左は支えられているだけだもの

右が重みに耐えかね左を捨てた。
左は一になり
右は1になった。

形が違う。
力が違う。
二人だから人になれる。




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