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死の詩の部屋へもどる

 



        まっすぐな道でさみしい




        どうしようもないわたしが歩いてゐる




        焼き捨てゝ日記の灰のこれだけか




種田山頭火(正一)は1882年12月3日、山口県防府市で大地主の長男として生まれる。

11歳の1892年3月、父は複数の妾を抱えて放蕩し、母フサは自宅の井戸で投身自殺。

23歳で神経衰弱章と診断され早稲田大学を中退後、職を転々とする。

28歳で結婚して一男をもうけたが、39歳で離婚。

37歳の1918年6月、養子に出された後義絶させられていた弟二郎が、岩国愛宕山中にて縊死。




    暑さきはまる土に喰ひいるわが影ぞ




    またあふまじき弟にわかれ泥濘ありく




43歳の1924年12月、酒乱の果てに市街電車に飛び込み自殺未遂。その後禅門に入り放浪を重ねる。




    分け入っても分け入っても青い山




    捨てきれない荷物のおもさまへうしろ



    蝉時雨死に場所をさがしてゐるのか




    うしろすがたのしぐれてゆくか




54歳の1935年8月、カルモチンの大量服用で自殺未遂。




    死ぬる薬を掌に、かゞやく青葉




     何を求める風の中ゆく




    この旅死の旅であらうほほけたんぽぽ




    ほろほろほろびゆくわたくしの秋




    おちついて死ねさうな草枯るる




    おもひでがそれからそれへ酒のこぼれて




59歳の1940年12月11日、泥酔の果てに転倒して脳溢血で絶命。




辞世の句


   もりもりもりあがる雲へ歩む





渡辺利夫「種田山頭火の死生 ほろほろほろびゆく」より


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