Top Pageへ戻る

考えるヒントのお蔵  生と性と聖の棚  第4番
涙の谷の文学者

「子どもより、親が大事と思いたい」という有名な一節ではじまる太宰治の小説『桜桃』は、太宰の命日の名にも残る小品です。しかし、その本当の書き出しは「われ、山にむかいて、目を挙ぐ。」という旧約聖書の詩篇第121「都に上ぼる歌」の冒頭です。

それは、口語の聖書『新共同訳 聖書 旧約聖書続編付き 』(日本聖書協会 4600円)では次のように綴られています。

目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。
わたしの助けはどこから来るのか。
わたしの助けは来る  天地を作られた主のもとから。
どうか、主があなたを助けて 足がよろめかないようにし まどろむことなく見守ってくださるように。

(以下略)

そして、『桜桃』の中で、主人公に一番汗をかくのはどこか?内股か?と問われた妻が答える台詞が

「この、お乳とお乳のあいだに、……涙の谷、……」です。

この「涙の谷」もまた、旧約聖書の詩篇第84に出てきます。ただ、「涙の谷」と表現されているのは文語訳聖書で、口語訳聖書では「嘆きの谷」(あるいはバカの谷)と表現されています。今売られている聖書で、いくら「涙の谷」を探しても出てきません。

詩篇第84の6・7節は、次のような主と共にいる喜びの賛歌です。

いかに幸いなことでしょう  あなたによって勇気を出し 心に広い道を見ている人は。
嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう。
雨も降り、祝福で覆ってくれるでしょう。

『小型版 新共同訳  聖書辞典』(キリスト新聞社 2400円)によれば、この嘆きの谷とは「バルサムの木の谷」のことであり、バルサムの生える荒れ果てたエルサレムの谷を指すものだそうです。「バルサム Balsam」はヘブル語では「バカ Baca」と呼ばれ、幹から薬用になる乳のような樹脂を出す潅木です。

涙-嘆き-乳。死を前にした太宰(ダザイを変換すると堕罪になるのも何だか……)が、作中の妻に「お乳のあいだに涙の谷」と言わせたのは、どんな思いからでしょう?

さて、『黒衣聖母』をはじめ、芥川の作品にも「涙の谷」は登場します。Webサイトの「青空文庫」さんのページからその一部を以下転載します。

――この涙の谷に呻(うめ)き泣きて、御身(おんみ)に願いをかけ奉る。……御身の憐みの御眼(おんめ)をわれらに廻(めぐ)らせ給え。……深く御柔軟(ごじゅうなん)、深く御哀憐、すぐれて甘(うまし)くまします「びるぜん、さんたまりや」様――

         ――和訳「けれんど」――

「どうです、これは。」
 田代(たしろ)君はこう云いながら、一体の麻利耶観音(マリヤかんのん)を卓子(テーブル)の上へ載せて見せた。

麻利耶観音と称するのは、切支丹宗門(きりしたんしゅうもん)禁制時代の天主教徒(てんしゅきょうと)が、屡(しばしば)聖母(せいぼ)麻利耶の代りに礼拝(らいはい)した、多くは白磁(はくじ)の観音像である。が、今田代君が見せてくれたのは、その麻利耶観音の中でも、博物館の陳列室や世間普通の蒐収家(しゅうしゅうか)のキャビネットにあるようなものではない。第一これは顔を除いて、他はことごとく黒檀(こくたん)を刻んだ、一尺ばかりの立像である。のみならず頸(くび)のまわりへ懸けた十字架形(じゅうじかがた)の瓔珞(ようらく)も、金と青貝とを象嵌(ぞうがん)した、極めて精巧な細工(さいく)らしい。その上顔は美しい牙彫(げぼり)で、しかも唇には珊瑚(さんご)のような一点の朱まで加えてある。

……私は黙って腕を組んだまま、しばらくはこの黒衣聖母(こくいせいぼ)の美しい顔を眺めていた。が、眺めている内に、何か怪しい表情が、象牙(ぞうげ)の顔のどこだかに、漂(ただよ)っているような心もちがした。いや、怪しいと云ったのでは物足りない。私にはその顔全体が、ある悪意を帯びた嘲笑を漲(みなぎ)らしているような気さえしたのである。

(以下略)

続西方の人  8 或時のマリア

美しいマリアはクリストの聖霊の子供であることを承知してゐた。この時のマリアの心もちはいぢらしいと共に哀れである。マリアはクリストの言葉の為にヨセフに恥ぢなければならなかつたであらう。それから彼女自身の過去も考へなければならなかつたであらう。最後に――或は人気のない夜中に突然彼女を驚かした聖霊の姿も思ひ出したかも知れない。「人の皆無、仕事は全部」と云ふフロオベルの気もちは幼いクリストの中にも漲みなぎつてゐる。しかし大工の妻だつたマリアはこの時も薄暗い「涙の谷」に向かひ合はなければならなかつたであらう。

自ら命を絶った太宰と芥川は、パビナールだけでなく、旧約聖書の「涙の谷」でも結ばれていました。有島武郎や北村透谷も含め、キリスト教や聖書に深い理解を持ちながら自殺した文学者達。聖書の言葉は救いをもたらす以上に、人生の苦悩を掘り下げるものだったのでしょうか?

図書紹介
サイト紹介
生と性と聖の棚の目録にもどる