ネクタイはずしてリボンをつけよう | |||||||
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終わりつつあるネクタイの時代 人間が直立二足歩行をし始めることによりきたした身体的変化はいくつもあるそうですが、女性の場合は見えにくくなった女性器の代わりとして性的な成熟や発情を示すために発達した血の色の透ける唇や、お尻の形を模した大きな乳房があります。 それが男性の場合どうなのかといえば、肉体そのものにはさしたる変化はなかったようですが、衣服をまとうようになるに従い、見えなくなった性器を誇張し、あるいは連想させる装飾が次々に生み出されていきました。 それは時に性器の保護と同時に直接的に視覚に訴え男性性を強調するニューギニアのペニスケースやヨーロッパのコッドピ−スであり、それはやがて象徴化されてネクタイとなったと言われています。 参照:インドネシア文化宮 「ライラのイリアンジャヤだより:コテカ・中央高地人のペニスケース http://www.harapan.co.jp/Indonesia/GBI/laila10.htm 男の「装い」一科事典 「 男を大きく見せる股袋(Codpiece)」 http://www.sutv.zaq.ne.jp/ckafw600/yofuku/codpiece.htm そうした男性性のシンボルの多くは、攻撃や闘争や権力や支配のシンボルでもあり、近代社会においては管理の象徴ともなっているといえるのではないでしょうか。 その一方で、リボンは女性の胸や髪を飾る女性性のシンボルであり、また心を込めた贈り物にはリボンを掛ける風習は今に伝わっています。日本でも工芸的な形式美を持って発展した水引が生み出され、互いの関係を深め合う贈り物に使われてきました。 参考:木下水引株式会社―水引ミニ知識 http://www.mizuhiki.co.jp/mini/index.html 今、ネクタイが象徴する「男性原理の社会」の限界は様々な分野で露呈し始めています。そこで求められているのは、暴力や略奪や支配を許さず、多様性と互いの尊厳を認めつつ互いに絆を結び合う「パートナーシップを原理とする社会」、いわばリボンの時代です。 静かな意思表示・受容と支援のシンボル 無知から来る差別や偏見にさらされた人々は深い孤独に陥ります。そんな時、自分の存在をを正しく理解し、自分の存在を受け入れてくれる人に巡り合うことは大きな励みです。 自分が世の中に不条理や矛盾や正義に反することを見つけても、それを言葉に表したり抵抗するには勇気が要り、時には大きな犠牲を払わねばなりません。それでも何かのカタチでそれを表す方法が見つかれば、わずかでも自分の良心を守ることができるかも知れません。 そんな思いをつなぐ方法として、胸や肩や持ち物など、自分のどこかにリボンを結ぶ運動があります。それがただの趣味のリボンなのか密かなメッセージなのか、それを知りたい人は同じ色のリボンを自分もつけて、その人と目を合わせてみてはどうでしょう。 そこから新たな一歩が始まるかもしれません。 六色のリボン 数あるリボン運動の中から、ここではProjectGの管理人が賛意を示している青・赤・白・ピンク・黄色・オレンジの六色のリボン運動を紹介します。 そのリボンは同じ色でも発信するメッセージは多様で、極めて政治色の強いものもあれば、同好の士の結束から生まれたものもありますが、いずれにせよ新たな連帯の輪が、ここから始まることを願っています。 ※ 運動を展開し続けることや、変わらずサイトを運営し続けることは難しいことです。記録のために削除あるいは移転されたサイトへのリンクも残してあります。 |
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20004年8月21日一部更新 | |||||||
リボンのサイト | |||||||
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青いリボン |
一昔、というより20世紀の終わりには、卒業式のシーズンが近付くと「卒業証書の卒業年月日や生年月日は元号でしか書いてもらえないのか、西暦でもいいのか」などという話が家庭でもされたり、学校では「君が代・日の丸」をどうするのかが夜遅くまで議論されたりしていました。 教師も親も生徒達も「国歌斉唱、一同ご起立願います」と叫ばれた時、立つのか座ったままでいるのか、立っても歌うのか歌わないのか、口パクするのか……本来個人の自由であるはずの「うたう」という行為にたいして、異常なプレッシャーをかけられ選択を迫られた、いや選択肢を奪われたのです。そして、歌わない生徒には「指導」という名の思想強制が、教師には業務命令違反という名のもとに「処分」が用意されていきました。 そんな中で生まれたのが胸につける青い「ピ−スリボン」です。仮に席を立たされ歌を歌わされても「本当は『君が代』を歌うことに私は反対だよ」、「少なくとも全員に強制することには疑問を持ってるんだよ」という思いを多くの人に分かってもらうための意思表示の手段でした。 ただそのピースリボンをつけた国立市の小学校教員は学校を混乱させたとして処分を受け、ブルーリボンも見かけなくなっていきました。 それから21世紀がやってきて、しばらくすると北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の工作員によって拉致された人々の存在が明らかになり、北朝鮮への批判が高まると同時に、心無い人々から在日朝鮮人の子ども達、朝鮮学校の生徒達が暴行に遭うなどということも起こりました。 やがてそのうちの何人かが日本に一時帰国≠オました。彼らが日本に戻って着た時、その胸には金日成バッジが光り輝いていましたが、しばらくして彼らはバッジを取り、替わりに青いリボンを付けて記者会見に臨んでいました。拉致被害者とその家族を支援する運動のシンボルがブルーリボンです。 そしてまた一つ、2003年には「性同一性障害(GDI)」への理解の輪をひろげるためのそら色リボンが生まれました。主に同性愛者の人権を守るための白いリボンとあわせて、性的マイノリティへの差別や偏見と戦い、誰もが安心して生きていける社会を作って生きたいものです。
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赤いリボン |
1948年に始まった「赤い羽根共同募金運動」は学校の教室でも取り組まれている息の長い社会福祉支援運動で、赤く染めた鶏の羽根を胸に付けた事のない人のほうが少ないかもしれません。 では赤いリボンはどうでしょう。どこかの式やパーティーの主賓か来賓にでもならなければ付けることはないかもしれません。 でも1980年代の始めごろから赤いリボンを年中胸につけて活動する人々が現われ始めました。HIV感染者やエイズ発症者への理解と支援を広げていこうとする人々です。男性同性愛者や売春婦の病気というレッテルを張られたエイズも、今では多くの人々の理解を得るようになってきています。それでもまだ、自分がエイズにかかったことを自然に口にできる人は少ないのが現状かもしれません。
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白いリボン |
20世紀の終りかけに起きた阪神淡路大震災でなくなった方の冥福を祈り、残された方への支援を続けていこうという運動が各地で生まれましたが、その一つに関西学院大学を中心に取り組まれたホワイトリボン運動があります。ただその運動は、形骸化を避け新しい運動の形態を検討するために一旦中止されました。 でも、2003年の1月17日に神戸の町で胸に白いリボンを付けた人達がいました。「復興はまだ終っていない。支援を必要としている人はたくさんいる」と人々に訴えようと手製のリボンをつけた警備会社の人達でした。 そんな21世紀の始まりで深刻な問題となっているのが自殺です。数の上で目立っているのは中高年の男性自殺者ですが、思春期の同性愛者の自殺率が高いことはアメリカで指摘されながら、日本ではその存在を取り上げられることもありませんでした。 そうした若い同性愛者の自殺を防ごうとする運動のシンボルもホワイトリボン。ただ、ゲイを中心としたセクシュアル・マイノリティの権利獲得運動のシンボルである「レインボー・フラッグ」や「ピンクト・ライアングル」とともに、日本の学校でその存在を知らせることのできる教師はほんの一握りかもしれません。 そしてまた、ホワイトリボンが妊娠と出産に係わる疾病と事故から母と子の健康と命を守る世界のシンボルになっていることをどれだけのひとが知っているでしょうか
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ピンクのリボン |
大分県別府温泉を中心に進められている「ほっとマンマの日」キャンペーンを耳にされた方もいらっしゃるかも。そのシンボルマークの真ん中にはピンクのリボンが描かれています。マンマはラテン語でオッパイのこと。 アメリカでは8人に1人という高い罹患率だった乳がんの早期発見、患者への情報提供、治療後の支援を目的にピンクリボン運動が始まり、日本でもフジフィルムやワコールの支援のもと運動が展開しています。
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黄色いリボン |
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オレンジのリボン |
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