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考えるヒントのお蔵  性と人権の棚  第5番
性暴力に受けた人は「傷モノ」なの?

ヒトはモノではありません。一人一人のヒトは、例え何があろうと、この世でたった一人のかけがいのない大切な存在です。

キズモノのモノは者ではなく物です。人をモノ扱いし、人格を否定しているところに基本的な問題が潜んでいるのではないでしょうか。それは「傷モノ」と対応する「売り物」も「箱入り」娘も同様な問題をはらんでいると言えます。

モノという物言いは、女性を、よく言えば保護の対象、むいて言えば管理・所有の対象と見る視点から発しています。それを思想的に支えてきたのが、仏教や儒教にあった五障三従の教え(女は子どもの時は父、結婚したら夫、老いては長男に従い、死んでも仏にはなれない)です。

未成年の女子は父親の、妻は夫の所有物という発想が、女性の人格や人権をないがしろにする。その刷り込みが「女は誰であっても男の欲望のはけ口になっても仕方がない。だから、女がそうならない様に気をつけるべきだ」とする女性への性暴力の容認の土壌となっているのではないでしょうか。

そうであれば、私達が闘う相手は、直接暴力を振るった男性だけでなく、ダブルスタンダードを容認する女性もその対象となるでしょう。でも、それでは、すべてが敵になってしまいます。だったら何から始めるか。

昔、とある女子校の保健の時間に、ある女性教員が「男に襲われたら、野良犬にかまれたと思って早く忘れなさい」と生徒達に語ったそうです。これが被害者にとって慰めや癒しになるのかは、意見の分かれるところでしょう。

少なくとも私達が気を付けるべきは「セカンドレイプ」(被害者が被害を訴えることで第三者から更に傷を与えられること)です。

もう一つ忘れてならないのは、同性間の性暴力。ゲイであるかを問わず男性が被害者となった場合、女性以上に救済や支援の道が見えにくいという事実です。男性被害者の救済機関をまだ私は聞いたことがありませんし、恐らく性暴力センターでの対応もまれなのではないでしょうか。

DVが異性間≠ナしか起こらないという思い込みを、自然な形で捨てることも課題の一つです。

男性であれ女性であれ、それが性暴力かどうかを問わず、被害者の立場に立ちきってモノを考え、コトに当たる姿勢を大切にしたいものです。

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