あるがままに・そのままに

—鬱陶しい亭主の場合—

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第100話 一切皆苦

第100話 一切皆苦
 
 ども。ファミールの亭主です。寒いですね。ご自愛くださいね。
 さてと。
 昨年からこのサイトはやたらシリアスになっちゃってまして・・・・道楽バカ一筋を貫徹してきたかつての面影をすっかりなくしちゃってますよ。今の状態が決して本意というわけではないんですがしょうがない。まあこんなもんです。
 で。
 ネット上にはいろいろな知識が転がっているわけですがその中の一つで最近知ったことがあります。仏教で「苦」といえばその原義は「思いどおりにならない」だそうなんですよ。
 「苦」とは苦しいという感覚を直接示しているわけではなかったんですね。思いどおりにならないことが本来の「苦」の意味。なーるほど。そうだったのか。
 仏教に「一切皆苦」という言葉があります。「何もかもが苦しい」なんてわけねーだろ失礼しちゃうわねと不思議に思っていましたが「何もかもが思いどおりにならない」という意味が本義だとすれば一発で納得できます。
 ここで「何もかもが思いどおりにならない」なんてわけねーだろ失礼しちゃうわねとお思いの方もいらっしゃると存じますが私は何もかもが思いどおりにならない方に一票。
 目に見えるものは目の前にあるものだけ。手で触れられるのは手が届く範囲にあるものだけ。吸える空気はその場にある空気だけ。
 これらは人が置かれたどうしようもない状況のほんの一コマに過ぎません。そんな状況で思いどおりになることが何か一つでもありますか? まず思いそのものがコントロールできてませんよね。あるものでやりくりするしかないんですよね。本当にしょうがないことです。
 今回は記念すべき第100話ですからニギニギしくケンランゴーカな文章にしたかったのですが残念。ですがこれも「何もかもが思いどおりにならない=一切皆苦」であることのほんの一例ということで。
 ではまた。
 

2005/02/09