あるがままに・そのままに

—鬱陶しい亭主の場合—

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第809話 三世

第809話 三世
 
 フと秋の気配をかすかに感じるこの頃。まだまだ暑いですが皆様はお元気でいらっしゃいますでしょうか。私は最近膝に痛みを少し感じるようになりました。階段を上る時だけですが。ヤですね。歳をとるって。
 さて。最近少々考えていること。それは仏教でいう三世です。過去世・現在世・未来世。今私がいるのは現在世。でもね。
 人の五感は今にあるものしか感じられないのでありますがその五感の性能と言いますか機能と言いますかがどうにも制限され過ぎているのではないか。現在世なら十分に見えているかというとそうでもないのです。まして過去世や未来世となるとまるでダメ。
 これをもう少し砕けた言い方で書くならば。過去や未来が手に取るように目の当たりにバッチリ見えねーかなーと。いや。本当にマジで。
 私はこの人生・この世界・この宇宙について完結した一冊の書物や一巻の映画のように例えることがあります。あるいは因果・縁起でガチガチに固められた一つの結晶のようなものだとも書いたことがあります。この世界のことは本当は何もかも完結していて全て終わっているのではないかと思うのです。本当は私はすでに死んでいる。しかし今の私はなぜか生きて動いています。これってどういうことなんでしょうか。
 書物の中のキャラクターは完結した書物の中を行ごとページごと一本の紐のようなテキストに沿って順序立てて進む他に道がありません。行を超えることもページを超えることもできません。たったの一文字でさえ飛ばすことはできません。それは映画の中のキャラクターも同様です。
 でもそれが一冊の書物・一巻の映画・一個の結晶であると知っている劇中世界の外にいる我らとしてはどうでしょう。テキストの順序など無視してその一冊の書物を丸ごと手に取ることができます。映画がDVDにでも収められているのならそのDVDをハトやカラス避けとして軒先に吊るすこともできるし一個の結晶なら光に透かして美しさを愛でることもできるのです。
 ふむ。論旨がグチャグチャですわな。でも書くべきことを書いてはいますから今回はここまで。もちろん根っこから間違えているかもしれませんからそれはそれまでということで。
 

2017/08/29

ついでに一言
 
 要は仏教で言う一切智者に私はなれるかどうか。過去・現在・未来が同時にある世界。生も死も重なった世界。それを手に取れるかどうか。
 


おまけにもう一言
 
 そうなれたら凄い。でももう時間切れかな。老化が明らかだし。さてさて。