あるがままに・そのままに

—鬱陶しい亭主の場合—

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第598話 自然が織りなす織物

第598話 自然が織りなす織物
 
 先日入院した父ですが。点滴の数が一本また一本と減ってようやくCCUから一般病棟に移ることができました。退院は未定ですが今のところは快方に向かっているように見えます。
 あのとき私が側にいて救急車を呼べたのがラッキーだったと。そのように言うしか言いようがありません。あのときに父一人だけだったらおそらくアウトだったはず。なるほど生きるも死ぬも好き勝手に選べるものではないのだなと。いずれにせよ己の力を超えている事柄です。
 己の力を超えている事柄。一事が万事。何でもそうなのでしょうけど。
 たとえば。腹が減ったからカップラーメンでも作って食べましょうかと。カップラーメンを作る−−そう言うのは簡単ですが。でもよくよく考えるとどうでしょう。カップラーメンは自分の力で作れるものではありません。私にできることはせいぜいカップに熱湯を注いで3分待つことくらいです。私の力を遥かに超えた品物に私はただお湯を注いで待っているだけなのです。
 そしてそのお湯だって私は水をヤカンに入れて火にかけるだけです。その水はどうして水なのでしょうか。火はなぜ熱を持つのでしょうか。そもそも腹が減るとは何事なのでしょうか。何もかも私の力を超えた事柄です。
 まあ屁理屈かもしれませんけどね。すべて自明のことだとうそぶくこともできるとは思われます。でも自分でコントロールできているものなど実はこの世に一つもありはしないのです。そもそもこの身がコントロールできていません。もう少し背が高くなりたいと願っても成長期を過ぎればどうにもなりません。こんな憂鬱な思いは断ち切りたいと願っても憂鬱は次々に襲いかかってきます。
 何もかもがそうなるようになってゆく。自然(じねん)ですわな。おのずからしかりなのです。言ってみれば我らは自然が織りなす織物です。我らは織られたものでありまして決して織るものではないのです。
 そんなことですから悟り悟りとガツガツしても功徳なんぞありゃしません。まあガツガツすることも自然ですからそれはそれで360度ぐるりと回って結構なことであると落ち着くのですけどね。
 

2012/03/13

ついでに一言
 
 一切皆苦であり無我であり諸行無常であり因果であり縁起なのであります。
 


おまけにもう一言
 
 世の中が難しいのはそういうことですわな。