あるがままに・そのままに

—鬱陶しい亭主の場合—

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第575話 書き続ける工夫

第575話 書き続ける工夫
 
 文章を書くのは慣れないと難しいものです。慣れないうちにあまりの駄文に自ら恐れ入るなりネタが浮かばなくなるなりでプツリと書かなくなってそれっきり。そんなことはしばしばあるだろうと。
 しかし。プツリと書かなくなってそのまま書かずにいれば文章に慣れるということがありません。そのまま文章に対する勘が養われることなく何も書けなくなって終わりです。どんなに目を覆うばかりの駄文であっても他人様を誹謗中傷したりするようなものでなければ書いて悪いということはないはずです。
 どれほどお恥ずかしいものであっても書き続けることそれ自体に大きな意味があるのです。このサイトの文章だって読み返せばあまりの不出来さに恥じ入るときが多々あります。しかしそこをグっとこらえて書き続けていかないと書けるようになりません。
 お恥ずかしいといえばお恥ずかしいことですが。私はかつて小説家を目指したことがあります。でもダメでした。原稿料らしきものを一度いただいただけでそれっきり。ストーリーがダメダメでしたね。私にはストーリーテラーとしての才能がないのでした。
 それはそれとして。文章を売って生活しようと言っているのではありません。お恥ずかしい文章であれネタ切れであれ文章は書けると言いたいのです。このサイトが良い証拠です。お恥ずかしくも使い古しのネタを見せ方を変えて出し入れしているだけのマンネリサイトです。それでも文章は書けるのです。
 そんなことですから書くことがないから書けないなんてのは言い訳にもなりません。書かなければ書けるようになりません。書くことがないならばむしろ何が何でも書き続けなければならないのです。ネタ切れならばネタ切れをネタにしてでも書き続ける工夫が必要です。
 そしてなぜそこまで書け書けとしつこく言うかといいますと。それは文章を書くのは己を見るための良い助けになるからです。書くことがないなんて言わずに是非とも書き続けていただきたいのです。
 

2011/12/05

ついでに一言
 
 文章くらい書けなくて自覚を自覚するなんて無理です。
 


おまけにもう一言
 
 七転八倒している自分自身の姿ほど格好のネタは他にないでしょ? 自分のことを書けばよいのです。