あるがままに・そのままに

—鬱陶しい亭主の場合—

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第484話 溺れる者のワラの一本

第484話 溺れる者のワラの一本
 
 皆様ご承知のとおりこの宇宙は秩序正しく動いています。その秩序は厳然としていてイレギュラーは万が一にもありません。一分の隙間も矛盾もありません。もちろん人の好き嫌いに左右されることなどありません。それどころか人の好き嫌いそのものがその秩序の表現の一つであるのです。人が泣こうが騒ごうが。生きようが死のうが。すべて起こるべくして起こることがただ起こるのみです。何がどうなろうともどこにも支障は生じません。解決すべき問題などまったくないのです。すべては自ずから然り(しかり)なのです。そのように宇宙は完全なものです。
 今のあなたは苦しみ悩んでおられます。しかしそれは言ってみれば勘違いなのです。誤解です。あなたは自分の真の姿を知らないのです。あなたの真の姿――それは宇宙そのものなのです。あなたは宇宙の表現なのです。違いますか?
 真のあなたは偉大です。その偉大さに気づかずに自らを卑小なものと勘違いしているのです。さあ! 一緒に学びましょう!
 ブワハハハ。ああ美しい美しい。実に麗しくビューリフォーな世界ですわな。上のような世界観は正直なところ魅力がありますよね。
 誤解していただきたくないですが私は上のような世界観を否定しているのではないのです。もちろん積極的に肯定したいのでもないですが。その世界観が真であるか偽であるかを問題とする理由がないのです。真であろうが偽であろうが人は現に悩む生き物です。この宇宙が麗しかろうがなかろうが人は苦しむ仕組みを生理的に持っているのです。世界観を頭の中でどのように作り上げようとも生理的な仕組みがどうなるものでもありません。
 それが宇宙でなくても結構です。人はしばしばマクロな見地・大所高所に立って自分や他人を慰めます。慰めは一時的なものであってそれ以上のものではないことを承知の上でです。たとえほんの一時であっても慰撫の暖かい気持ちに触れることができれば嬉しいですものね。溺れる者がつかむワラの一本にすぎませんが――そう言うと嫌われてしまいますでしょうけどね。
 この宇宙がどうであろうがそれはそれです。今ここで苦しみ悩んでいる自分をどうするか。大切なのはそれです。
 

2010/10/03

ついでに一言
 
 真実を知りたいという気持ちはあるでしょうが仏教の入り口はそこではないと私には思われます。 
 


おまけにもう一言
 
 我らは切れば血が出て痛みに転げ回るものです。