あるがままに・そのままに

—鬱陶しい亭主の場合—

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第460話 動揺したままどうにかする

第460話 動揺したままどうにかする
 
 生きていると不愉快なことがザクザクあります……ふむ。もう少しだけ正確に書きましょうか。その「こと」が起こるたびに不愉快であると感じられる種類の感覚が沸き上がる引き金となる「こと」が生きているとザクザクありますと。不細工な書き方で恐縮ですが。
 それはともかく。程度の差はあれ苦虫を噛み潰しながらキリキリ舞いする毎日ではあります。我らは石のお地蔵さんではないのです。生身で生きているのですから感情のうねりがなくなることはありません。人生楽ありゃ苦もあるさなのです。生きているのですから感情がなくなることはありません。感情が一定の状態にピタリと固定されることもありません。たとえ彼岸に渡っても感情の動揺が止まることはないのです。
 この辺りの機微をわかっていただきたいのです。感情とは動揺するものなのです。そういうものなのですからそれで問題ないのです。
 仏教とはあたかも感情をなくすことを目標としているかのように受け取る人が多かろうと思われます。あるいは不快な感情を消し飛ばして喜ばしい感情のみに固定することを教えていると考える人も多かろうと思われます。
 どちらもハズレです。
 感情をなくすこと。あるいは感情を一定の状態に固定すること。そうしたい気持ちはわかりますよ。毎日が苦しいですもんね。でもいずれにしろ生きている者にはあり得ない無茶な要求だと思いませんか? 頭に火がついたように苦悩している人に対してできもしないことを要求してどうしましょう。動揺したままどうにかするのが成熟した大人の対応ってものです。
 不動心という言葉があります。それが仏教の範疇にある概念なのかどうか知りませんが。もしも心が動揺しないという意味ならばいかがなものかと思われます。
 そうではなくて。もしも不動心というものがあるのなら。それは心が動揺していることについて問題としないという意味であるはずです。ご参考までに。
 

2010/07/22

ついでに一言
 
 不快な感情があるならそれを消してしまえばよいのだと。
 


おまけにもう一言
 
 そういう直線的・平面的な発想の先に彼岸はありません。