あるがままに・そのままに

—鬱陶しい亭主の場合—

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第412話 せしめるチカラ

第412話 せしめるチカラ
 
 お金を持ってる権力者。いいですねぇ。シビレます。憧れますよ。お金と権力とを一身に備えているなんて。実にうらやましい限りです。鬼に金棒とはこのことです。
 総理大臣がご機嫌伺いにやってくるんですよ。あの土地が欲しいと秘書に言えば何億円ものお金が右から左に魔法のように出てくるんですよ。山の中で工事をするんだとか言ってしょっちゅう誰かが挨拶にくるんですよ。官庁のトップが苦言を述べても雇われてる立場の者がエラそうに意見してんじゃねえよですよ。そりゃもう気分がよろしいことでしょう。
 そうなったことがないので妄想炸裂ですが。皮肉で言ってるんじゃありません。そうなるためにはなりたい自分の姿を強固に念頭に置いて常人離れした執念と昼夜を分たぬ粉骨砕身とでもって心臓が今にも破裂しそうな修羅場の数々を踏み越えねばなりません。誰にでもできることではありません。現に私にはできませんでした。チマチマ・セコセコとその場しのぎを繰り返すうちに半世紀が過ぎてしまいました。
 何者かになろうとしたらできる限りその明瞭なイメージを持って手順を踏んで実績を積んでいくに越したことはありません。なりたい姿を日頃から思い浮かべていること。そしてその姿に向けて今・ここでなすべきことを苦しかろうが辛かろうが泣きながらであっても遂行すること。世間ではそれがあるべき正しい生き方ですよね。特に異様なことを書いているわけじゃないでしょ?
 それでは。
 明瞭なイメージを持って手順を踏んで実績を重ねて修羅場に飛び込む。そうすれば誰でもなりたい者になれるのかと。すなわちそれが必要にして十分な成功の条件であると言えるのでしょうかと−−そう問われたら皆様はどう感じますか? そんなんじゃまるで足りないだろうと感じませんか?
 そうです。皆様はとっくにお分かりなのですよ。そのように「せしめるチカラ」がこの世にはあるのだということを。目には見えないけれどその「せしめるチカラ」によってものごとは動いてゆくのだと。それをどう呼ぶかは各人各様だろうと思います。「ツキ」だったり「運」だったり「縁」だったり「業」だったり。他にも言い方はあると思います。
 そんなことです。何やら実も蓋もないのですが仏教は実も蓋もないものなのです。「わたくしはこのことを説く、ということがわたくしにはない」と実も蓋もないことを開祖自らが宣言されておられますので。
 

2010/02/03

ついでに一言
 
 私は努力を否定するつもりはありません。その努力はどのような仕組みでできるのかと考えていただければよろしいかと。
 


おまけにもう一言 
 
 オレがオレがオレ様が! でもオレ様って何かできることがあるんですか?