あるがままに・そのままに

—鬱陶しい亭主の場合—

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第411話 仏教の基本の基本

第411話 仏教の基本の基本
 
 仏教の基本の基本。それは単純です。自分の頭(思い)に振り回されないようにすること。それです。
 原始仏典であるスッタニパータ(「ブッダのことば」岩波文庫 中村元 訳)に学生アジタさんの問いに釈尊が答える場面があります。学生アジタさんは自らの師匠であるバーヴァリさんの言いつけで釈尊を訪ねてきていました。バーヴァリさんはとある事件でとあるバラモンから「頭が七つに裂けてしまえ」という呪いの言葉を投げつけられており自分の頭が本当に裂けて落ちてしまうのではないかと心配でたまらないのでした。
 
1026 (ゴータマ・ブッタは答えた)、「無明(むみょう)が頭であると知れ。明知が信仰と念(おも)いと精神統一と意欲と努力とに結びついて、頭を裂け落とさせるものである。」
 
 それに対してアジタさんは次のようにお礼を述べます。
 
1028 (アジタがいった)、「わが親愛なる友よ。バーヴァリ・バラモンは、かれの弟子たちとともに、心に歓喜し悦んで、あなたさま(ブッダ)の足下に礼拝します。眼あるかたよ。」
 
 「ブッダのことば」の解説を読むとこのあたりは2,500年前のインドの常識を知らないと解釈が難しいようです。ですがあえて亭主流に次のように意味を取ってみました。
 「裂けて落ちるべき頭は理由も分からずにただ怯えている無明(無知)な頭なのである」と。言葉ばかりの呪いを闇雲に恐れて振り回されていると本当に頭が裂けてしまうことになりますよと。バーヴァリさんがなすべきことはその無明で溢れている頭を明知によって裂いて落としてしまうことなのですよと。
 要は頭に振り回されるのはおやめなさいよと。少々強引に意味を取ってしまいましたが「眼あるかた」である釈尊はそのようにお答えになったのではあるまいかと思うのです。
 

2010/01/31

ついでに一言
 
 でも世間では頭に振り回されて(自分の思いを貫いて)大金持ちになったり権力者になったりしますのでねぇ……振り回されるなと言っても世間的な説得力はないでしょうね。
 


おまけにもう一言 
 
 正直なところ大金持ちの権力者といえば私も憧れますよ。そっちの縁より仏縁の方が強かっただけです。