あるがままに・そのままに

—鬱陶しい亭主の場合—

HOME | 200807-201006 | 第344話 

第344話 百尺竿頭進一歩

第344話 百尺竿頭進一歩
 
 「百尺の竿頭に一歩を進む」だそうです。禅の言葉です。ネットをうろついていて見つけました。修行によって高い境地に達したとしてもさらに身を投げ出して一歩その先へ進めという意味であるようです。高い境地に酔った停滞と他人を見下す高慢とを戒める教えでしょうか。
 百尺の竿の先に上り詰めた。もうそこから先には進めない。しかしその竿の先にとどまっていることはできない。手がかりになるものは何もないがさらに先に行かねばならない。さあどうする!
 そんな場面で私でしたら「横超」という真宗の言葉を思い出します。このサイトの流儀で言えば「離れる」です。竿にしがみついてにっちもさっちも行かなくなっている自分を見る眼がフっと生じることです。百尺竿頭進一歩とは我が身の経験に引きつけてみればそのことを言っているように感じられます。
 私は仏道について「自覚を自覚する自覚の道」だと表現することがあります。その自覚を自覚する自覚は自覚の能力が直線的に高まったり強まったりするだけでは身に付きません。このあたりは第323話で触れましたのでお暇でしたらどうぞ。
 百尺の竿の先端。それは修行の成果で得た高いけれども通過すべき境地なのか。それとも追い詰められて逃げ場を失った絶体絶命の窮地なのか。私は後者と解します。禅を知らない者の勝手な意見でごめんなさいですが。
 

2009/08/02

ついでに一言
 
 竿の先にいるだけでは竿の先にいるだけです。
 


おまけにもう一言 
 
 知ったふうに書いていますが私は禅を知りません。真宗も知りません。ごめんなさい。