あるがままに・そのままに

—鬱陶しい亭主の場合—

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第342話 早く人間になりたい!

第342話 早く人間になりたい!
 
 「早く人間になりたい!」ってのは妖怪人間ベムですな。みましたよ。テレビで。子どものときに。毎週欠かさず。再放送もそのたびに見ちゃいましたね。
 今の我々はクソったれでスケベでケチな大人です。俗世間の垢にまみれてズタズタのボロボロで悪臭が漂っています。でもそんな我々にも無垢な時代がありました。テレビで妖怪人間に夢中になっていたあのころ。あのころは借金返済に四苦八苦なんてことはありませんでした。カミさんと不仲になるなんてこともありませんでした。職場の人間関係に振り回されることもありませんでした。
 ああ・・・・おれはなんて汚れちまったんだ! あのころに戻りたい!
 なんてね。子ども時代に戻りたい人は多いでしょうけど実際どうなんでしょうか。戻りたいですか? 私は絶対にお断りですが。
 ありていに言えば子どもは未熟で無能力で保護される存在なんですよね。ですから借金なんてさせてくれませんし結婚もできませんし就職だってできません。生きている世界がとても狭いですから大人のように広範囲の煩わしいあれこれに直面することがずっと少ないと言えます。
 しかし子どもだって生きているのです。ですから感情の起伏と無縁なはずがありません。あまりの未熟さに立ちすくむ他になく自分の困惑を表現する方法も知らず途方に暮れて絶望するばかりの子どもは多いと思います。その結果としてトラウマを抱え込んだりアダルトチルドレンなんて呼ばれるようになることもあるでしょう。
 ひるがえって大人はどうでしょうか。確かに煩わしいことが山のようにあります。しかしその一方で制約が取り払われて悪知恵を働かせることができるのです。月夜の晩ばかりじゃないことも知っているのです。その気になれば暗闇から石つぶての一つも投げつけることができると知っているのです。それでも子ども時代が良かったと言えるでしょうか。
 さて。この問題は少々深刻な意味を持っています。上で書いたことを別の表現にすると次のようになります。
 人は成長とともに知恵や分別が生じる。そして人は知恵や分別によって悩み苦しむようになる。ゆえに知恵や分別が生じる前の状態こそが人にとって平安な輝かしいときであり苦しみ悩む人はその状態を回復するよう努めるべきである――という考え方が妥当かどうかです。
 気持ちは分かりますよ。端的に言ってしまえば苦悩なんか感じたくないというのでしょうから。苦悩に対して無自覚になりたいのです。自覚の能力が未熟な子どもになりたいのです。そして保護されたいのです。なるほどたいていの人にとって子ども時代は好都合な時代だったかもしれません。
 でも。ちょっと考えていただきたいのです。苦しみ悩む我々はようやくのことで苦悩を自覚できるようになったのですよ。せっかくですからもう一歩進んでいただきたい。苦悩を自覚したところに立ち止まっていてはいけないのです。さらに進んで自覚を自覚できるようになっていただきたい。苦悩を超えて彼岸に渡っていただきたいのです。
 これはとりもなおさず悪知恵がついて汚れきった大人である我々がさらにもう一歩の成長を目指すことに他なりません。大人だの子どもだのと書いていますが我々は大人のふりをした子どもでしかないのです。子どもが年老いただけなのです。ようやく苦しみ悩むことを覚えただけなのです。苦しみ悩みをじっと見てさらにその先へ行っていただきたいのです。
 

2009/07/22

ついでに一言
 
 「早く人間になりたい!」 そう願うのは妖怪人間だけじゃないと思います。
 


おまけにもう一言 
 
 小さい子どもは神に近い存在であるように言われることがあります。そうかもしれません。しかし仏教の立場としては神から離れて独りで立つ。それが求められているのではないでしょうか。サイの角のようにです。