あるがままに・そのままに

—鬱陶しい亭主の場合—

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第322話 即得往生 住不退転

第322話 即得往生 住不退転
 
 私は真宗の門徒ではありません。念仏もしていません。でも親鸞さんは好きですよ。言っていることがすこぶるまともだと感じますもの。
 ただし親鸞さんとは別レベルの真宗となるとすこぶる難解であるとも思います。なにしろ「阿弥陀仏に助けていただいてありがたい」ですから。そうなのかもしれませんがそう言われても何がどうなってありがたくなったのかサッパリ伝わってきませんものね。
 そこでですが。門徒でもない者があれこれ言うのはよろしくなかろうとは思います。ですがあくまでも門外漢の立場で感じる真宗の奥義について書いてみるのも一興かと。
 さてと。真宗の奥義なんて書いてしまってお恥ずかしいですが自分の体験と照らし合わせてピンとくる真宗の用語。それが今回の表題「即得往生 住不退転」です。これを私流に書き直してしまえば次のようになります。
 即得往生 住不退転=あちらに往って生きることがこの今・この身でできるようになっている。もう元の体たらくに戻ることはなくなったことが明らかである=すでに彼岸に渡ることができて此岸を眺め見る立場を得ている。もう此岸で何が起きていてもどうということはない=何があってもすべては対岸の火事として見ていられる=ありがたい
 どんなものですかね。真宗の人から見れば馬鹿丸出しの妄言かもしれません。でも外から見るとそう見えますよということです。ご参考までに。
 

2009/04/01

ついでに一言
 
 「即」がうまく書けません。これは要注意の用語だと感じます。
 


おまけにもう一言 
 
 結局は不退転の自覚があるかどうかということになります。不退転はそうなれば自分で明らかに分かります。もう二度と元に戻ることはないことが。