あるがままに・そのままに

—鬱陶しい亭主の場合—

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第272話 自分自身を敵視する

第272話 自分自身を敵視する
 
 自分自身を敵視する。これはやってしまいがちなことだと思います。我執は自分の思いを貫こうとするものです。嫌いなものは片っぱしから排除して好ましいものだけを寄せ集めようとします。もしも我が身が理想の姿と大きく異なっているのなら自分自身でさえ敵視して排除の対象としてしまいます。
 たとえば掲げる理想が「なにごとにも動じない鋼鉄の男」といった極めて有り難いものであったとき。そして今の自分はおっかなびっくり生きている軟弱者であると認識しているとき。「まっことそのとおりの軟弱者であることよなぁ」と納得することができずに理想と違う自分自身を許せないことがあるでしょう。場合によっては誰あろう自分自身を拒否して自分自身を傷つけるようなことを始めてしまうこともあるでしょう。はなはだしい場合は自分自身を殺すことにもなるだろうと思います。
 この辺りの事情を指して釈尊は次のように仰せです。出典はダンマパダです。
 
66 あさはかな愚人どもは、自己に対して仇敵(かたき)に対するようにふるまう。悪い行いをして、苦(にが)い果実(このみ)をむすぶ。
 
 世間にはたとえば美容整形手術に失敗したとして医師を脅したり訴えたりといったふうな実例がゴロゴロあります。世間を見回さなくても自分自身の過去を振り返ってみれば思い当たることが多々あることでしょう。知らず知らずに我執に振り回されていたことに気づくとよろしいのですが。難しいことではあります。
 

2008/08/13

ついでに一言
 
 自分自身を敵視することについて良い悪いを論じても意味はないと私は考えます。我執とはそういうことをしでかしてしまうものであると気づいていただければ幸いです。
 


おまけにもう一言 
 
 私はなぜこんなに不細工でカッコ悪いんだろう――それは私が他の誰でもなく私だからです。