あるがままに・そのままに

—鬱陶しい亭主の場合—

HOME | 200507-200807 | 第258話

第258話 逆説なんかじゃない

第258話 逆説なんかじゃない
 
 親鸞さんは自らを罪悪深重の凡夫と言われています。罪悪深重ねぇ・・・・どんな非道なことをしでかした人なのかしら・・・・ということではないでしょうね。親鸞さんには自分がよく見えていた。そういうことだと思います。
 親鸞さんは小学生くらいの年頃で出家されたようです。どのような修行をされたのか詳しくは知りませんが「寒いと思わなければ寒くない!」的なことを叩き込まれたんじゃないのかなと。
 僧侶には戒律がありますよね。あれはいけない。これはするな。しっかりしろ。なまけるな。そういうことを子どものころから叩き込まれていたはずです。キツイ縛りだらけの生活が子ども心に染み入ったと。
 で。親鸞さんは自分を見ることができるようになった。すると自分の身の内にはやってはいけない・思ってはいけない禁止事項ばかりがブワンブワンと渦巻いて沸いて出ている。それに気づかれたのでしょう。自分はろくな者ではないことが明らかに見える。そして罪悪深重の凡夫と表現されたのだろうと。
 悪人正機という言葉があります。上のように考えてみると悪人正機とは「浄土へ行けるのは自分の心に沸くものを見ることができる者である」というしごくまっとうなことを言われているのだと思います。逆説的な言い回しなんかじゃありません。真正面からストレートパンチです。
 罪悪深重・悪人正機。今回はこのサイトの趣旨に引き付けて書いてしまいました。正統派の解釈とは違うかもしれませんが笑って許していただければ幸いです。
 

2008/07/16

ついでに一言
 
 火事が起きたら焼け太る! という浅ましい根性で仏教の門に転がり込んだバカもいます。私のことです。
 


おまけにもう一言
 
 でも浅ましいのはやっぱり浅ましいですから美しく生きていきたいもんだなぁと・・・・思っているだけですが。