あるがままに・そのままに

—鬱陶しい亭主の場合—

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第242話 方便無用

第242話 方便無用
 
 私はこのサイトでしか仏教の話をしていません。実生活では仏教のブの字も語りません。自分の妻にも子どもにも語りません。
 それはなぜか。
 仏教に人の心を向けようとするのは絶望的に困難だと思うからです。仏教にはその人が自ら向かなくてはなりません。仏教の門に黒焦げになって自ら転がり込んでこなければならないと。私はそう思うのです。聞く耳を持たない人にとっては仏教はこの世に存在していません。
 かなり前に書いたことですが人はそれぞれ別の世界に住んでいます。そして各人各様のその世界にはその人自身が気づいたことしか存在していません。気づいていないことはその人の世界に存在しません。自分には仏教が必要であると気づかない人の世界に仏教はありません。ですから仏教に無関心な人に仏教を説くことは馬に小判。猫に真珠。豚の耳に念仏。それくらいトンチンカンなことだと思うのです。
 それでも敢えて仏教を説くならば神通力が手に入るとか悟りの境地はこんなにも素晴らしいとか方便の限りを尽くして人を誘い込むことになるでしょう。しかしそのような方便に釣られて仏教に向いてくるような人が本当に仏教を必要としているのでしょうか。そうではないだろうと思うのです。
 仏教は方便を使うのが常識という考え方があるようです。賛成できません。方便に釣られるような人は仏教を必要としていないと。方便は百害あって一利もないと。ストレートに行くのがよろしいと。私はそう思います。
 悲観的に過ぎるでしょうか? まあこのサイトにおいては文章の工夫くらいはしようと思っていますが。
 

2008/06/19

ついでに一言
 
 方便が方便になってしまうと言いますか。ボロ隠しにならない保証はありません。
 


おまけにもう一言
 
 気づくも気づかないもコントロールできません。ここに気づいてほしいものです。