あるがままに・そのままに

—鬱陶しい亭主の場合—

HOME | 200507-200807 | 第194話

第194話 亭主の学問(その14) 文章を書こう -言霊の力-

第194話 亭主の学問(その14) 文章を書こう -言霊の力-
 
 言霊(ことだま)とは仏教の概念ではありません。すこぶる怪しげなものと感じられるかもしれません。しかし言霊は苦悩から脱するために役に立ってくれます。ただし上手に付き合うことができるならばですが。
 言霊とは言葉に宿る力です。それは自分自身にさえ明らかになっていない心の中のワヤワヤとしたものを取り扱い可能なものにしてくれる力です。この力を使わない手はありません。ただし上手に使うことができるならばですが。
 私のサイトは今でこそ仏教系サイトの一つでしょう。しかし過去は今とはまったく違うサイトでした。このサイトにある「旧サイト掲示分」をご覧になったことがありますでしょうか。それは2001年9月から始めています。そこから数えるともう6年余りも駄文を書き続けていることになります。
 その6年の間に起きたことを簡単に表現すると次のとおりです。
 
 脳天気な道楽オヤジが人生に行き詰まりガラガラと崩れたところからズルズルと立ち上がる。
 
 たったの一行で表現できてしまいます。しかしその一行の背景には190を超える文章が一切の修正を加えられずに日付入りで並んでいるのです。
 自分で書いた文章を後になって読み直してみるとそれを書いた私自身が驚かされることが多々あります。頭の中では明確に意識できていなかったことであっても文章には明確に出ることがあるのです。自分自身の文章からとんでもないものを汲み出すことができるのです。言霊が働いた文章はそのようなものです。自分との対話は頭の中だけの自問自答よりも文章で行う方がずっと適切で効果的だと思います。自分はなぜこんなことが書けるのだろうと思いながら文章を書いていることが最近は多くなりました。
 文章は技巧的な巧拙よりも言霊が生き生きと働いているかどうかが大切です。言霊が生き生きとしている文章は自ずと魅力的になるものだと思います。書かれている内容がどれほど陰鬱なものであっても読者がそこから何かしらを得ることを可能にする力が言霊にはあります。
 ですから言霊を味方にしましょう。
 言霊と上手に付き合うには一つのお約束があります。言霊は正直を好みます。モノが文章であるならば正直に書くこと。後になって書き直さないこと。それが言霊と付き合う鉄則だと思っています。そうでなければ文章に言霊の力は宿りません。正直に書いていないのであれば後になって読み返しても何の益も見出せないただの文字列になるだけでしょう。正直に書いてあるのであれば後から読み直してその出来の悪さに真っ青になることがあるとしてもそのときはそうだったことが分かるのですからそれでいいのです。そのような経過をたどったことが他人様にも自分にも明らかになるのですから。
 ブログでもサイトでもいいですからその時々に観察された自分の有り様を定期的に書いてインターネットへ日付入りで掲示してしまいましょう。たとえ匿名で書いていても読者が付けば逃げも隠れもできなくなります。とても他人様にお見せできない未熟なところから書き始めて時系列を乱さずに息長く書き続けていきましょう。それが後の人の参考になります。そして自分の参考になります。
 では次回は「悪魔の嘆き -知っておられる-」としましょう。
 

2007/12/06

ついでに一言
 
 完成した姿よりもどのような途中経過をたどったのかが実に重要なことなのだと思います。道しるべが要所要所に立っていれば行きつ戻りつしながらも目的地には着くのでしょうから。
 


おまけにもう一言
 
 言うまでもないでしょうが私は完成していませんよ。まだまだ途中です。