あるがままに・そのままに

—鬱陶しい亭主の場合—

HOME | 200507-200807 | 第158話

第158話 ボサノバゆるゆる

第158話 ボサノバゆるゆる
 
 このごろ室内に音楽を流しているときが多くなりました。ボサノバなんて最高ですね。音楽を静かに室内に漂わせているなんてとっても贅沢な気分です。
 贅沢気分のついでにオーディオ装置を更新することにしました。この20年ほどずっとCDラジカセだったのですがここはもう少し上質な品物からフンワリと柔らかな音を出したくなったというわけで。
 途中経過は省略しますが3万円と少々でCDラジカセよりもずっと上品な音が出るステレオ装置が揃ってしまいました。アンプとスピーカーとCDプレーヤー。全部新品。オーディオ装置も安くなったものです。
 ご承知の方は多いでしょうがオーディオ道楽には結構なお金がかかります。より良い音を求めて大金を注ぎ込む。私も道楽者の端くれですから分かりますがそれは終わりがない闘いなんですよ。なんたって「より」良い音ですから。そしてその果てに理想の音があるのでしょうから。
 理想の音があるのかないのか知らない。理想の音はどんな音なのかも知らない。それを知りたくて大金を注ぎ込んで探し回る。しかしどんなにお金をかけても手に入るのは装置でしかなくて理想の音そのものを購入できるわけではない。
 さてと。
 人には真に知るということがあるのかどうか。そのあたりがとても疑わしいのですが。知ったといっても何かを知っているように思い込んでいるだけなのではないでしょうか。そして万が一真に知っているとしても反証によってひっくり返されるおそれを常に抱え込んでいるのが「知」というものではないでしょうか。「知」に頼る限り安心はなく終わりのない苦闘があるだけなのかも。無知であるより知っている方がずっとマシでしょうが程度の問題でしかないのかも。
 そんなことを考えながらボサノバをゆるゆると聴いています。誤解していただきたくないですが私はオーディオ道楽を否定はしませんよ。私も物欲三昧の道楽者ですのでね。他人様の道楽に口出しするほど野暮じゃないつもりですので。
 

2007/01/25

ついでに一言
 
 いろいろ思うところはありますがあまり意味はないですね。
 


おまけにもう一言
 
 無知では論外。知っても意味なし。なんじゃこりゃ。