当寺、所縁の人々  (2)
新門辰五郎の碑
松平太郎の墓
江戸の町火消の大親分
義父、町田仁右衛門は東叡山輪王寺宮の衛士で浅草十番組に所属する町火消の頭領であったため、輪王寺宮が浅草・浅草寺の別院「伝法院」隠棲する際、新しい通用門を新設し、その門を辰五郎が守ることになった、それで新門辰五郎と呼ばれる様になった。
また、辰五郎の娘は将軍「慶喜」の愛妾
旧幕臣・陸軍奉行、榎本武揚らと函館を占領した。
蝦夷島「副総裁」に選出される。(総裁は榎本武揚)
西洋かぶれと目される榎本・大鳥に反感をもっていた幕臣の票が集まった為と思われる。
土方歳三らと「一本木」にて交戦するが敗走し五稜郭に戻る。
最後まで抵抗を主張するが榎本に説得され降伏する。
のち、静岡に隠遁して余生を送る。
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小芝長之助の墓
もと公儀御庭番
いわゆる忍者か?
管理人が子供の頃、「うちのお寺には昔、忍者がいた」と聞かされていた人物で、当寺二十七世の頃(大正時代)まで存命し、円通寺の住み込み使用人となっていた。
函館戦争で戦死した土方歳三の遺体を五稜郭より引き取りに出向き、いずこかへ埋葬した本人。