1963年3月31日台東区下谷で誘拐され殺害された「村越吉展」ちゃん(当時4歳)の供養の為、建立されたもの。
当寺は遺体の発見現場、この事件を機に刑法も改正されるほどの昭和史上の大事件である。またこの事件で人命尊重の観点から「報道協定」が初めて行なわれた。
よしのぶ地蔵
八幡太郎義家奥羽征伐して賊首四十八をこの地に埋め四十八塚(首塚)を築く、これにより、この地が小塚原と呼ばれる事となった。

首塚の上に建っているのが、この寺の由緒「重興圓通寺記幵塔銘」が刻んである、七重の石塔である。

荒川区指定有形文化財(平成4年2月17日指定)
板碑4基も石塔の台座脇にある。
首塚・七重の塔
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