高山城三の丸より移築した、年貢米を収蔵したこの御蔵は、当時2棟あったが現存するのは1棟のみ日本で、年代が最古で最大規模の御蔵である現在は、展示室として明治維新までの古文書や、絵図、鎧など約250点を展示している。 <<おすすめ
<当時の大工風景>
チョウナと呼ばれる道具で木材から太い柱を削りだしている。左の写真上部の梁に注目。削った跡がよくわかる。
「チョウナ」は正しくは手斧と書く。丸刃と平刃の2種がある。
時代劇にでてくる御白洲。三角形のギザギザした石の責め台、1枚40キロもある抱き石。罪人を運ぶ召し捕りかご。壁には責めに使ったたたき棒などが展示されている。
<当時の拷問風景>
激痛のあまり、自白を強要される。
<復元された台所>
 かまどが並び、後方は洗い場。その外に井戸がある。
<復元された町年寄詰所>
<使者の間>  幕府の使者などの控え室
 駕籠が展示されている
<御役所> 当時の事務室
問題1
(答え 1カ所) 当時の建物が現存するのは全国で唯一、高山陣屋のみです。国の史跡に指定。

問題2
(答え 1600年頃 )高山城が造られた頃

問題3
(答え 岐阜県)入館のパンフレットには岐阜県教育委員会と記載されています。県が文化庁の援助を受けて昭和45年から平成8年まで三次にわたり約20億円かけて復元修理しました。

問題4
(答え 20年 )

問題5
(答え 大原彦四郎、大原亀五郎)
明和・安永・天明騒動と3つの騒動(百姓一揆)が起き、当時の代官が大原彦四郎、亀五郎であったので「大原騒動」とよばれ語り継がれています。
詳しくは、
第12代の代官大原彦四郎が1766年高山陣屋に着任し次々と新しい政策を推進したが、飛騨の民の大部分には喜ばしいことではなかった。御用商人との癒着も目にあまるものがあったという。

明和騒動 明和8年(1771年)
「官材の木材を切ることを止める」という命令に対する伐採人の反対。新しい年貢の納め方に対する農民の反対。新しい税に対する農民の反対。

伐採人には死活問題であり、年貢の納め方・新税に百姓の不満が爆発した。

安永騒動 安永2年(1773年)飛騨最大の一揆
新しく検地することに対する農民達の反対。
代官大原彦四郎が「元禄に検地した田は調べず、新しく作った田だけ検地する。」との約束を破り、古い田畑まですべて厳しく検地し過酷な年貢を課した。
この騒動で死刑13人、遠島17人ほか1万人近くに刑が加えられた。


天明騒動 天明7年(1787年)
郡代役所の不正を幕府へ訴える。彦四郎の死後、子の亀五郎が郡代となり悪政をおこなった。郡代は遠島、ほかの役人も打ち首、遠島、追放となった。松平老中へ訴えた農民側にも死罪判決が下った。


<年貢米が高く積まれた御蔵の内部>