昔、谷村に与九郎という方がおられたそうですが、その与九即さんについて、うちの祖母から聞いた伝説を書いてみます。あるとき、与九即さんが流町という所へ行ったそうです。流町は、現在の鷹狩橋から少し川上の 浅瀬を渡る一と筋の通り道だったといいます。まだ橋のないころだったのて、ここを渡って袈裟丸(けさまる)へ行ったようです。


 与九郎さんが流町へ来たとき、一人の年老いた坊さんが川岸に立っておられました。与九即ざんは、その坊さんに、「あなたは何をしていなさるのですか。」と聞きました。すると坊さんは、「わしは川向こうへ行きたいのですが、川の水が高くて困っております。」といわれました。与九郎さんは、とても気の優しい人でしたから、「それは本当にお気の毒です。 わたしが渡して進ぜましょう。」と、背負って向こう岸へ渡してあげました。坊さんは心から喜んでお礼を申してどこかへ去って行かれたそうです。


その夜、与九即さんが床にはいり寝てしばらくたってから、ふと目の前に、今日会った坊さんが現われました。
「先程は本当にありがとうございました。おかげさまでぬれることもなく、向こうへ渡ることがてきました。おんで渡してくださったあなたの優しさに、心からお礼を申します。今日のお礼と言っては何ですが、あなたの裏山の大谷の手前にある「あし谷」の清水がわき出ているところのそばを、掘ってみなさい。」と言われました。そこで目が覚めました。夢だったのです。


次の朝、与九郎さんは、まさかとは思いながら、教えられた所を掘ってみました。鷲いたことに本当だったのです。なんとそこには沢山のお金が埋めてありました。馬で七駄もありました。馬のくらの両側に一俵ずつ付けたのが一駄ですから、かますにつめたお金が十四俵もあったわけです。与九郎さんは、一躍、長者になったそうです。その銭は一風変わった銭で、永楽通宝などの支那銭ばかりでした。村の人は与九郎銭と呼んだそうです。もちろん、天下の通宝でどこへ行っても通用するものでした。


  その銭は今でも、残して持っておられる人もあるそうです。今、大村の浄徳寺さんに上っている寄進札の中に、『宝暦十三年金壱百両 谷村 与九郎』というのが目につきます。また、谷の信行寺さんの御堂の宮殿も、与九郎さんが寄進されたと聞いております

(古川のむかし話しより)