彫刻の天才  谷口与鹿(よろく) (1822〜1864)
代々大工を生業とする谷口家の次男として誕生東照宮造営時に彫刻を担当した中川吉兵衛を師匠とし彫りの技を見習い覚えたといわれている。29歳で高山を後にし京都に移った。それまでの間、全青春を屋台に燃焼させ尽くした。代表作は恵比須台、麒麟台、琴高台などの屋台彫刻にみられる。上の写真 麒麟台の「唐子群遊」は、童子、伏せ篭、餌をついばむ鶏などを写実的に彫りだし、その見事な表現と技術は見る人を驚嘆させた。(籠の中の鶏まで一本の木から掘り出すという、まさに神業である)恵比須台には一連の龍と、「手長」「足長」を配置した。これは「山の神(手が長いので高い木々の実が採れる)」と「海の神(足が長いので海の中に入って魚が獲れる)」をあらわしている。高山の鍛冶橋の欄干には、これがモニュメントとなっている。



豊明台の獅子の彫刻(上・下)
豊明台の彫刻は、屋台前後5態は村山民次郎、横6態は村山群鳳の彫りである。