起こし太鼓は、古くは祭りの開始を告げる合図として太鼓を打ち鳴らしたことに始ったといわれる。4月19日の夜9時半から20日未明にかけて行われる大神事となった。出立祭が終わると、「起こし太鼓主事」の総司がやぐら上に登り、起こし太鼓が始まる。2人の裸男はやぐらの台上に取り付けられた大太鼓に互いに背を向けて股がり、百数十人の担ぎ手に担がれて交互にばちを振りおろす。初めはゆっくり、そしてだんだん早くなり乱れ打ちとなる。調子が再びゆっくりとなると起し太鼓は出発する。
 付け太鼓は、起こし太鼓のやぐらの後方の最も近い位置に付けるのが名誉とされ、各町内の四ツ辻では、越し太鼓が通り過ぎると付け太鼓が跳び出し、付け太鼓同士がもみ合い、やがて後衛との激しいもみ合いも始まる。こうした攻防を繰り返しながら各町内を回り、打ち止めとなる。起こし太鼓は、やぐらに乗せた大太鼓に若者がまたがって打ち鳴らし、付け太鼓を手にした裸男たちがやぐらをめがけてぶつかり合う。
裸男が激しくぶつかり合いながら深夜午前1時半頃まで太鼓を打ち鳴らし、町内を巡航。最後は、打ち出しの元の場所へ戻ってくる。ここでは、乱れ打ちで打ち止めを迎える。
<右の画像撮影 岐阜新聞>
祭り会館前広場より出発する起こし太鼓。手前は、やぐら後方へ先を競って付けようと、ぶつかりあう「付け太鼓」。
 左奥は、起こし太鼓行列の先頭となる提灯持ちの人々。


  裸男、寒くないの?
この時期、みぞれや雪が舞うこともありました。雨に見舞われることもしばしば。しかし、起こし太鼓はおこなわれます。寒さから身を守るため、日本酒を口に含んで裸男の体に幾度も霧状に吹きかけます。やがて、体温によって乾くと皮膚の上に薄い膜ができあがり、体温が保護されるのです。飲んで、体の中からも温めます。昔からの知恵です。
やぐら太鼓のつくりかた
約半日をかけて、長さ8メートル、幅2.8メートル、高さ約3メートルのやぐらを組み上げます。やぐらは、太い丸太を麻縄で縛って組み上げ、下には支えの台車(昭和42年から取り付けた)を設置します。最後に、気多若宮神社から運んだ直径八十センチ、重さ約七十キロの大太鼓をこも(わら)でくるみ、「まくら」と「あぶみ」を取り付け担ぎ上げ、縄で縛り付けます.
太鼓をたたくバチは、自家製
太鼓打ちができるのは、一度限りという名誉な役目です。バチは、柳の生木(なまき)です。河原で探して、手に馴染むように削り本番用と予備の2本作ります。上打2名、横打2名計4名の組が打ち止めまでに5回交代します。
起こし太鼓の行列
無形文化財旗を先頭に高張り提灯、丸小提灯の千人以上の行列が続く。ドーン、ドーンと規則正しく打たれるやぐらは「ワッショイ、ワッショイ」のかけ声高らかに百数十名のやぐらの担い手にかつがれ、14,5名の前衛、8,90名の後衛に守られ進んでいく。
付け太鼓とは?
11の町内に1つずつあり、町内の紋が描かれた直径30数センチの小太鼓を、長さ3メートルくらいの丸太の中央に、麻縄で縛り付けたもの。20人ほどの若者がやぐらの後ろに付ける。やぐらに最も近い位置に付けるのが名誉とされているので激しい先頭争いを繰り広げる。四つ辻から付け太鼓が跳び出すと、やぐらの後衛がこれを阻止する。さらに、いくつもの付け太鼓がすごい勢いで突っ込んでくると激しいもみ合いになる。裸男のぶつかり合いが、見所である。
参考 「平成元年の古川祭」