明治〜大正時代、信州へ糸ひき稼ぎに行った飛騨の若い娘達が吹雪の中を命がけで通った野麦街道の難所、標高1672mの野麦峠。かつて13歳前後の娘達が列をなしてこの峠を越え、岡谷、諏訪の製糸工場へと向かいました。故郷へ帰る年の暮れには、雪の降り積もる険しい道中で、郷里の親に会うことも出来ず死んでいった娘たちも数多い。この峠には「お助け茶屋」と呼ばれる茶屋があり、旅人は疲れた体を休め、クマザサの生い茂る峠を信州へ、飛騨へと下っていった。ノンフィクション「ああ野麦峠」で知られ、女工哀史を語るうえで悲しい物語を秘めた所なのです。1979年(昭54)、映画「ああ野麦峠」(監督 山本薩夫 主演 大竹しのぶ 新日本映画・東宝配給 )が製作され、日本中を沸かせました。

 明治時代の生糸の生産は、当時の輸出総額の3分の1をささえていました。現金収入の少なかった飛騨の農家では、12歳そこそこの娘達が、野麦峠を越えて信州の製糸工場へ「糸ひき」として働きに行きました。そして、大みそかに持ち帰る糸ひきのお金は、飛騨の人々には、なくてはならない大切な収入になっていました。年の暮れから正月にかけての借金を返すためにも、あてにされたお金だったと言われています。


2月も半ばを過ぎると、信州へ働きに行く古川周辺の娘達は古川の八ツ三旅館に1泊し、次の日高山で、あちこちの村々から集まってきた人達と一緒になりました。
宿屋の前には、山一・山二・片倉組・小松組などの岡谷の製糸工場の社名を書いた看板や高張り提灯が立ち、娘を送ってきた親と子の別れがいつまでも続きました。


「ええか、しんぼうするんやぞ。ためらっていってこいよ。(気をつけて行きなさい)」
「ツォッツァマ(お父さん)も病気しなれんなよ。(病気にかからないように)」


 娘は泣き、見送る親たちも涙をこらえて別れを惜しみました。

 そして、何百、何千という女工が列をつくり、お互いに励まし合いながら、雪深い野麦峠を越えて信州へ旅立っていきました。


信州の工場では、わずかの賃金で、しかも1日に13〜14時間という長い時間働かされ、病気になっても休ませてもらえないくらい、厳しい生活だったそうです。さらに女工の寄宿舎には逃げ帰ると困るので、鉄のさんがはめられていました。
 当時、実際に働きに行ってみえた明治生まれの人達に話を聞いてみました。

「雪が降ってくりゃ、野麦峠には銭が降ると思って行け。と親にいわれたんやぜな」(明治15年生)

「おりだち(私たち)は、こんで(これで)飛騨とも別れるんやな、ツォッツァマ(お父さん)、カカサマ(お母さん)、まめでおってくれよ(元気でいて下さい)。といって、飛騨と信州の境で、みんなでしがみついて泣いたんやぜな」

13のとき、岡谷の山共製糸というとこへ7年契約で入ってな。姉4人といっしょで、姉はみんな百円工女やったもんで、オリ(私)も負けんように働いたもんやさ。みんなで稼いだ銭で、ツォッツァマ(お父さん)は毎年田んぼを買いなたと思うんやさ。たしか、あのころ1反(10アール)で100円か 150円くらいやと思うけどな」(明治24年生)

「岡谷の大和製糸へ
14のときから8年の間、野麦峠を越えて通ったんやぜな。入ったときゃ10円、2年目は25円、3年目には45円、8年目にはたしか95円もらったと思うけどな。そのほかに、賞与として1円、2円、3円、5円などを毎年ちょっとずつもらったんやさ」(明治31年生)

以上の話しでもわかるように、1年間働いて
100円もらえる人は優秀な人で、だれでも1日も早く100円工女になれることを願っていました。

こうした涙ぐましい女工達の働きによって、国は生糸の輸出を増やし、娘を出した農家では、現金収入を得ることができたのです。(参照 郷土古川より)

当時の百円の価値はどれくらいだったのでしょうか?
百円あれば家が建つといわれたほどでした。米一升が、12銭3厘・酒一升が20銭。(明治33年・100銭で1円) 当時の農家は、貧しくて白米は食べられず、ヒエや粟が混じった飯を食べていた。

どれくらいの人が糸ひき稼ぎにいったのでしょうか?
資料によると、旧山田村(神岡町)では300戸あるうち、560人が行った。一軒で2,3人のところもあった。国府村では、458名(明治43年)。ひとつの村でこれだけの数であるので、飛騨全体では凄い数になると思われるが、他の地域では当時のそうした記録が残っていない。

 女工哀史は粗悪な食事、長時間労働、低賃金が定説になっているが、飛騨関係の工女は食事が悪かった・低賃金だったと答えたものはいなかった。長時間労働についても苦しかったと答えたのはわずか3%だけで、後の大部分は「
それでも家の仕事より楽だった」と答えている。それもそのはず、家にいたらもっと長時間、重労働をしなければ食っていけなかった。
(ああ野麦峠より)
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製糸業をささえた、飛騨のおしん達