祭り屋台は、地方によって呼び方はまちまちで鉾(ほこ)・山・山車(だし)・地車・曳き山などと呼ばれています。人形を乗せるもの、歌舞伎などの演目を演じるもの、囃子方を乗せるものなど様々です。江戸神田祭りの影響もの、京都の祇園精霊会の影響のものなどいくつかに分類されます。

 飛騨地方には、高山の祭り屋台(23台)と古川の祭り屋台(9台)があり同じ系統のものです。高山祭りは、日本三大美祭(京都の祇園祭・秩父の夜祭り・高山祭り)に数えられ、春の4/14・15日枝神社の「山王祭」(屋台12台)と秋の10/9・10桜山八幡宮の「八幡祭」(屋台11台)の二つの祭りをいいます。

祭りの主役である屋台が豪華になったのは、江戸後期 文化、文政(1804年)の頃からといわれています。高山の豪商達は、屋台の改修に大金を出し大工や彫刻家、塗師たちに腕を競わせました。江戸・京都の豪華な建築と美術工芸を吸収し旧形や伝統にこだわらず新しいものを求め、高山独特の形を作り出しました。特に、一位一刀彫の飾りは最高のものです。

屋台のどこがすばらしいのか?
高山の屋台は別名「腰巻き屋台」とも呼ばれる。中段に、赤い布がぐるりと張って、腰巻きに似ているからです。織物がすばらしいのは、やはり京都の山鉾です。金具がすばらしいのは、高岡の山車です。決して高山の屋台では、ありません。それぞれの部分を比較すると劣るのですが、屋台の構造、装飾など全体の調和から眺めると最高なのです。動く陽明門といわれるほど、動く屋台は優雅にしなり飾り物が揺れ豪華にみえます。さらに画期的な構造は、狭い路地のその場で方向転換が簡単にできるよう「戻し車」が取り付けられています。

 屋台のすばらしい装飾写真1     装飾写真2   はこちらへ
古川の屋台について
江戸時代後期 文化・文政の頃創建されたと伝えられます。高山の組から屋台を譲り受けたものもあった。現在の屋台は明治・大正・昭和にかけ新築、または大改修されたものです。高山の屋台と同じような造りです。

 屋台の後側には、掛け軸がさりげなく吊られています。これを、見送り図といいます。4/19日は「替見送り」4/20日は「本見送り」をさげます。どれも一級品なのです。(高山の屋台にもあります)それでは、古川の貴重な見送り図をご紹介します。
極めて複雑巧妙な「布袋と唐子」のからくり。操方は8人。
巨大な白壁土蔵!
ひとつが高さ6m幅1.3m厚さ30cmの観音開き扉。上部が肩すぼまりになった見上げるような土蔵。実は、屋台を納めるための蔵なのです。江戸時代大火から守るため順次建てられました。
参考「飛騨の匠」「高山祭りの屋台」