正解は、 3.およそ40人
白川郷と五箇山地方の耕地の少ない集落では、かって10数人から40人に及ぶ一族が1軒の家屋に住む大家族制度がありました。この制度は、結婚は家長と、その跡継ぎになる長男だけに許されて、他の家族はとついだり、分家をすることは許されませんでした。

 そのため、甲家の男が乙家の女の処に夜忍んで行く、「夜ばい」を公然と許し合っていたモノで、子供ができると女方の家で養って家族とすることになっていました。日本では、この地方独特の制度として注目されましたが、明治の終わり頃から崩れはじめ、昭和に入りなくなりました。耕地の少ない集落では家計を、マユやヒエの生産にたよっていました。そのため、家族の労働力が必要でした。男の子が生まれると牛飼いができた、女の子が生まれると桑つみができたといって喜びました。