上田五郎平
文久2年(1862年)9月24日生・・・・昭和6年1月没(70歳)
明治24年 小鷹利村収入役
明治25年 小鷹利村助役
明治37年 小鷹利村村長 2期8年勤める
明治39年 勲七等青色桐葉章受賞

功績
入会林野(部落有林)を市町村有に引き上げる明治政府の方針に対し、農村部落の生活を脅かすものであるとして、県知事・郡長の説得に真っ向から反対し拒否し続けた。そして、入会林野に永代地上権(慣行使用権)を設定して、権利を確保した。現在、小鷹利地区の各集落は、他に比べて多くの山を有しているのは、この上田村長の決断によるところが多大である。

その後、昭和28年頃の市町村合併(古川町・細江村・小鷹利村)のとき仲間山が問題となり、反田国造氏(笹ケ洞出身)の骨折りで法学界の権威 我妻 栄先生に協力を依頼したところ、先生は東京大学の森林所有権研究会へ協力を指示された。所長の福島正夫氏他10名の教授等が多くの学生を助手にして数年間にわたり小鷹利地区の調査研究が行われた。合併に際しては、慣行使用権の完全な存続確認の条令を結んだ。
 この調査の成果が林野庁を動かし、昭和41年7月「入会林野等近代化法」が施行され、国の入会林野政策は180度の転換をした。

仲間山は住民が自由に入って薪を集めたり、下草を家畜のエサや田畑の肥料にしていた入会林野のこと。屋根の材料を集める茅場もあった。まさに農村生活の基盤そのものであった。
恵比須神社境内に功績を称えて、上田五郎平翁の石碑が建てられてある。