岩井戸観音全景
もう一つの御利益な話
 天保(1830〜43年)時代に岩井戸観音の開帳が営まれました。そのとき、高山の
大阪屋清七という方が、観音様の修繕寄付をされ、また、岩井戸全山に杉苗も植林されました。現在の参道の大杉は、大阪星清七さんが植えられたものだそうてす。

 
ここにまた不思議な話があります。その大阪屋清七さんが、岩井戸観音開帳の寄付金を募るため、ほかの五人の人たちと、高山付近を托鉢して回られました。雪の降る寒中に、七日七晩念仏を唱えて回られたのてすが、その途中て、吹雪に遭って道がわからなくなって困っていました。すると、一匹の黒犬が現われて、清七さんの前を道案内してくれたのてす。その黒犬こそ観音様の化身であったと気づき、ありがたいことだと感謝し、崇敬の念を深くしたということであります。

 (托鉢巡行の画像は、現在本堂の東側に掲げてあります。)



 寺
地では昔から、延焼するような大火はありませんか、ある夜、「火事だあ。」と、大声て村の中を、上から下へ呼び起こして通ったものがありました。事実、薪小屋が燃えていましたが、幸い発見が早く、村人がゑんな出てきて消したのてボヤですみました。火が消えてから、だれが呼び起こしてくれたかを調べましたが、呼んで回ったものはなかったそうてす。
  
これはきっと、観音様が呼び起こしてくださったのだろうということになり、いまさらのように、霊験あらたかな観音様を、心から崇拝したとのことであります。

<観音様のご加護を詳しく知りたい方のために・・・・>
ある年、清助さんは高山の陣屋へ年貢米を納めるため 自分の愛馬に米二俵を背負わせ、高山街道を行く途中、断崖の険しい所にさしかかりました。同じ時に寺地の水ノ上甚七さんも、年貢米納入のため、米俵をつけた馬をひいて、その難所にさしかかりました。 清助さんの馬と甚七さんの馬が競い合って、先を争い通りかけたそのとき、清助さんの馬が道を踏みはずし、米俵を背負ったまま、十間もある断崖に落ちていったのです。清助さんが馬のところへかけよってみると、なんと不思議なことに、愛馬はかすり傷一つなく無事てありました。
 一方、清助さんの家ても不思議なことかありました。清助さんの女房が針仕事をしていると、仏壇でいきなり「ガタン」と奇妙な音がしました。さっそく、女房が仏壇のとびらを開けてみると、観音様が中段の花台の上に倒れ落ちてござったのです。
「あら、もったいないことじゃ。」と、観音様を起こしてみると、
観音様の指が一本折れておりました。馬が断崖へ落ちる時刻と、観音様が仏壇で倒れられる時刻が同じだったのです。常日頃信心していた観音様が、身代りになってくださったというほかありません。こうして、観音様のご利益により、馬は無事で清助さんと帰ってくることができたということてす。(この観音様の指は、現在も一本折れておられます。)


飛騨七観音とは、
1718年 千島村(現 高山市千島町)飯山寺、西一色村(現 高山市西一色町)松倉堂、下保村(現 丹生川村下保)千光寺、八日町村(現 国府町八日町)大坂堂、鶴巣村(現 国府町鶴巣)清峰寺、袈裟丸村(現 古川町袈裟丸)慈眼寺、寺地村(現 古川町寺地)岩井戸をいいます。


参道
ここから、車で5分ほどで隣の寺地(てらじ)地区の岩井戸観音参道の入り口に行けます。20分ほど山道を、登ると到着です。途中に、150年以上の杉の大木が並んでいます。

標高700mの山の頂上付近にある岩の大きさに、びっくりします。高さ 20m幅 40mと思われる大岩から清水が、年中枯れることなくしたたり落ちています。本堂の横の岩穴には先住民族の住居跡があり、石器類、土器類が出土しました。

岩井戸観音のいわれ
飛騨七観音の1つとして古来より尊信されているこの観音像は、笹が洞の向小島城の守護観音として、笹が洞の「いわんばのこんもりやま」に安置してあった。その後、向小島城の滅亡とともに、寺地・笹が洞村民の手により、現在の岩井戸に移されたものと伝えられています。観音像は、木彫りで、高さは 23.5cmです。毎年6月に林昌寺の住職を招き観音様の供養を営む。
参道の樹齢150年以上の大杉
岩井戸本堂
他に2つの建物がある
岩井戸観音縁起より抜粋
今から150年くらい前の天保の時代に、観音様が乞食に盗まれ、杉崎の野木の清助という人に米3升で売られた。清助さんの家では、観音様のご加護と思われる不思議な出来事が起こったり(清助さんの米俵をつけた愛馬が難所の断崖から落ちたがかすり傷ひとつなく無事だった)、観音様の夢のお告げがあり岩井戸へ無事お連れしたという話がある。
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<前略>
 この野木の清助さんと、村が違う寺地の甚太郎、善七さんの三人が、同じ晩に観音様の夢のお告げを賜ったのです。清助さんの夢では、観音様が「私は、寺地の岩井戸観音であるから、明日岩井戸へ連れて行ってくれ」といわれた。
 甚太郎、善七さんの夢にも観音様が現れて、「私は、岩井戸観音である。今は、杉崎の清助さんのところに安置されているが、岩井戸へ帰りたいから、明日、連れに来てくれ。」といわれたのです。

 
 夢のお告げに従って、あくる日、清助さんは観音様を背負って寺地へ向かい、下野の池の山までやって来ました。すると、やはりお告げに従った甚太郎、善七さんが、反対側の道を登ってきたのです。ばったり合ったとき、
「もしや、あなたは杉崎の清助さんではありませんか?」「そうですが、何か?」
「私たちは、寺地の甚太郎と善七といいますが、ゆうべ、二人とも観音様からお告げを戴き、あなたのところへ観音様をお迎えに行くところです。」と話しますと、清助さんはびっくりして、「わたしも夢のお告げで、観音様が岩井戸へ連れて行ってくれといわれるのでこうして観音様を背負い申して、寺地へ向かっているところです。」


と、お互いの夢の不思議な一部始終を語り合ったのです。
寺地の二人は、清助さんから観音様を渡してもらい岩井戸へお連れ申したと言うことです。