県の天然記念物に指定された、天生(あもう)湿原の秋。 紅葉が始まりつつある。
(平成13年10月6日撮影)  パノラマ写真ですので右へスクロールしてください
高原のススキも満開
河合町から白川村へ通じる国道360号線があります。工事や小規模災害などで通行できる期間が非常に短いのですが、紅葉の秋にはまず大丈夫です。山道で狭い箇所もあるので、対向車に注意し慎重に運転してください。この峠を、天生(あもう)峠と呼んでいます。
天生峠頂上には、60台ほどの駐車スペースがあります。ここから、1.3kmほど山道を歩くと、天生湿原に到着します。さらに、3km程進むとブナの原生林に出会います。この日も、多くのトレッキングを楽しむ人たちに会いました。
天生峠の頂上から南へ山道づたいに約2キロ行くと、広い湿原にでる。俗に匠屋敷(たくみやしき)とか田形と呼ばれるこの湿原は、飛騨の匠の代表ともいうべき仏師・止利(とり)の住居と田んぼの跡だと伝えられる。籾糠山の真ん中にある小さなほこらを囲んで、雪解けの頃には水芭蕉をはじめ湿生植物が咲き乱れる。

623年に、法隆寺釈迦三尊の制作を命ぜられた
止利は、この天生峠のふもと河合村の月ケ瀬で生まれたと信じられている。帰化人 鞍作部多須奈(くらつくりべのたすな)は良材を求めて飛騨に入り、小鳥川(おどりがわ)のほとりで九郎兵衛の娘しのぶと知り合い、そこに生まれたの止利だという。鼻は、カラス天狗のように曲がってとんがり、赤毛で、ぎょろ目、まるで鳥のような子どもだったので、こんな名前が付いたという。おそらく、父の多須奈はシルクロードを来た異邦人だったのだろう。

  
また、一説には、娘しのぶは非常に醜い女で、小鳥川に写る月をすくって飲んだら止利を身ごもったという。その場所を月ケ瀬と呼ぶようになり、天から授かったこの生まれ地を「天生」と名付けたともいう。
 
九郎兵衛の家は小さなくず家で、大正までは月ケ瀬の橋を渡ったところにあったが、火災で焼け、今はない。(飛騨百景より
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