忍流---
嘗て闇の世を一手に総括していた忍衆
忍の集落としては広大な規模を持った流の忍の里は、一夜にして里の人間諸共跡形も無く姿を消した
唯一人、幼い少女一人だけを取り残し
忍流頭領が娘、
当時十三歳にして皆伝を与えられた才女は独り路頭に迷う事となるも、
以前より幾度か交流の有った郷田家当主・郷田松之信が手を差し伸べたのだった

そして此れは、其れより八年の歳月が流れた頃の話になる













太陽の光に輝く川の水と、其れを囲む様至る処に生い茂る樹木
郷田領のとある山奥、緑溢れる其処は闇に蠢く無数の影が闊歩する悍ましい地と化していた
半月程前より城下で噂される人攫いの話のせいである
其の一団、天狗を模した面を付け度々町へ降りて来ては町娘を攫うと言う
極悪非道の限りを尽くす山賊達に天誅を下すよう、
主・郷田松之信の命を受けた力丸は、単身緑生い茂る山巓へと脚を運んだ

「…何時しかの天狗を思い出すな…」

ぽつりと、深緑に身を潜めつつ力丸は小さく呟きを漏らした
何時の日か起きた天狗騒動、己を実の弟の様に可愛がってくれた兄弟子、彼の人の死
其れと同時、己の前から姿を消した一人の少女…
其処考えて力丸はふるりと首を横に振った
忍に感情は不要、今は任を遂行するのみと、己に言い聞かせ刀を握る
辺りはしんと静まり返り人の気配すら無い、息を殺し一歩、又一歩と深淵へと進み行く
ふと、梢に下がる人影に気付き力丸は木陰に身を隠す
暫し様子を窺うも一向に身動きしない人影を不審に思いそろりと近付いた

「息が無い…?」

枝にぶら下がる様に息絶えている天狗の面を被った山賊
背中に一つ小さな風穴が開いており、躯の下には夥しい量の血が滴っていた
傷からして一撃で葬られたらしく刀は鞘に収まった儘で、
面を外し顔を見れば其の表情はまるで自身が息絶えた事すら知らぬかの様に凡常としたものだった
はっと、勢い良く顔を上げ辺りを見渡せば其の異様さにようやっと気付く
相変わらず人の気配が無い…否、既に無いと言うのが正しいか
至る場所に躯が転がって居り其れは誰一人として息をしている者は居なかった
どの躯にも一つの小さな傷が在るだけで其れ以外の外傷は見当たらない
ふと、以前にも似た光景を目の当たりにした事を思い出し無意識に身震いする

(此の傷痕は…)

胸中呟いた、其の時
一寸先の山小屋より野太い男の濁声が短く響き、再び辺りは静寂に包まれた
ちきりと音を立て十六夜を握り直すと力丸は息つく間も無く目途の場所へと駈け出した





勢い良く開けた扉の先、壁一面に赤黒く咲き乱れる曼珠沙華と其の根に横たわる巨躯の男
そして其れを見詰める一人の少女が眼に入り力丸は硬直する
否、少女と言うには大人び、双の膨らみは最後に見た時より幾分も大きくなっており
肩迄も無い短めの髪は金色に輝き、さらりと靡かせては優雅な動作で己へと振り返る
藤色の瞳はあの日と変わらぬ全てを見透かす様な曇り無い眼で、
闇に生きる者故か、露になった肩は深雪の様に白い
口を開き声を掛けようとするも言葉にならず、覆面に覆われる故か声は音にすらない
そんな力丸を見兼ねてか、黙って見詰めて居たくノ一がそっと唇を開く

「力、丸…?」

少し上擦った、吃驚と喜悦を含む其の声を聞けば力丸は唯静かに頷いた
眼の前では未だくノ一が駭然とした様相で己を見詰めて居り、
突き刺さる視線に耐え切れず音も無く近付けばぽんと大きな手を金色へ落とした

「何時帰った…否、今迄何処に…」
「郷田領へはつい先日入ったばかりだ」
「何故直ぐに城へ戻らなかった」

少し強めの口調でそう問えばくノ一は一瞬何か言いたげに口を開くも黙った儘憂いげに瞳を伏せた
彩女と一つしか違わぬ筈の彼女なのに何故こうも違って見えるのか、
ぼやく様に胸中呟いてはふっと其の考えを苦笑で飛ばす
考える迄も無い、彩女はあれだからこそ彩女なのだ、文句を言った処で変わる筈も無い
ふっと、力丸よりも小さな手が頭に乗せて居た筋張った手を退け少し距離を置く
じっと見詰める紫色(ししょく)の眼差しは幼い頃と変わらない
変わらない筈なのだが、どうしてか今眼の前の其れに酷く胸がざわめく
張り詰めた沈黙を先に破ったのはくノ一だった

「此方とて聞きたい事は山程有る、が…今は一先ず殿の元へ向かう」
「拙者の任も既に済んだ、共に行こう」

力丸の提案にくノ一はこくりと一つ頷いた
互い合図も無い儘、だが一寸違わぬ瞬間に勢い良く地を蹴り上げる
遠くなっていく躯の残る山を横目で眺め、力丸は声無き儘に拝した
空は陽が傾き、黄昏色に染まり始めていた





、何故先に城へ戻らなかった」

山の木々の枝を伝い郷田城へと戻る途中、半分程山を降りた辺りで不意に力丸が口を開く
声を掛けられたくノ一---はちらりと力丸を覗き見、再び視線を前へと戻した
互い音も無く直走る中、観念した様にがそっと口を開いた

「城への帰還途中此処を見付けた、其れだけの事」

其れだけ言えば口を閉ざすに其れ以上聞く事も出来ず再び沈黙する
木々の狭間を掛け抜けつつ、ふと力丸は横に在る相手に視線を向けた
真っ直ぐに前を見据える其の姿は己が知る相手よりずっと大人びて居て、
だが其れでいて何処か昔を思わせる、懐かしげな雰囲気を醸し出していた













八年前の雨夜
当時齢十三のは幾多の影に追われながら、一人深い林の中を駆けて居た
身体には無数の傷を作り息を乱し、只管に果て無き道を走り続ける
既に数刻、全速力で走り続けていた為か足元が覚束無い
不意にぐらりと視界が歪み勢いの儘に地へと身体が打ち付けられた

(殺られる…っ)

背後から大きく忍刀を振り下ろす男に、がきつく瞳を閉じた、刹那
己を追って来た男達の悲鳴が辺りに響き、其れを追う様に地へ転がる音が耳に入る
ゆるりと、恐る恐るが瞳を開けば己の前には凛と刀を構える男が一人
はと顔を上げ見渡せば彼の人の他に二人
己より年上らしき銀髪の青年が一人と、己と同じ位の少女が一人、刀を手に立ち尽くして居り
暫し呆然としていたは我に返り、痛みも忘れ飛び起きれば腰に差した双の刀を鞘から抜いた

「貴様らもの秘術が目当てか…!」
?あんた、の人間かい?」

少女の言葉にはきっと三人を睥睨し構えを崩さぬ儘じりじりと後ずさる
どうやら状況を理解したらしい長髪の男が、己の刀を鞘に納めつつゆっくりと近付いて来た
其れに倣う様に後ろに控えた二人も又刀を鞘へと戻す
二人が刀を仕舞うのを確認すれば、長髪の男は未だ警戒したを安心させる様優しく微笑み、
少し離れた場所へ片膝を付く
そっと、伸ばされた手は大きくも温かげで

「其方、流の忍か?」
「貴様には関係ない…!」

反発的な態度が癇に障ったらしい、少女が再び刀に手を伸ばすのを長髪の男が戒める
そんなやりとりを見つつはふと身体中に傷を負って居る事を思い出し眉を寄せた
特に深く刺された左腕をちらりと見れば肌が見えぬ程の血の量で、
傷だらけのを気遣う様今度は手を出さぬ儘男が口を開く

「俺は龍丸、此方が力丸で此方が彩女だ」
「…、…」
と言うのか、良い名だ」

極力緊張を解す様優しく話す龍丸、そんな相手に僅かながら気を許したは其の言葉に頬を紅潮させた
人と話すのは数日ぶりだった
況して己の名を褒められたのは生まれて初めてで
忍として産まれ生きて来た故に、名に意味等持って来なかった
故に、此れ程己の名を誇りに思った事は無かった
嬉しさと恥ずかしさに胸を高鳴らせるに少しは落ち着いたかと龍丸は再び、ゆっくりと距離を詰める
一瞬びくりと肩を揺らすも、今度は逃げる事はなかった

「俺達は郷田の忍、とは朋輩だ」
「郷田…松之信、様の…?」
「嗚、そうだ」

郷田松之信、忍衆とは以前より幾度か交流が有り其の名は耳にしていた
主君として従える事は無かったが郷田よりの任を何より優先として来た程の仲で、
の父である忍流頭領とは交友関係だった
郷田の名を聞き、眼の前の忍が味方であると解った瞬間、の身体から完全に力が抜けた
くたりと、構えていた刀を地に落とし膝を付いて項垂れる
此処数日、一時たりとも心休まる時間が無かった故の脱力で
無意識に涙を零すの頬を、後ろで黙って見て居た力丸がそっと指の腹で拭ってやる

「見るに追手は他の忍…何があった?」

力丸の声が静かな林に木霊した
生き延びるのに必死だったは其の声で思い出す、己が逃げる意味を
拭われた筈の涙が再び溢れ、身体の痛みでは無い、もっと酷く深い痛みが胸を貫く
声にならない声では咆哮する
どんよりとした鉛色の空は、そんなを嘲笑う様に雨脚を強めて行った












「……ま…、…力丸!」

己を呼ぶ声にはっと我に返り力丸は思わず脚を止める
顔を上げれば少し後ろで、困った様に眉間に皺を寄せ立ち尽くすが在り
すまなそうに眉を下げ視線を落す相手には小さく溜息を漏らし直ぐ隣迄歩み寄った
相も変わらず気難しそうな其の表情には僅かながら困惑が見え、
は躊躇いながらもそろりと、優しく力丸の背に手を触れさせる

「大丈夫か?」
「…応」

短く返事をする力丸を問い質そうとするも言葉にならず
そんなを知ってか知らずか、力丸は止めて居た脚を再び走らせた
暫し沈黙した後、先程問い損ねた事を思い出しが遠慮がちに唇を開く

「結局、龍丸は」
「………」
「そうか…私は二度も、兄上を失くしたのだな…」

自嘲気味な声で独り呟く、誰に言うでもない其の言葉が余りにも切なくて
隠しては居るも明らかに苦しげな顔の相手に力丸は後悔した
今更後悔した処で遅いと知りながらも、自身を責めずには居られなかった
にとって龍丸がどれ程大きな存在だったか、今になってやっと、気が付いた気がした



彼の雨夜の後、里を失くしたは松之信の提案により郷田お抱えの忍になる事になった
始め郷田の城に身を置くよう言われただったが彼女の傷心に其れは酷だと龍丸が口を挟み、
結局龍丸達の里に身を置く事になった、無論半ば強引にだが
暫くの間は他人行儀だったも若い事も手伝ってか直ぐ様里の人間と打ち解けて行った
特に歳の近い彩女、少し歳は離れて居るが優しく接してくれる力丸、
そして実の兄の様に可愛がってくれる龍丸とは兄弟弟子以上の仲だったのだ
四人の内誰か一人も抜けてはならない
そんな中、突然に引き裂かれた絆



「其れでも…良かった」

不意な相手の言葉に力丸はふいと視線を上向ける
隣を走るを見れば、哀しげな、だが何処か安堵した様な笑顔が其処に在り

「力丸が、彩女が、居てくれて良かった」

力丸は僅か眼を見開く、其の言葉の本当の意味等、誰にも解りはしなくとも
今にも泣き出しそうな顔の相手を見れば、無意識の内に其の小さな手を握り締めた

「私にも未だ、帰る場所が在る」
「…、嗚」
「だから私は生きる…生きて、帰らねばならない」

山を下り林を抜け、眼前には堅城・郷田城
他の任を受けた彩女も既に帰還した頃だろうと、思えば無意識に胸がざわめく
をまるで本当の妹の様に可愛がっていた彼の人の事、姿を見て一体どんな反応をするだろうか
普段散々からかわれているのだ、今度位は少し仕返してやろうと
胸中思案すれば無意識に笑いが込み上げ、力丸は小さく忍び笑った
左手に握る小さな手は、あの日とは対に、ほんのりと温かかった















ひらり、ひらり、舞い踊るは緋色の蝶
陽炎の如く揺らめき羽ばたく幾多の火の粉
包み込むは、約束の地
紅蓮の月が嘲弄し見下ろす私の故郷(いばしょ)

燃え尽き 燃え尽き 戻らない

約束の、場所












09.8.8