「貴様、何奴!」

手に持って居た盆を放り、腰に差した双の刀へ素早く手を伸ばす
しゃら、と涼しげな音を立て抜かれた刃を相手へ向け、はキッと瞳を細めた
庇うように乗り出した為背後には己の主君、真田幸村が未だ呆気にとられた様に坐して居り、
二人の眼前には幸村と同じ紅蓮を纏う若武者と深緑を纏った忍
見るに紅蓮の若武者は幸村と同じ様に唖然とした様相で僅か口を開き言葉を失っている
一方の忍は流石と言うべきか、己と同じ様に得物を手に若武者を庇うように身構えて居り
恐らくは其の若武者に仕える忍だろう、は刀を握る手に僅か力を込める
静まり返った室内の中、若武者の首に掛けられた六文銭が弱々しく音を立てた

















静かな昼下がり、戦も無ければ大きな擾乱も無く一日の半分が過ぎようとしている
女中達も一通り仕事を終え楽しみの噂話に花を咲かせる中、は一人幸村の部屋へと向かっていた
手には茶と茶請けにと先程作ったばかりの羊羹が乗せられている、無論幸村の為に作った物で
襖の前まで来れば僅か頬を上気させ、中に居るであろう相手にそっと声を掛ける

「幸村様、御茶を御持ちしました」

静々と声を掛け少し待つも一向に返事が無い
何時もなら一呼吸置いて直ぐ柔らかな声が返って来るのに、だ
は微か躊躇い、瞬間からりと音を立て襖を開けた
午後から執務の為机に向かっていると言って居た幸村は普段の具足姿では無く朱色を主とした袴姿で、
其の前には在る筈の無い、彼の人を連想させる紅蓮の具足を纏った男が在った
そして冒頭に至る

「貴様、何奴!」

其の声と共に紅蓮の背後より深緑が前へ躍り出る、其の手には鈍く光る得物が握られて居り
は手に持って居た盆を放り、腰に差した双の刀へ素早く手を伸ばす
しゃら、と涼しげな音を立て抜かれた刃を相手へ向けキッと瞳を細めた
己の背後に在る主君、真田幸村は未だ呆気にとられた様に坐して居り、
眼前に居る男二人はぴくりとも動かない
否、紅蓮の若武者は幸村と同じ様に唖然とした様相で僅か口を開き言葉を失っているし、
一方の忍は己と同じ様に得物を手に若武者を庇うように身構えて居る
室内に立ち込める互いの殺気故、其の場の誰一人も身動き出来ずに居るのだ
静まり返った室内の中、若武者の首に掛けられた六文銭だけが弱々しく音を立てた

はっと、我に返った様に身を揺らし若武者が飛び上る
其れに僅か驚きが刀を向けようとすれば先迄黙っていた忍が素早く得物を振り上げた
大きな金属音と共に其れを受け止めれば迫る忍の顔をきつく睨み付ける
鍔迫り合いが長引けば此方が不利とが相手の刃を勢い良く振り払おうとした、其の時

「ももも、勿体無いでござるぁあ!」

の正面、忍の背後より大声で、情けなく叫び出す若武者に思わず眼を丸くする
何に対しての言葉なのか全く理解出来ないと幸村は互い顔を見合わせ首を捻る
一方忍も又先程迄の殺気は何処へやら、飽きれた様な、疲れ切った溜息を漏らす
紅蓮の若武者は唯一人、眼に涙を浮かべながら床に無残に散らかる茶請けの羊羹を見詰めていた





「…で、其方が真田幸村、そして其の従者の猿飛佐助と?」

広間へと移り幸村の横に控えたが静かに問えば眼の前に坐した二人は声無き儘に小さく頷く
あれから落ち着いた(興が醒めた)忍二人は各々得物を仕舞い、
また未だ何処か惚けた各々の主人を交え話し合う事となった
話を聞けばどうやら戦の最中、松永とやらの爆破に巻き込まれ吹き飛ばされ、
気が付いた時には此の上田城に居たと言う
主君、武田信玄が未だ戦場に残って居るからと慌て城内から出ようとあちこち走り廻って居たのだが、
当然ながら造りを知らぬ為迷い、勢い良く開いた襖の先が幸村の部屋だったのだ
因みに二人が開いた襖は内側、が開けた襖は庭に続く外側の襖だった為鉢合わせする形になったのだ
そして互いの世界の話もした結果、二人は異世界である此処へ飛ばされたと言う結果に落ち着いた
…否、一人だけ未だ納得行かぬ表情なのだが

「異世界等…信じられん」
「だけど現に、うちの大将とこっちの大将は別人な訳だしなぁ」
「其れに某も同じ真田幸村でござる」

不貞腐れた様な顔の儘口許に手を当て考え込むもふと頭に手が置かれはそろりと上向く、
其処には何時もの笑みを浮かべる己の主君、幸村の顔が在り

「兎に角出逢ったのも何かの縁、元の世界へ帰れる迄は此処へ居られると良いでしょう」
「なっ…幸村様!」

にこにこと微笑みそう告げる幸村には思わず声を荒げる
幾ら御人好しと言えど出逢ったばかりの、況してや普通なら明らかに怪しい人間をあろう事か己の傍に置く等と
全てを言葉にしないものの視線でそう訴えかけるも幸村は再びふっと笑みを向けるだけで
ぎりりと、が奥歯を噛み締めれば幸村がそっと其の華奢な肩に手を掛けた
ぴくと身を揺らす相手に構わず両の肩に手を添えれば、幸村は真っ直ぐな眼差しでを見詰める

、其方が私を案じてくれるのは本当に嬉しく思う」
「幸村様…」
「だが今、己の眼の前で困って居る人間を見捨てる等私には出来ない…解ってくれ」

切なげな、悩ましげな表情で小さく言う幸村にははっと眼を開く
そしてわなわなと小刻みに身を震わせたかと思えば優しくも力強く肩に置かれていた其の手をぎゅうと握り締めた
周りは既に華が咲き乱れ桃源郷を思わせる概況で

「御赦し下さい幸村様、の此の心の狭さ…お恥ずかしい限りに」
…」
「そして、幸村様の其の御心の広さに感服致しました…!」

語尾を上ずらせ僅か昂った様に相手を見詰めると、其れに気付いているのか居ないのかにこにこと笑む幸村を眼前に、
もう一人の幸村は破廉恥だ!と両手で顔を隠し、佐助はやはり飽きれた様に肩を竦めていた
こうして主君と同じ名を持つ---別世界の---幸村と其の従者の佐助が上田城へと身を寄せる事となったのだった















二人が此処、上田城へ来てから数日
元の世界へ帰る為に彼是試してはいるものの何の進展も無く、
普段安逸な婆娑羅幸村---解り辛いので勝手にそう呼ぶ事にした---も僅かに焦り出していた
日を追う毎に落ち着きが無くなり、見るからに疲れ切った様子が痛々しい
食事と睡眠はしっかり摂っているが精神的な疲労が抜け切る事は無く
木の上より中庭で独り鍛練をする婆娑羅幸村を見詰め、は小さく溜息を漏らした

「あら、若しかしてうちの旦那に見惚れちゃってんの?」
「其れ以上口を開いたら一生閉じれなくするぞ」
「…ちゃんてかすがに似てんのなぁ…」

トンと僅かな振動と共にの在る木の上に現れた佐助がぼやくもは我関せずと視線すら向けず
目線の先で槍を振るう男が僅かふら付くのに気付けば再び、盛大に溜息を漏らした

「よろけながら鍛錬などしても無意味、今直ぐ休ませたらどうだ」

くいと顎で婆娑羅幸村を指せば今度は佐助が溜息を吐いた
聞けば既に何度か休息を促したのだが無駄だったのだと言う
身体を動かして居ないと居てもたっても居られない、
そう言う婆娑羅幸村の顔には貼り付けた笑顔と隠しきれない深憂が見え

「俺様だってどうにかしてやりたいよ…」

そう、何処か弱々しく呟く相手にはついと顔を上げる
何時もは気丈に振る舞っていた佐助だが、やはり心の奥では不安に駆られており
此処へ来て初めて見る佐助のそんな姿にも又微かに眉を顰めた

「我等も帰る手立てを探している」
「…すまない」
「今は休め…あいつも、お前も…」

何処か切なげな声で其れだけ残しは一陣の風と共に姿を消した
辺りには婆娑羅幸村が槍を振るう音だけが響き、佐助はふっと口元を緩める
先迄が在った其処へ無意識に伸び掛けた腕を引くとぎゅうと強く握り締めた
やれやれとわざとらしく肩を竦めれば蒼穹を仰ぐ、穏やかな空気が今は酷く重く感じ

「俺様ってこんなに女々しかったかねぇ?」

誰に問うでも無く呟けば己の足元で未だ鍛錬に励む主君を見下ろす
言われた通り今は休もうと、言う事の聞かない駄々っ子を説得させる為佐助は音も無く木から飛び降りた








「幸村様、御茶を御持ちしました」

佐助と別れたは幸村の部屋へ訪れた、其の手には淹れ立ての茶を乗せた盆が握られており
何時もの様に相手からの返事を待って居ればからりと音を立て襖が開かれた
其処には主君幸村の他に二つの姿が在り、は僅かながら表情を歪める

「ちょっとちょっと、あからさまに嫌そうな顔しないでよ」
「す、すみませぬ殿、某は遠慮したのですが…」

鍛練を無理矢理切り上げられた婆娑羅幸村と佐助は部屋へ帰る途中、
偶然出くわした幸村に共に茶でもと誘われたらしい
各々思う事を口にする二人を軽く無視し脇を抜け、は幸村の前へ行けばそっと茶を差し出す
そして椀の傍に茶請けを置けば今の今迄おずおずとしていた婆娑羅幸村がはっと眼を見開いた
くんくんと、まるで子犬の様に鼻を鳴らしが置いた茶請け---蕨餅---を物欲しげに見詰めており
槍を持つ時の精悍な姿とも帰れぬ事からの不安に押し潰されそうな姿とも違う、
御預けされた犬の様な相手には飽きれた様に息を吐いた

「すすす、すみませぬ!…余りに美味しそうな甘味でした故、つい…」
「其方のはこっちだ」

持って来た幸村の分とは別の、盆に乗っていたもう一つの茶請けを婆娑羅幸村へと差し出す
其処には先程の物と同じ蕨餅が乗せられており
状況を飲み込めない婆娑羅幸村は眼を白黒させ蕨餅との顔を交互に見比べた

「猿飛から聞いた、其方が大の甘味好きだとな」
「う…恥ずかしながら…」
「何も恥ずかしくはなかろう?」

羞恥と申し訳無さに肩を縮めしゅんとすれば続くの言葉に婆娑羅幸村はおずおずと顔を上げる
其処には至って真面目な、何時もと変わらぬ表情のが在り
てっきり笑われるか呆れられると思っていた婆娑羅幸村は僅か呆け、我に返れば嬉しげに頬を紅潮させた
むず痒い、何とも言えない感覚にきゅうと唇を紡ぐ

「幸村様の分を取られては困るしな」

ふいと顔を背け言えばはすっくと立ち上がる
どうしたかと問う佐助の悠長な声に顔だけ向け、足りない分の茶を持ってくると伝えた
無論ながら此処、幸村の部屋に二人が集まってるとは思いもよらず、一人分の茶しか持って来なかったのだ
…茶請けの蕨餅だけは婆娑羅幸村へ先に渡そうと持ち歩いていたのだが
ふと、天井裏より知った気配を微かに感じる、恐らく彼女も茶を飲みに来たのだろうと
が部屋を出ようとすれば後ろより佐助が歩み寄るのに気付き視線を向ける
にっこりと、人好きする其の笑顔が此処数日で少し可愛いと感じる様になっていて

「俺様も手伝うよ、働かざる者食うべからずってね」
「では某も…、」
「旦那は此処に居てちょーだい、また茶碗割られたら困るからね」

---昨晩の話、
衣食住の礼にと手伝いを申し出た婆娑羅幸村だったが元より身体を動かしたり力仕事を得意とする彼の事
洗って居た茶碗は勿論周りに置かれた皿達迄も見事なまでに全滅させてくれたのだ
一方の佐助は流石と言うべきか、
掃除や食事の支度等家事全般を完璧にこなし充分に貢献してくれたのは言う迄も無いだろう
痛い所を突かれ膝立ちになった婆娑羅幸村はぐっと押し留まる
不服そうにする相手に佐助より先にが折れ、茶を運ぶ位なら良いだろうと口を挟む
途端嬉しそうに表情輝かせ、婆娑羅幸村は意気揚々と部屋を飛び出す
其の後を二人が追い婆娑羅幸村を筆頭に三人は部屋を後にした
先程迄の賑やかさは何処へやら、静まり返った室内で幸村は椀の中揺れる茶をじっと見詰める
凛とした様相とは裏腹、其の胸中は穏やかでは無く

「幸村様、もたもたしてたら奪われちゃいますぜぃ?」
「な、くのいち…!?」

屋根裏より音も無く降り立ったくのいちの言葉に幸村は微か動揺し、慌て相手を睨みつける
睨みつけられたくのいちは微塵も悪びれる事無くどしりと畳の上に座り込み、
一方の幸村はと言えば居た堪れず顔を背けては温くなった茶を一気に啜った

「相手は熱血純情好青年“真田幸村”に御色気腕利き忍者ですからねぇ〜」
「だから何だと、」
「…何時迄此の儘でいるつもりですか」

不意に真剣な声を出すくのいちに背を向け立って居た幸村はふと顔を相手に向ける
くのいちは声同様真摯な表情でじっと幸村を見据えて居り
何の事だと、幸村が口を開き掛けるもくのいちが勢い良く立ち上がり言葉を噤む
何時になく鋭い視線が全てを見透かすかの様に突き刺さる

「何時迄も自分の傍に在ると思ったら大間違いですよ」

吐き捨てる様に其れだけ言えばくのいちは現れた時と同じ様に音も無く其の場から掻き消えた
取り残された幸村は一人立ち尽くし、彼女が居た場所を唯じっと見据える
相手が何を言いたいのか解らない訳では無い
寧ろ、彼等---婆娑羅幸村達---が来て、今迄霧に隠れて居た己の本心を痛い程知らされたのだ
知らぬ振りをし、気付かぬ事でずっと変わらぬ関係を続けようとしていた己が誰より憎く恥ずかしく



「幸村様?」



不意に声を掛けられ幸村は僅か身を揺らし、襖の前に在る三人に視線を向ける
心配そうに此方を見詰めると眼が合えば大事無いと首を振って見せた

「立ち尽くして居られた様ですが…何か?」
「否、何でもない…」

滑稽な己自身に苦笑すればが再び首を捻り、未だ心配げに幸村を見詰めて居る
そんな達に座る様促し、己も又畳の上へと腰を下ろす
婆娑羅幸村と佐助は手に持った茶へと口を付け始め、は幸村の空になった湯呑へ湯気立つ茶を注いだ
僅か静寂が続き、重苦しい空気に耐え切れぬとばかりにが先に口を開く

「…くのいちの気配が在りましたが」
「くのいちなら用が有ると直ぐに行ってしまった」

真実では無いが直ぐに出て行ったのは事実だと、胸中自分自身へ言い訳する
そして注がれたばかりの茶をゆっくりと飲み下した後、ふと顔を上げへと視線を向けた
婆娑羅幸村の食べ散らかした茶請けを片付けて居る相手の横顔にどきりと胸が高鳴る

殿、某みたらしが食べたいでござる!」
「今日は幸村様の御希望で蕨餅だと言っているだろう」
ちゃん、うちの旦那も一応“幸村”なんだけど…」

佐助の言葉を聞けば幸村は不意に嫌な汗が噴き出るのを感じた
眼の前に居るのは他人で在り自身在る男
もしも、が“真田幸村”と言う人間に惚れて居るのであれば眼の前に居る“幸村”も例外では無く
寧ろ己よりも感性豊かで感情を素直に表現出来るあちらの“幸村”の方が魅力的なのではないかと、
幸村らしからぬ消極的な思考ばかりが脳裏を過る

「煩い、上げ足を取るな!猿飛!」
「ちょっ、其の呼び方へこむんだけどなぁ…」
「全く…明日にでも作ってやるから、今日は大人しく蕨餅を食べて居ろ」

叱咤しながらも何処か楽しげな相手にずきりと胸が痛むのを感じ、幸村は一度瞳を伏せた
そして何だかんだと言いながらも婆娑羅幸村の甘えを受け入れるに胸の奥が焦げる様に熱くなる
己の知らぬ感情に躊躇いながら、ふっとと眼が合えば幸村は何時もの笑みを作って見せた

、明日は練り切りが食したい」
「…練り切り、ですか…?」
「季節に合わせ…そうだな、撫子の練り切りが良い」

にっこりと微笑んだ儘そう告げれば幸村は満足した様相で立ち上がり庭へと降りて行った
見え見えの嫉妬心に気付いたのは此の場で一人だけで、
幸村の背を眼で追いと婆娑羅幸村は微か唖然とし、佐助は独りはぁと大きく溜息を吐いた

「まぁ、壁は大きい方が恋も燃え上がるけどさ…」

流石に此れは大き過ぎだと、佐助の脆弱な声は静かな上田城に小さく木霊した










09.7.16