紅葉溢れる此処、上田城の庭では周りの紅に埋もれる様に、
其れで居て凛とした空気を纏う紅蓮の若武者が今日も鍛錬に精を出していた
そして其の姿を離れた木の上より見詰める影…言わずもがな、元豊臣忍軍隊長である
朝餉を済ませた幸村は普段通り槍の鍛錬に励み、そんな相手にも又何時もの様に見惚れているのだ
無論彼女にも任が充てられたり己の鍛錬をこなしもする
だが其れらは殆んど陽が沈んだ後行う事で、陽の高い内、特に午前中はずっと幸村の傍に在り
何時睡眠を取っているのか、等の問いは最早愚問だ

、其処に居るか?」

不意に声を掛けられは素早く幸村の前へ膝を付く
さらりと髪を撫でる風が日を追う毎に冷たくなってきたと、胸中呟きを漏らす

---幸村がを呼び捨てる様になったのは木の葉が染まり始めた頃、
くのいちが渋る幸村を何とか納得させたのだ
初めに其れを望んだのは自身で、
何時までも(無自覚に)余所余所しい幸村に耐え切れずくのいちへ泣き付いたのだ
そしてくのいちと言えば、余りの進展の無さに興味本位と少しの憐れみに重い腰を上げたのだった---

「久方振りに手合わせ願えるか」
「はっ…で、宜しければ…」

言いつつも、此処へ来て何度目かの手合わせには僅か身を震わせて居た
戦忍として育てられたにとって刀を振るう事は何よりの存在価値であり、
其れに加え盲愛する相手に手合わせを頼まれたのだ、此れを喜ばずしてどうしようか
未だ躊躇いつつもそっと己の愛刀へと手を伸ばす
静かな上田城の一角、其処は正しく戦場へと変わった












同刻
上田城近傍に二つの人影が在った
一つは小柄で鳶色の髪がさらさらと靡く、何処か中性的な顔立ちの男
もう一つは反対に大柄で、こちらも又漆黒の髪が風にさらりと靡く男
彼の人、石田三成と島左近は主秀吉の命により此処、信濃迄来ていた
命と言うのは無論、豊臣より真田へ仕える事となったの様子を見て来いとの事
唯あくまで様子を見るだけであり、其処に敵意や疑念等が在る訳では無い
言うなれば娘を思う親の心、と言った処だろうか

「殿、そんな膨れっ面しないで下さいよ」
「煩い、此の顔は元々だ」
(其れって自慢げに言う事ですかね)

二人は草むらに身を潜め先刻より幸村との様子を窺って居た
別に顔を出しても何も問題無いのだが、三成が頑なに其れを拒む為仕方なしとこうして居る
寧ろ隠れて覗き見ている方が疾しい行為なのだが生憎今の三成では其処迄考えられず
そんな己の主に溜息を噛み殺しつつ、左近は遠くに見える二人の様子にふっと笑みを浮かべた

「嗚、は益々可愛くなりましたね、活き活きしてる」
「…っ」

恋とは何と良い物か、等と冗談混じりに言う左近をキッと睨みつつ三成も視線を向ける
其の先には刃を交えるの姿
が豊臣に仕えていた頃、己も時折だがああして鍛錬の相手を頼んだ事が有った
無論戦の経験が多い彼女が毎回勝って居たのだが、不思議と悔しさは無く、
唯胸の内蝕む様な熱を酷く息苦しく感じていた
今己の瞳に映るは、姿形こそ同じだが一つ一つの仕草を見れば其の変化は一目瞭然で

(嗚、何故俺では無かったのだ…)

隣に居る左近に気付かれぬ様、ほんの僅か眉根を寄せた
其の時、不意に背筋が凍る
慌て振り返ろうとした時には既に周りを囲まれて居り、三成は悔しさにチッと小さく舌打ちした
姿は見えないが明らかに殺気を向けられ、二人はじりじりと体制を整え各々の得物へと手を伸ばす
しかし其の手は獲物を握る事は無く、

「ありゃ、みっつぁんと左近の旦那、どしたの?」

何とも間の抜けた声に二人は呆然と立ち尽くす事になった
眼の前には黒を纏った忍が数名、其の中に不釣り合いな、派手な色を纏う一人の女忍者
くのいちはへらへらと笑いながら立ち尽くす二人に寄って来た

「そんな処で何してんの、怪し過ぎだからっ」
「貴様には関係無い、其れと其の呼び方は止めろと何時も言って…!」
「あ、若しかしての事?」

人懐っこい笑顔の儘くのいちが言えば口に出た其の名に三成はピクリと身を揺らした
其れに気付いてか気付かずか、くのいちは背後に控えた忍に一言二言告げた後再び二人へ振り返る
其処には何時もの厭らしい、意地悪い笑みが浮かんで居り
ヒクリと頬を引き攣らせる三成の手を取ればくのいちは有無を言わさぬ儘上田城へと脚を向けた








「流石です、幸村様」

手に握って居た双刀を鞘に納めつつ、は吐息混じりに告げる
負けを認める言葉とは裏腹、髪一房、息一つ乱さず居られるのはやはり忍としての腕前故か
一方勝ちを上げた幸村は僅か息を乱し、額には薄らと汗をかいている
傍から見れば敗者と勝者が真逆に取れるのは致し方ない事だろう

「否、其方が手を抜かなければ今頃は首が無かっただろう」
「その様な事はっ…」

地に跪いていたは勢い良く上体を起こすも眼の前には紅蓮が在り
汗に混じる彼独特の香が鼻腔を冒すが、其れさえ己には媚薬に過ぎず
地に膝付き見詰め合い、幸村がふっと微笑み漏らす
嗚、また此の眩暈かと
高鳴り一向に静まる気配の無い己の鼓動を何処か他人事の様に聞きながら、
は温かな笑みを向ける幸村の其の表情に見惚れ続けた
永遠に此の時が続けば良い…
そんな願いとは裏腹、二人の世界は何時もより少し短く、いとも容易く終焉を迎える事になる

「うぅ〜ん、今日も見事な悦っぷりだにゃあ♪」

締りの無い声が掛かれば幸村と同時が顔を上げる
唯違うのは、幸村が心底呆れているのに対し彼女の顔は阿修羅の如く歪んでいる位か
明らかに『邪魔をするな』と言った様子のに、
くのいちより数歩後方に居た三成と左近は顔を引き攣らせるしか無かった

「いやはや、人間って変われるもんなんですねぇ…」
「そんな調子で大丈夫なのか、幸村」
の腕前はみっつぁん達が良く知ってるじゃん?」

半ば呆れ半分、感心半分で二人が言えばくるりとくのいちが振り返りにまにまと笑みを向け言う
確かにの腕は傍で共に戦って来た己達が良く知っている
唯、己達が見て来たのは冷血且つ冷淡な忍
主の為なれば其れこそ何でもしていたが、幸村に向ける様な態度は無く、
秀吉に対する感情が敬愛ならば幸村に対する其れは偏愛と言った処か
此処迄何かに執着する姿を今まで一度も見なかったせいか、正直彼女の気が触れたのではと心配になった

「立ち話もなんです、どうぞ中へ」

庭先で、それも大勢で騒いでいたせいか女中達がちらちらと此方を覗き見るのを感じ幸村が口を開く
其の言葉に三成が断ろうとしたのだが横から左近が有り難く、と告げた為仕方無しに邪魔する事となった
暫し事の成り行きを見守っていたに振り返れば、其の手には何時の間にか用意された手拭いが在り、
幸村は其れを受け取り汗を拭いつつにこりと微笑み向ける

「すまぬが、何か茶菓子を頼めるか?」
「…は、直ぐに用意致します…」

僅か顔を赤らめ、きゅうと唇を結ぶとは一度深々と頭を下げる
そして言葉と共に紅葉を巻き上げ掻き消えるのを見届けた後、三成達は幸村に連れられ城の中へと案内された



広すぎず狭すぎず、無駄な物の無い其処は幸村の部屋
庭に面した縁側へ案内すれば四人は並んで腰を落ち着けた
暫し無言が辺りを包むと、心地良い風が一陣三成の髪を撫でる
静寂を破ったのは三成の凛然とした声だった

「…幸村、お前はどの様な気持ちであいつを引き留めたのだ」
「どの様な、とは…」

至極真面目な顔で悩む幸村に対し三成は何処か忌々しげに溜息を吐く
こいつは何も考えずに引き留めたのかと、考えるも其の考えは直ぐ様否定される
何も無ければ、態々女を引き留める様な奴では無い
だが目の前で首を捻る相手は本当に何も解って居らぬ様子で、三成はぽつりぽつりと言葉を選び再び幸村へ問う

「唯の腕の立つ忍としてか、それとも…」

ぎゅっと、幸村が両手を強く握り締める
三成が何を言いたいのか解っている、だがどうしても、其の答えが見出せない
唯の忍としてなら、を此処へ残しはしなかっただろう
己にはくのいちも居れば十勇士も居る、例えどれ程傑出した忍であろうと此れ以上召し抱える気は無い
それでも彼女を引き留めたのは、己の内に燻ぶる得も知れない熱い何かが無意識にそうさせていた
傍に置きたいと、共に在りたいと、渇望した

「何を言っても、恐らくあいつは豊臣には戻らんだろう…だがな、」

言葉を区切ると三成は僅か釣り上がった眼を鋭く細め、射る様に幸村へと視線をやる
其の様はまるで獲物を見据える獣の様で、幸村は胸中佐和山の狐とは良く言った物だと呟いた

「あいつは敬愛する秀吉様を裏切って迄お前の元に残ったのだ…っ」
「殿、其れ以上は野暮な事ですよ」

微か興奮した様に声を上ずらせ迫る様に言葉を吐く三成に左近が割って入る
どうやら三成自身気付かぬ内に熱くなっていたらしい、ごほんと一つ咳払いをし顔を背け暫し口を閉ざす
そんな男三人の遣り取りをくのいちは楽しげに見詰めていた、
無論其れに気付いて居るのは一人冷静な左近だけなのだが
少し押し黙った後、ようやっと平静を取り戻したのか再び三成が顔を上げる

「全てを受け入れろとは言わん…だが、あいつを疎かに扱うなら俺は無理やりにでもあいつを連れ帰る」
「…心得ました」

きっぱりと言い切られれば三成はこくりと頷く、其の表情は何処か複雑そうなものだったが、
当の幸村は何か吹っ切れたように清々しい顔をしていた



ふと、廊下より微かな気配を感じくのいちが振り返る
其れに倣い皆が襖を見れば、が丁度良く茶を持ち襖を開けた処だった
全員の視線が己に向けられている事に気付くも理由が解らずは僅か首を傾げる
そして幸村に手招きされれば頬を染め誠小さな声で「はい…」と言い四人の元へと茶を運ぶ
全員に茶を渡し、茶請けにと出来たての葛餅が添えられる
艶の良い餅にはたっぷりと黒蜜が掛かり、粉雪の様に黄な粉が掛けられており
一口含めば幸村も三成も、自然と口許が緩んでいた

「やはりの作る甘味は美味いな」
「有り難きお言葉…」

幸村の言葉に傍に控えたが頭を垂れるも何処か沈んだ様子で、
何かあったのかと左近が問うも何でもないの一点張り
三成は黙った儘茶を啜って居るが、流石の幸村でも様子がおかしい事に気付いたのだろう
そろりと控えめにの髪を撫でれば其の手を頬にやりそっと上向かせる
幸村の行動には顔を上気させ、高鳴る鼓動を抑える様にぎゅうと両手を胸の前で組む
視線が合えば、普段凛とした幸村の眼は僅か寂しげに細められており

「何かあったのか…私にも言えぬか?」
「幸、村…様…」

優しげでいて哀しげな其の声色にはふと瞼を下ろす
桜色の唇は微かに開かれており、長い睫がふるふると小さく震える
傍から見れば此れから口付けでもするのではと言う状況に流石の三成も顔を赤らめ、
持って居た扇を勢い良く開くと口許を隠す様に顔へと寄せた
しかし其れは、続くの言葉によってぽとりと床へ落ちる事となる

「幸村様の御好きなあんころ餅を御出ししたかったのですが…」

の言うあんころ餅とは、以前幸村がべた褒めした物である
豊臣に居た頃ねねに一通り料理を習って居たは良く幸村の為茶請けの甘味を作って居た
そしてたまたま作ったあんころ餅を幸村が褒めた処、以来何かと指定しない限り毎日其れが出て来たのである
幸村は甘党故、毎日其れでも構わないらしいが、
茶に付き合うくのいちは暫くの間あんころ餅を見ただけで逃げ出したとかいないとか

ぴしりと、三成の周りの空気が凍りつく
隣に居た左近も又何処か飽きれた様子で二人の会話を聞いている
取り残された中で一番冷静なのは恐らく此の二人の世界に慣れてしまったくのいちだろう
そんな周りを余所に尚も二人は独走する

「余りに時間が無く、その様な粗末な物しか御出し出来ず…」
「何を言う、の葛餅もまた信濃一…否、天下一だ」
「…幸村様…っ」

手を握り合い深く世界に入り込む二人に左近とくのいちは盛大に溜息を吐いた
一方の三成は、落した扇も其の儘に、余りの下らなさに青筋を立て勢い良く立ち上がる
今にも殴りかからんとする主を収めつつ、左近はけらけら笑い口を開く

「心配するだけ無駄だったようですな、殿」
「…煩い、其れ以上言うな」

痛む頭を抱えつつ、此の莫迦共の事を何と報告しようかと
悩む三成に左近は唯憐れみの眼差しを向けるしか出来なかった















後、信濃より帰還した三成達を待ち受けていたのは山積みされた一口大のあんころ餅だった
聞けばねねが、の元へ行く三成に土産として持たせようと作ったらしい
無論そんな物持たされた覚えの無い三成は顔を歪めたのだが、
持たせる前に城を発った事を咎められ其の理不尽さに更に表情を歪めた
そして罰として大量のあんころ餅を処分させられたのは言うまでも無く
其の後暫く、幸村に逢う度三成達の気分が悪くなったとかいないとか…










09.5.28