押し寄せる敵兵達を薙ぎ払う其の背中を追って、想うのは負の気持ちで
宵闇だからでは無い
眼の前は真っ暗で、貴方の背も霞んで見えて
溢れ出す涙を拭い、重たい刃を手に握る

慣れぬ其れは、肌が切れる程冷たかった










徳川軍が佐和山城内へと流れ込み、左近達は既に数刻前より己の前から姿を消していた
蛮声が段々と近づいて来る
此の城も保たないだろうと、は瞳を伏せ何処か他人事の様に思った
其の身には汚れ一つ無い具足を纏い、脇には余りにも長い刀を置いて
かちゃりと、音を立て己の武器を持てば三成が立ち上がる
僅かにも此方を見ず襖迄行くと背を向けた儘に口を開く

、俺は死ぬ気等無い、いざとなればお前の父を殺すつもりだ」

其の声には微塵にも震えは無かった
もまた、三成を見ず深く頷く
ふと髪に差された簪を取ればさらりと髪が零れ落ち、
とんぼ玉がきらりと光る其れを見ては大事そうに懐へと仕舞った

「…無理強いはしない、行きたいのなら行け」

己と在るよりも、馴染み親しむ者と在った方がと
言うも不意に背に温もりが寄り添い身を揺らす
嗚、自分は何て生き難いんだと
振り返れば其の小さな身体を抱き締めた
視線が合えば相も変らぬ憂いの帯びた表情で、三成はふっと口元を緩め笑って見せた

「行こう、俺達はこんな処で死ぬ訳にはいかんのだ…!」















城は焼け崩れ、綺麗に手入れされた庭には幾重にも屍が積み上げられ
辺りには人の焦げる悪臭が漂っている
城主である三成は大勢の徳川兵に囲まれた儘力無く地へ身体を横たえ、
其の妻、は三成の半歩後ろで刀を抱き立ち尽くしていた
佐和山は既に壊敗し負けは決まった
だが尚も三成を追い詰め其の首を刎ね様と兵達はじりじりと近付いて来る
眼の前に在る優しかった父の姿が、修羅と重なる

「三成殿、此れも強いては太平の世が為、恨む事なかれ」

家康が静かに口を開き其れだけ言うと、
傷付き地に横たわる三成へと半蔵が近付きぎらりと刃が突き付ける
ぞくりと、背を這う様な悪寒は己の憎悪其の物で
考えるより早く身体が動く
は三成の前へと立ち開かると引き摺る刀を鞘から抜いた
余りの重さにまともに構える事すら出来ない、其れでも引く事は出来なかった
半蔵の冷たい眼差しが己を射抜く

「半蔵…例え貴方でも……三成様を傷付けるのは、許さない…」

ふらりと身を揺らしながら互い視線を交える
幼き頃は半蔵の眼が怖かった
己の護衛にと置かれた半蔵は何時も表情が無く、其の眼差しはまるで全てを見透かす様で
だが共に在る時を重ねるに連れ、段々と小さな表情の変化に気付く事が出来る様になった
自分を見つめる時の瞳の柔らかさや温かさ
叱る時の、何処か切なげな、苦しげな様子
此の人は、忍に向いていないのかも知れない、そんな事を感じた事すらあった

、…」

弱々しい声に肩越しに顔だけ振り返れば三成の凛とした眼差しと眼が合い
腹からは夥しい量の赤が溢れ出ているのに、
痛みも知らぬ幼子の様に優しい笑顔を向けた
笑えぬ己の代わりにと、何度も何度も笑ってくれた其の姿が重なる

「三成様…っ」

耐えられず刀を落とせば三成の傍へと駆け寄る
上体を必死に持ち上げ、力無く地に投げ出された其の身を抱き締めた
己より暖かかった身体は近付く最期と共にゆっくりと、確実に冷たくなって
最早助からないと解っているのか、傷を庇う事無く縋り付くを抱き締め返した

「今からでも遅くは無い…彼方に、戻れ…」

家康達もまた其れを望んでいると、三成は静かに言う
が、ふるりと首を横に振ればはひっしと相手に抱き付き血濡れの首筋に顔を埋めた
鉄の匂いが鼻を刺しぬるりとした其れが肌に付く
熱かった血は外気に触れ刹那の内に冷たくなった

「…全部、のせい……」

掠れた声は周りの者には聞き取れず、唯一人三成にだけ届く
顔を上げれば絶望に満ち涙で濡れた眼と視線が合い、三成は困った様に笑んだ
何かある度こうして己を責める愛し人が心配で、残った力で赤く染まった腕を伸ばし涙を拭う
滅多に感情を表に出さなかったを三成は一度も咎める事はなかった
初めて、傍に在るだけで幸せを感じる事が出来た人だからと
笑えぬの代わりにと、二人の時は特に笑みを絶やさなかった
そして今も眼の前の愛し人に向け心からの笑顔を浮かべる
願わくば傍に在りたかったと、胸中涙を流しながら
陽だまりの様な、其の笑顔の儘



がいけないの…が、全部、悪いの…」



震える声が静寂を破り、よろける様にふらりと立ち上がった
其の手には三成の腰に差された刀が鞘から抜かれ鈍く光る
眼の前に伏せた己の想い人は既に事切れ、口許には柔らかな笑みを浮かべて居た
じりじりと近寄るに家康は手を差し伸べ様とする、が
黙った儘に其れを見ていた半蔵が二人の間に割って入りを見据える
其の瞳には既に、光は届いておらず
身を引き摺る様に家康の前迄来れば懐より短刀を取り出した
幼い頃、父である家康より貰い受けた懐刀
差し出されれば、半蔵達が警戒する中家康はそっと其れを受け取った

には最早…必要ありません…」

其れだけ残せば再び三成の元まで行き膝を付いた
戦と言う事を忘れてしまいそうな程静まり返る
陽は沈み掛け辺りを黄昏色が覆う
は一度だけ瞳を伏せ空を仰いだ

「殿、様を…!」

連れ返そうと、稲姫が言い掛けるのを、家康は静かに手で制した
握られた刀を見つめる
此れを返されたと言う事は、親子の縁を切ったと言う事を家康は理解していた
無論周りに居た半蔵や稲姫、忠勝を含む徳川の兵達も理解している
其れでもずっと共に生きて来たを、稲姫は引き留めずには居られなかった

「姫が初めて殿に対し己の意思を告げられたのだ、察して差し上げろ、稲」

娘の肩に手を乗せ、忠勝はじっとを見詰めていた
本当は己も同じ様に止めたかった
無理強いしてでも、城に連れ帰りたいと思っている
だが、今目の前で幸せそうに笑む相手を、三成から引き離す事は出来なかった
父である家康でさえ見た事の無い、純真無垢な微笑み
其処に居る誰もが魅入る様な其れに、誰一人身動き出来ず
は手に握る刀をゆっくりと掲げる
夕日に照らされた其れは血で染まったかの様で

「咎人は、だけで、良いの…」

振り下ろされた其れは肉を裂き、深く深く腹部へと突き立てる
誰にも告げる事の無かった、愛しく小さな儚い命
せめて苦しみを知る前にと、躊躇う事無く刀で刻む
そして腹部に刀を突き立てた儘横たわった三成の胸へと寄り添えば自然と笑みが零れた
腹から流れる熱い其れが、二人を包む様に地へと広がる
既に冷たくなった頬へ触れる
何時もと同じ様に、優しく温かな笑顔が其処に在った

「…此れ、は……?」

ふと、懐に目をやれば真赤な其れが顔を覗かせる
何時か三成がくれた牡丹一華は、血を吸い紅色に染まり
冷たくなった肌とは裏腹、熱く感じるほど熱を持ち

も…三成様を…」

冷たくなった頬に己の頬を寄せ
不意に何かが溢れるのを感じれば、瞳からは涙が零れ落ち
嗚、己もこんな風に涙を流せるのかと
無意識に笑みが零れる、貴方と同じ笑顔が嬉しくて







「…殿…」

静かに口を開く忠勝に対し家康は唯顔を俯かせていた
そして大きく息を吸えば、大声で勝鬨を上げる
勝利により一斉に辺りが騒ぎ出す中、忠勝達だけは口を噤み黙りこくる
眼の前に居る家康に何と声を掛けるべきか、思い浮かばない
すると、黙っていた家康がくるりと此方を向き引き上げだとだけ告げた
其の儘本陣へ向かう家康を見送り、稲姫はそっとへと視線を向ける
折り重なる様に横たわる二人の顔は至福に満ち溢れ、近付く事を許されぬ様で

「父上…稲と様は、余りにも…」

余りにも遠過ぎる、と
口にする前に視界が歪み零れそうになる言葉を飲み込んだ
忠勝は初めて戦場で涙する娘に、ただそっと頭を撫でる事しか出来なかった








己を包んでいた闇は何時しか消え
蒼く晴れ渡った空の下、優しく微笑む貴方が居て
二人で笑い合う、其れだけで私は幸せだから

、此れを…』

光の中の貴方は何時もと同じ笑顔の儘、あの真っ白な牡丹一華を差し出した










牡丹一華は色によって花言葉が違うらしいです
白は真心、赤は君を愛す、紫は貴方を信じて待つ




09.1.2