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「」
普段は何処か冷めた声色の其れが、の名を呼ぶ時だけは優しげだと
何時か左近に言われたのを思い出し、三成は相手の名を呼んだ後気まずそうに視線を逸らした
少し間を置いて部屋の奥からが出て来る
ふわり、と
が笑みを作れば三成は相変わらずぶっきら棒に手を差し出し、其の手へと己の手を重ねた
出逢ってから大分言葉を交わす様になったし、冗談も言われる様になった
けど、こうしたちょっとした事のたどたどしさを眼にすれば愛しさが込み上げると
じっと見つめて居ればむっと此方を睨む三成と視線が合い何でも無いと首を振った
「殿、準備が出来ましたぞ」
ひょいと庭先から顔を覗かせた左近と眼が合いはぺこりと頭を下げる
左近もまた同じ様に頭を下げ、にっと口端を上げた
其の奥からは馬の嘶きと、数人の人の声が聞こえる
何事かと首を傾げ三成を見ればふっと笑みを向けられた
「約束しただろう、外を見て廻るとな」
大分遅くなったが、今日一日はお前と共に城外を廻ると、繋いだ手を柔く引かれた
城門前には何人かの女中と二頭の馬が在り、
一人が此方に気が付くと皆次々と深く頭を下げた
三成に腕を引かれ其の中を通り、馬の前まで行けば馬の背を撫でやる
真っ白な馬は三成に撫でられ嬉しそうに鼻を鳴らした
相手が振り返ったかと思えば瞬間、ぐいと持ち上げられ馬の背へと横向きに乗せられ
驚きと恐怖に身を硬直させるに笑えば三成もまた其の背へと乗った
横から抱き締められれば触れた場所が心地良く
先までの怯えも忘れ、甘える様に躊躇いがちに相手の胸板へと身を寄せた
そんな二人の姿を周りの者が微笑ましく見つめていたが、
ごほんと言う左近の咳払いに慌てて視線を背ける
微笑ましいのは結構だが、また殿の機嫌が悪くなっては困る、と
溜息漏らせば左近もまたもう一頭の馬へと飛び乗り、三成達の傍へと寄る
「では殿、参りましょうか」
左近が女中達から荷物を受け取れば一行はゆっくりと脚を進め出した
空は快晴、日差しが柔らかな朝だった
数刻程経った頃、三成達は人で賑わう露天市場に立ち寄った
様々な物が並ぶ其処は堺顔負けの品揃えで、
興味深く視線を送るに気付けば馬を止め三成が先に地へ下りる
急になくなった温もりに寂しげな顔をするに大丈夫だと笑み、
手を伸ばせば相手を抱き締め地面へと降ろしてやった
初めて馬に乗った為かふわふわと足元が覚束無い相手の手をぎゅうと握り、三成は歩き出す
色とりどりの櫛や手鏡が並ぶ中、の視線が一点で止まる
三成が其れに気付きちろと視線の先を追えば、一つの簪に行き着いた
薄い桃色のとんぼ玉がきらりと光り、は見惚れる様にじっと其れを見つめている
「何かあったのか?」
解っていながらも問えば案の定、ふるりと首を横に振り何時もの愁いを帯びた表情に戻り
そうかとだけ言えば再び三成は脚を進めようとする
間、睨む様な何かを訴える左近の視線を払いながら三人は茶屋へと入った
あの時素直に甘えられて居たら、
貴方はもっと、私を好きになってくれたでしょうか?
左近が茶屋の横に馬を繋ぐ間、二人は向かい合い席に着き出された茶に口を付けていた
そこそこに人の居る店内は少しざわついており何時ものの声では三成には届かない
二人は黙った儘、頼んだ団子が出て来るのを待って居た
「殿、暫く此処で馬を預かって貰えるそうですよ」
言いながら近づいて来る左近に二人が視線を向ければ不意に三成が立ち上がった
何事かとが見詰める中、三成は左近へ一言二言何かを告げている
そして左近が解りましたと頷けば何処か嬉しそうに笑みを漏らし再び店の外へと出て行く
「何か…あったのです、か…?」
消えそうな声で問えば三成は椅子に腰掛けながら此方を見やる
不安げな表情のを見れば僅か不機嫌そうな顔になり何でも無いとだけ返した
再び沈黙が訪れれば先とは違い何処か気まずい雰囲気で、
耐え兼ねた三成がちらと視線を上げれば普段の数倍哀切を滲ませたの顔が眼に入った
見れば僅かに唇が動いている、また何時もの自分の世界に入っている様だ
小さく、聞こえない位小さく溜息を漏らせば椅子より立ち上がり、
狼狽える相手の横に座り優しく頭を撫でてやる
さらさらと漆黒の髪を撫でながらそっと顔を覗き込む
まるで親に叱られた子供の様にオロオロと視線を泳がせ、やっと此方に眼を向ける
「案ずるな、少し遣いを頼んだだけだ」
柔く笑みを向けながら言えば相手の白く小さな手を握ってやった
互い顔を上げ、暫し見つめ合う
ゆっくりとのふっくらとした唇が開きか細い声が零れる、刹那
お待たせしました!と、元気の良い声で店の店主が二人の前へと団子を置いた
三成は礼を言うと相手へと視線を戻す、が
既に話す事を諦め出された団子をじっと見つめるに、
ふっと微笑を漏らし二人は甘い団子へと手を伸ばしたのだった
其れから暫く二人で市場を見て廻った
相変わらず興味深そうに辺りを見渡すだが一度として物を強請る事も無く、
結局端から端まで見て歩き最後の一軒を覗き終えてしまった
ふと気が付けば空には夕闇が迫っており
後ろから三成を呼ぶ声が聞こえ、振り返ると二頭の馬を引いた左近が其処に居た
そろそろ城へと、躊躇いがちに言えば此処へ来る時に乗った馬の手綱を三成へと手渡す
「嗚…、そろそろ帰るぞ」
言いながら行きと同じ様に抱き上げ馬に乗せられ、
朝と同じ様にゆっくりとした足取りで城へと向かった
城に戻り何時も通り、三成と、そして左近の三人で夕餉を取る
城下で左近と離れてから三成は何処かそわそわとした様な、落ち着かない様子だった
其れにつられてか、左近もまた何処か忙しなく視線を泳がせて居る
だが眼を合わせれば三成はぐっと唇を噤み、
左近は「どうした?」等と言いへらりと笑って誤魔化す為何も問う事は出来ない
「三成様…が嫌いになったんだわ…」
不安に押し潰されそうになりぽつりと呟きを漏らす
其の声に左近はうぅ、と小さく呻き申し訳なさそうに持っていた箸を揃えて置いた
一方の三成は斜め横に座っているにも関わらず聞こえて居ないのか、
未だに何かを考える様に時折首を捻って居る
無論食事等殆んど口にはせず、箸で突いてたり持ち上げたりを繰り返す
沈黙に耐え切れなくなったのか左近は一つ咳払いをし、ゆっくりと三成に声を掛ける
「殿、もう宜しいのでは」
「何だ左近っ…!?」
間髪入れず、少し声を上擦らせ思い切り顔を上げる三成に、
は勿論声を掛けた左近もびくりと肩を揺らす
再び沈黙が三人を包む
左近は呆然と、は不安げに三成を見つめて居る
見る見る内に顔が紅くなる相手に嗚、まずいと左近は胸中呟き、
すっと立ち上がれば三成の傍へと膝を付いた
そして昼の三成と同じ様に何か伝えてはニカッと笑顔を向ける
「では、直ぐに酒を持って行きますので、先に向かって居て下さい」
と、其れだけ残し左近は早々と其の場を後にした
しんと静まり返る
先程とはまた違う静けさを先に破ったのは三成だった
「…殆んど残して居るではないか、しっかり食べろ」
つんと突き放す様な言い方だが其れは相手を想うが故の言葉で
ふと己の膳を見ればの物よりも明らかに残って居り、
ごめんなさいと謝る相手にきまりが悪そうに頭を掻いた
ぼろぼろになった煮物を食べながら三成に、夕餉を済ませたら晩酌を頼むと言われ、
は嬉しげに(表情には殆んど表れて居ないが)こくりと頷いた
「月が綺麗だな」
そう言う相手は未だ心此処に在らずと言った様子で、
は唯消え入りそうな声ではいとだけ返事をした
寄り添う二人の前には銚子が置かれ、は相手の持つ猪口へ酌をする
風の音と、時折庭の池を泳ぐ鯉が跳ねる水音だけが響く
ちらと横に視線をやれば憂慮の面持ちで己を見つめる相手と眼が合う
黒目勝ちの其の瞳は潤んでおり、視線が絡むと一度大きく揺れて見えた
「…」
優しく名を呼べば寄り添う身体を僅かに離し、風に揺れる黒髪に指を通す
さらりとした感触が心地よく何度か其れを繰り返し、
背中の辺りで一つに結われた紐をするりと解いた
何をしているのか解らないは僅か視線を泳がせながらもじっとして居る
其の様子を視界の隅に入れては再び手を動かし、
漆黒の髪を先より少し上に結いぐいと上に持ち上げた
器用に団子を作れば、すっと懐より何かを取り出し髪に差す
再び身体を離し相手を見つめて、三成は小さく良しと漏らした
「三成、様…?」
不思議そうに首を傾げ頭に掛かる僅かな重みへと指を寄せる
三成の懐に在った為か、ほんのりと暖かな其れは昼間見た簪で
恐る恐る顔を上げ相手を見れば先程よりずっと顔を赤くし視線を反らされた
「欲しい物が在るのなら正直に言えと言っただろう…
左近に頼んで、お前が見て居た物を買って来させたのだ」
あの時買おうとすれば遠慮するのは目に見えていたからな、と
相変わらずの口調で言うも己を見詰める其の眼差しは柔らかく
そろりと身体を近付ければ暖かな胸に頬を寄せた
「…嬉しい…」
ぽつりと零れた言葉に三成は微か眼を見開く
こうして気持ちを伝える事は珍しい、と
少しずつ、けれど確実に近づく互いの心に胸が温かくなるのを感じていた
出逢った時より愛らしいと感じては居たが此の消極的な思想を不安に思う事も多く、
笑顔一つまともに出来ぬ相手が本当に幸せと思っているのか解らなくなっていた
故に、率直な言葉を漏らす事は三成にとって相手の気持ちを知る一番の方法で
高鳴る鼓動を誤魔化す様にきつく相手を胸に閉じ込めた
「……三成様…」
震える声に慌てて力を抜く
仮にも女、況して箸より重い物を持った事が無い様な箱入り娘
強く抱き過ぎたかと視線をやれば、困惑した様に視線を泳がせるの姿が在った
何事かと首を傾げれば小さく身を揺らし、ぎゅっと手を握り締めている
言わねばならない、此れ以上先延ばしに等出来ない
が意を決し、少し乾いた唇をゆっくりと開いた、其の時
「殿、敵襲です…!」
奥の廊下より小走りで寄って来る左近の言葉に、三成は勢い良く立ち上がった
「相手は」
三成の言葉に左近はぎゅっと唇を噛み締めた
ドクドクと、心臓が高鳴るのを必死に抑える
嗚、嘘だと言ってくれと
きつく歯を食いしばり相手を見れば、左近は顔を蒼くしながらちらりと視線を外す
其の先に居るのは愛する妻で
意味を理解出来ない程三成は馬鹿では無い
一度眼を瞑れば空を仰ぎ、再び左近に顔を向け瞳を開く
「直ぐに出陣する、用意を」
其の言葉を聞けば左近は苦しげに、しかしはっきりと頷き直ぐさま身を翻し其の場を去って行く
不気味な程の静寂の中三成はゆっくりと振り返り、
黙った儘に立ち尽くす華奢な其の身を抱き締めた
何と声を掛ければ良いのか解らない
口を噤んだ儘居るとの小さな手が大きな自身の手を握った
見詰める瞳には、頼りなく眉を下げた己の姿が映る
此の儘ではに合わす顔が無い
深く息を吸いこめばキッと前を見据え、握る其の手を握り返した
「」
名を呼べば、相手は何一つ文句も言わず頷いた
己も刀を握らんと言っている様な、そんな眼差しだった
攻め寄せたるは、徳川
の父、徳川家康其の人
08.12.30
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