風魔の里にある森の奥深く、人も寄り付かぬ其処に一人佇む人影が在った
日の光に照らされれば金色の髪は白銀に輝き、朱色の着物が白い肌に良く映える
其の女――は帯に差した竹管を取り出し、きつい栓をゆっくりと開けた
八つの管より出でたるは白銀の狐達
大樹の根元に腰掛ける主の周りを何処か楽しげに駆け回りじゃれ合っている
徳川を配下にした後、の活躍もあり小太郎は僅かな月日の内天下を治めた
相も変わらず小太郎は混沌を望んで居たが、の身を案じれば太平を選ばざるを得ず
初めは不服に感じていたものの最近は相手の笑顔を見るのが楽しみになって居た

「余り、遠くへは行かぬ様に…」

遊びに夢中になる狐へ注意をしつつ、ふと背後に感じる気配に口元を緩める
ふわり、と
背後より大きな腕が伸び壊れ物を扱うが如く己を抱き締めた
顔だけ振り向けば小太郎の顔が直ぐ近くに在り、そっと触れるだけの口付けを交わす
互いの唇が離れれば甘える様に管狐達が二人の周りへと寄って来る

「そろそろ屋敷へ戻るぞ…?」

陽は傾き黄昏に染まり始めた空を見上げ小太郎が言えば、は静かに頷き狐達を管へと返す
ふと、管狐の一匹が居ない事に気付き辺りを見渡すが姿が見えず
慌て探しに行こうと腰を上げれば小太郎の手が其れを制する
闇が迫った森は危険だと外し置いた小手の留め具を締め、
に其の場で待つよう言い風と共に掻き消えた





少し森を走った後、一匹の狐が狼狽えて居るのが目に入り脚を止める
近づけば僅かに警戒するも小太郎の姿を確認すれば恐る恐る近寄って来た
ひょいと抱き上げ肩に乗せてやる
空を見上げれば既に辺りは闇に包まれ、忍の夜目で無ければ周りが見えぬ程の暗さだ
置いて来たを思えば憂慮になり足早に帰ろうと軸を返す
が、不意に目の前に数人の影が現れ行く手を遮られる
徳川の忍
じりじりと間合いを取りつつ構えるも、ある男の姿が無い事に気付く
急がねば、と
一度目の前の影達に視線を合わせてはくっと口端を上げた










「小太郎様…」

帰りの遅い相手が気に掛かるも闇夜の中ではどうする事も出来ず、
ただただ祈る様に小太郎の帰りを待ち続けて居た
ふと、茂みから視線を感じぴくりと身を揺らす
今は耳も尾も隠している、誰かに見られても大丈夫
言い聞かせるように心中呟きつつそろそろと音のした方向へと足を進める
若しかしたら小太郎かも知れないと、身を乗り出し茂みを覗く
刹那、強く腕を引かれ天地が反転する
地面に思い切り背を打ち付ければ痛みに表情歪め、帯に差した狐管が音を立て転がる
きりと歯を食いしばり瞳を開けば、眼の前には見覚えのある男の顔が在った

「女狐…此処で何をしている」

低い声が静寂を切り、痛い程に耳に響く
半蔵は構えた獲物で傷付けぬ様相手の首筋を撫ぜる
ひんやりとした刃先が触れればひくりと身体が跳ね上がり、小さな声が零れ出る
の怯え切った様子に敵意は感じられない
身動きが取れずじっと相手を見上げれば刺す様な視線はゆっくりと柔くなり、
馬乗りになって居た身体を退けそっと手を差し伸べた
躊躇いがちに重なる手が何故か愛しく感じ、覆面の下で笑みが溢れる
ぐいと腕を引けば勢い余り半蔵の胸へとぶつかり、其の儘腕の中に閉じ込められ
小太郎よりも小さいが女であると比べれば充分に大きく、
身を捩じらせては抵抗するもののぴくりともせず

「案ずるな、何もしない…」

言いつつ、触れ合うだけで満足する自身に気付きふるりと首を横に振った
冷たかった相手の肌は己の体温と混じり温もりが宿る
風に揺れる髪が月に照らされ白銀に輝き見る者全てを虜にする様で
濡れた唇が眼に入れば無意識の内に覆面をずらし、そっと顔を近付ける
相手の顔が迫れば驚き身を仰け反らせ逃れようとする、が
肩を押され再び地に背を付け組み敷かれる
先とは違い背中に痛みは無いもののそんな事を考える余裕等無く、
凛とした眼差しが己を捉え離さない

「は、んぞ…殿…?」

震える声で名を呼ばれれば最早理性も忘れ
唇が重なる瞬間、背後からの殺気に動きを止める
首筋に宛がわれた忍刀が鈍く光りを放つ

「小太郎様っ…」

半蔵に刃先を向けた儘の腕を掴み己の腕に抱き留める
ひょっこりと、逸れて居た狐がの肩へと飛び乗れば愛しげに其れの頭を撫でた
僅か表情を緩ませ其れを見て居たが再び半蔵へと視線を戻す
チャキと、音を鳴らし片手で刀を構え直すもに寄って制された

「折角の太平の世…どうか、この場は御抑え下さい…」

寂しげにそう言われれば其れ以上どうする事も出来ず、渋い顔をして刀を下ろす
そんな相手を知ってか知らずか、はくるりと振り返り半蔵へと手を差し伸べた
暫しの沈黙の後、ゆっくりと白く小さな手を取る
無論背後には修羅の形相(と言っても傍から見れば何時もと変わらないのだが)をした小太郎が在り、
半蔵自身もまた此れ以上相手に手を出すつもりは無い
服に付いた汚れを落としてやれば唖然とした様子の半蔵ににこりと笑みを向け、
律儀にも深く頭を下げた
あんな事をされて頭を下げるとは、と
半ば飽きれた様にを見つめつつ己も小さく頭を下げた










後、今にも半蔵に噛みつきそうな小太郎の腕を引き二人は無事屋敷へ戻った
未だ不機嫌そうに外方を向く相手に困った様に笑い、はそろりと其の広い背に身を寄せる
何よりも、此処に在る事が幸せだと
思い顔を上げると仏頂面と視線が合い柔らかく笑みを向けた
互い向き合えば触れ合うだけの口付けに瞳を伏せる
と、ぬるりとした感触が口内へと押し込まれびくりと身を震わせる
身体に力が入らず腰が抜けた様にへたり込めば小太郎の大きな手がぐいと身体を引き寄せ、
より深くへと舌を捻じ込ませて行く
静かな部屋に卑猥な水音が響き、羞恥にきつく瞳を伏せる
ねっとりと、唇が離れれば銀糸が互いの唇を繋ぎゆっくりと溶けて行く
力無い儘に小太郎へと凭れ掛かると甘く吐息を漏らした

「半蔵は犬臭い、闇雲に近づくな」

彼なりのささやかな嫉妬
童じみた言葉に思わず笑いが溢れ、甘える様に相手の首に腕を回す
ふと、傍らに置かれた狐管を見れば先の事を思い出しへと視線をやる
風魔の者誰一人に懐かなかった狐が、己に対し甘えて来た
無意識に口許が緩む

「愛い、か」

小さな呟きは月の光に溶け、を抱く腕に力を込める
今暫くは此の儘でと
瞼を閉じれば、ゆっくりと意識を手放した










08.11.23