夕闇が空を侵す
しんと静まり返った其処
黒い影達と共に、は戦場に在った
眼前に広がるは徳川が城
今まで見た事が無い程の距離で見る其れは視界に収まらず、
は僅か恐怖に身を震わせた










「合図があるまで此処で待て」



一刻程前に伝えられた小太郎の言葉に従い、は城門近くの茂みに身を潜めて居た
此度の此れは風魔の忍のみで行われる為奇襲に近い戦略だと言う
ちらと、己の傍に身を潜める忍へ視線をやる
鋭い眼差しでただじっと頭目である小太郎からの合図を待つ
何故戦へ駆り出されたか、ふと思い返し視線を落とす
小太郎は人手が足りぬと言っていた

(それでも、本当は)

人の少なくなった無防備な里に残し置いて、万一に何かあってはと
己を心配するが故の手段だった
本当に照れ屋なのだから等と、胸中呟けば無意識に笑みが零れ
不意に空へと一筋の煙が昇り、小さな光を放ち闇に溶けた
小太郎からの合図に忍達は一斉に動き始める
もまた数人と共に城内へと足を踏み込み、慌てふためく兵達を切り伏せて行く
敵の忍が二人、勢い良く斬り掛かって来た
其れを紙一重に躱せばふわりと護符を舞わせ、
己が術に翻弄される男達を風魔の忍が躊躇いも無く斬り付ける
しかし仮にも敵陣中枢、斬れど倒せど次々と敵は増え
気が付けば風魔軍の何倍もの敵軍が達を取り囲み、
一人の男が音も無く群集を掻き分け目の前迄歩み寄る

「風魔、か…」

表情歪め顔に傷を負った男が呟くと同時、味方の忍が勢い良く斬り掛かる
が、軽易に其れを躱されれば赤子の手を捻るが如く屠り行く
鋭い眼差しが己を射止め放さない
服部半蔵―――
味方の忍が呟きを庇う様に一歩前へと出る
一度、小太郎から話は聞いていた
腕が立ち徳川に仕える伊賀忍軍の頭目
半蔵への対策が為手配りされた忍達も既に半数以上が負傷している
これ以上の被害は避けねばならないとは竹管へと手を伸ばす
刹那、
前に居た忍を薙ぎ倒し大きな手が白く細い首を締め、小さな身体は僅か宙に浮く
息苦しさと首への圧迫に痛々しげに表情を顰める

「女、何故主に楯突く…」

耳元で低い声が響けば僅かに身体が震え
地に落ちた狐管を横目に見やるも触れる事等出来る筈も無く、
また味方の忍が助けに入ろうとするも余りの敵の数に思う様に動く事が出来ず
段々と意識は遠退き、目の前の顔が歪む
と、不意に己を捕らえていた手を放されは力無く其の場に崩れ落ち、
半蔵が素早く飛び退けば風と共に現れた巨躯の男と対峙した

「…小太郎、様…」

己と半蔵を堰く様に間に立てば互い言葉も無く睨み合う
ちろと、小太郎は視線だけにやり、続け視線を上へと上げる
の後ろに佇む配下の忍達を見据えれば其の眼差しにぞくりと背筋が凍った
憤怒か憎悪か、冷たく凍りつく様な瞳
其の眼差しの儘再び半蔵へと視線をやればふっと嘲笑を浮かべる
右手を差し伸べ挑発する様に指で相手を招く
ぎちと音を鳴らし鎖鎌を構えれば、互い敵対する忍達が一斉に干戈を交え始めた

紛乱した城内の一隅
視界の端に映る半蔵と小太郎へ配意しつつ床に落ちた狐管を拾い上げ、
硬く栓された其の口を解けば八匹の管狐が勢い良く外へと飛び出し敵へ襲い掛かる
一人二人と敵を討ち一匹の狐が半蔵の首を目掛け牙を向ける
ちりと、首元掠めれば僅か赤が溢れぎろりと此方を睨む
視線が合えばどきりと胸が高鳴り
けれど其れは小太郎に抱く感情とは違う、畏怖の感情からで
己の鼓動が耳に付き周りの音が聞こえない
じりじりと喉が焼ける感覚に眩暈がするも、必死に平静を装いは帯に差した護符を構える
護符を持つ手が僅かに震えた
何処か冷静に己の手の震えを見れば不意に大きな手が重なる

「怖い、か?」

くっと喉で笑い、先程とは違う優しげな笑みで小太郎が問う
何ともないと首を横に振れば安心させようと柔く微笑んで見せた
遠くから我鳴り声が聞こえる
どうやら城に火が放たれたらしい、人々は逃げ惑い混沌が満ちて行く
の腰に腕を回し抱き上げれば小太郎は窓枠へと足を乗せ外へと身を乗り出す
逃げるのか、と
挑発的な言葉にもただ薄ら笑いを浮かべ踏み出そうとする、が

「妖狐を手玉に取り…何を巧む」

ぴたりと動きが止まる
小太郎の視線が己へと向けられるが、視線を合わす事が出来ない
暫しの沈黙の後、小太郎は顔だけ半蔵へと向けくつくつと喉奥で笑って見せる
下らぬ問いだ、と
其れだけ言えば強く窓枠を蹴り城外へと脱離した
小太郎の在った其処を見詰め半蔵は僅かに眉根を寄せ、主の救援が為足早に其の場を後にした





目途を果たし風魔の里へと舞い戻るも、は未だ小太郎と眼を合わせられずに居た
半蔵の言葉が胸に突き刺さり酷く痛む
ついと、小太郎の手が己の頬を優しく撫でる
僅かに身を震わせ、恐る恐る小太郎の顔を覗き見る
目の前には優しく切なげな表情が在った

「小太郎様、は…」

開きかけた唇に冷たくなった唇が重なり、何も言うなと言う様にきつくを抱き締める
きつく瞳を閉じれば先の小太郎の表情が頭に浮かび
相手の胸の中、見上げた空に月は無く分厚い雲が広がっていた



妖魔か、と
一人風魔が屋敷の外を歩きつつ小さな声で呟けば己の言葉にまたズキリと胸が痛む
先の相手の反応から、恐らくは前より気付いていたのだろう
ドクドクと脈打つ心の臓に手をやれば深く深呼吸を繰り返す
ふわりと、着物の裾より九尾が零れ毛艶の良い耳がひょこと姿を見せる
水面に己の姿を映せば人とは余りに掛け離れた其れで
逃げ出そう、最早傍には居られない
思い軸を返せば目の前に立つ一つの影と眼が合った
僅かな距離が、今は果てし無く遠く感じる
何時もの薄ら笑いの儘小太郎はそっと口を開く

「あの日、何故我を助けた?」

妖狐が人を助けるなどと零せばふるりと首を横に振り、は一歩小太郎へと近づく
身を近づければ仄かに漂う甘い香に小太郎は僅か眼を細めた
妖独特の其れは幾度か嗅いだ事がある、だが其の香を傍に置きたいと思ったのは此れが初めてで
相手の言葉を促す様に一度こくりと頷く

「以前戦場にて繚乱されし小太郎様の御姿を一目見て、
は其の傍ら、小太郎様が求めるものを見たく思いました…けれど…」

最早己の居場所は無い
言い掛けるもそっと唇に指を宛がわれ、言葉を遮られる

「狐は妖魔に堕ちる、か」

霞む意識の中聴いた歌声を思い返し、ふっと笑みを向ける
狐が堕ちた、妖魔に堕ちた
もまた思い返し見る見るうちに顔が赤くなっていく

「狐は妖魔に嫁入りすると言ったな…?」

くくと、喉で笑ってはへと手を伸ばし優しく腕の中に閉じ込める
心地良い束縛に瞼を閉じれば、暖かな吐息が耳へと掛かり僅かに身体が震えた

「なれば妖魔に尽くせ
妖魔と共に乱世に吹き荒び、妖魔と共に朽ちよ…」

互い低い体温は触れ合う毎に温もりを増し、言葉を交わす度二人を固く結び付けるかの様で
貴方が為に私が何かを出来るのなら
御傍に置けば少しは楽で、好む姿を映し続けようと



「此れから忙しくなる…覚悟は出来ているのか?」

徳川への強襲、其れは世の大名達を敵に回す事であり
其の言葉にもはただ首を横に振り、腰に差した竹管にそろりと指を触れる
己が分身、管狐
此の管狐が傷付くは己が傷付くと同じ事で
それでも戦場に立つのはただ一つ

「小太郎様が望みしもの、全て…」

貴方の望みが、私の望みだからと
寄り添う魔に、狐は柔く笑みを向けた










08.11.19