身体が冷たくなり言う事をきかなくなって行く
己の掌を見据え、小太郎はただ力無く地に身を投げ出す
腹部からは絶え間なく血が流れ、傷口だけが熱く熱を持っていた

「我が、壊れるか…」

任務中深手を負い小太郎は逃げる様に森の奥深くへと足を向けた
失血の所為か足元も覚束ず、巨躯を近くの茂みへと横たえる
木々の隙間から見える月は紅
其の輝きが何故か痛々しく、ついと腕を伸ばす
冷たい風がそろりと肌を撫ぜるのを感じつつ、小太郎はゆっくりと意識を手放した















堕ちた堕ちた
狐が堕ちた
妖魔に堕ちた
櫛梳き紅引き虚ろな月に
命重ねて嫁入りしましょ










遠くから聴こえる歌声に小太郎は重い瞼を持ち上げた
見知らぬ天井に火鉢からの小さな炎が映り、時折ゆらゆらと揺らめいている
起き上がろうとするも身体がズキリと痛み起こしかけた上体を再び褥へ戻す
そっ、と
着物の擦れる音とともに一人の女が己の傍へ膝を付く
色白の肌に金色の髪がふわりと掛かり、光が当たれば白銀に輝いて見える
身に纏う、紫を基調とした着物が良く似合う
そんな事を考えて居ればか細い手が伸び小太郎の頬をそっと撫でた

「気が付かれましたか…?」

儚げな声で問われれば小太郎はふっと嘲笑漏らし、凛とした冷たい眼差しで相手を見やる
己とは対照的、虚ろげな眼差しと視線が交じり暫し沈黙が続く

「森の奥で倒れて居られました故、
勝手ながら私の屋敷へお連れ致しました…」

はにかむ様に小さく微笑み向け頬に触れたままの指先を離し、
袖で口元を隠しては何処かうっとりとした表情でじっと小太郎を見つめる
そんな女を視界の隅に捉えた儘小太郎は、痛みを押して上体を起こす
広くも狭くも無い、有り触れた一室
恐らくは客の為の寝部屋だろう、近く使われた形跡は無く真新しい畳の匂いが鼻に付いた

「何故我を、」

そろりと
冷えた指先が己の唇に触れ言葉を遮られ
虚ろな瞳が笑みで歪めば先に見た月が重なり、珍しく表情に驚きを滲ませ女の顔を見詰める
己の血の臭いで気付かなかったが、微かに甘い香が漂う
未だふらつく体に鞭打ちグイと女の手首を掴めば、
ぴくと身を揺らすも笑みを絶やす事は無く慈悲にも似た其れで己を見詰め

と、御呼び下さい…」

僅かに首を傾げて言い、ゆっくりと立ち上がる
-----其の儘有無を言わさず部屋を出て行く
らしくない
何時もならば恐らくは、相手の言葉等待たず切り捨てたと言うのに
自身に苛立ちを覚え眉根を寄せるも答えは出る筈も無く
今は只身体の傷を癒す事だけを考えようと、再び褥へと横になった





此の屋敷に来て三日を過ぎた頃
何時もの様に小太郎は、の手により昼餉を口にしていた
傷を負った身とは言え仮にも忍
見ず知らずの女に身を任せる程小太郎は浅慮では無い
が何かをする度、事細かに其の行動に目を光らせた
が、予想に反し相手はただただ一心に己の看病を続けるのみ
そしてそんな相手に小太郎もまた、微かにであるが心を許しつつあった
無論、無意識の内にだが

「小太郎様、御身体の傷は痛みませぬか…?」

粥を食べさせながらが問えば小太郎はくつくつと喉を鳴らし笑う
其の様子を見ては嬉しげに、つられ笑った
健気な介抱の御陰か、小太郎の傷も既に粗方塞がっている
本来ならばこうして食事を食べさせて貰う程の事ではないのだが、
に無理は駄目だと言われれば無碍にも出来ず
又こうした時が無性に幸甚に思え、つい甘えてしまう
と、食べ終えた碗を盆へ乗せれば居住まいを正し、
何時もの優しげな表情を強張らせは真っ直ぐに小太郎を見据える

「どうした?」

そっと、の頬に指を滑らせれば、僅かに身を震わせ一度きつく瞳を伏せた
臆している
小太郎は相手に見えて居ないのを確認し、口元に苦笑を浮かべた
続く言葉が、己ととの最後の言葉になるかも知れない
今日まで、短いながら良くしてくれた
否、こんな得体の知れない男相手に、良く此処までしてくれたものだ
出て行けと言われても致し方無い
小太郎が顔を俯かせると同時、は瞼を開け口を開く

を、小太郎様の御傍に置いて下さい…っ」

きょとと、珍しく間の抜けた表情で小太郎は相手を見た
最後の方は声が上ずり、顔を真っ赤にし袖で口元を隠したが視線を泳がせる
嗚、こんな女は初めてだと
先の不安は消え、何時もの様に薄ら笑いを浮かべ小太郎はそっとを腕の中に閉じ込めた
己よりも少し冷たい肌に切なさが込み上げる

「こんな私ですが…御傍に置けば、少しはお役に立ちます…」

眉は下がり鈴音の声は微かに震え、小さな身体は幼子が親を求め縋るかの様で
長めの袖から覗く指先が己の胸板に添えられる
細く真っ白な其の指は他の男を知らぬのだろう、何処か躊躇いながら必死に甘えようとしていた

「小太郎様の好む姿に、少しでも近づきます…だから…、」

言葉は途切れ、静寂が二人を包む
重なる唇に熱が宿る
時が止まったかの様な長い間の後、どちらからともなく離れ視線が絡んだ
藤の花の色をした瞳は真っ直ぐに己を捉え、が微笑めば黒目勝ちな其れが優しく歪む
抱き留めた儘の身体を再び引き寄せれば白い首筋に顔を埋める
甘い香が鼻を擽るのを感じつつ、小太郎は其処に唇を宛がう
ちゅく、と
濡れた音を立て強く肌を吸えば吐息と共に艶を含んだ声が零れた
紅い華が咲く首筋を見て小太郎は満足した様にふっと笑む

「小太郎、様…?」

何をされたのか解らず、ただ熱くなった其処に触れながらは小太郎を見上げる
答えを欲する相手に小太郎は何でもないとだけ言いゆるりと立ち上がった
褥の横に置かれた篭手や胸当てを手に取る
綺麗に磨かれたそれらを付ければふと振り返り、未だ褥に座り込んだ儘の相手を見下ろす

「参るぞ」

相手の言葉の意味を汲み取れず不思議そうに顔を見上げる
普段より虚ろな眼差しの所為か、
きょとと頼りなさげな表情のに一つ溜息を吐き不意に外へと視線を向ける
風魔の里へ、と
差し出された其の手に静かに己の手を重ねる
微かに暖かな指先が冷たい指と絡み一つになる
何も持つ必要など無いと言う小太郎の言葉に従い、陽の沈みかけた空の下歩き出す
誓いも何も要らない
傍に在れれば、それだけで良いと















静寂の中
は目の前に広がる赤を撫でる様に梳かす
さらりと音を立て、真紅の髪は櫛の隙間から流れ落ちる
風魔の里に来て一月余り
は小太郎の腰元の様に身の回りの世話をこなしていた
朝は髪を結い戦へ出る時は具足を支度し、食事を作り小太郎の帰りを待つ
相手が帰れば返り血に汚れた具足を磨き、結われた髪を丁寧に解き梳かす
里の誰よりも小太郎に尽くし、誰よりも傍に在った
十二分に幸せだった
ただ、戦に出向く小太郎を見送るのは何時まで経っても慣れずにいた
本当はずっと傍に居て、役に立ちたいと
幾度か己も戦へ出たいと申し出たが許される筈も無く

「明日もまた、戦に出掛けられるのですか…?」

声が寂しいと訴える
隠そうとすればする程感情が表へと流れ出る
に髪を梳かせた儘に、小太郎は小さく頷いた
ひた、と
其の髪越しに目の前の広い背中へ寄り添う
何か言わねばと思うも、喉元が震え声が出ない
沈黙を破ったのは小太郎だった

…汝も、出陣せよ」

刹那、時が止まる
次の瞬間にしては珍しく飛び上がり、
わたわたと着物を引き摺って小太郎の前に回り込む
こんな表情もするのか、等と感心しつつ眼前にある顔を見詰めた
驚きと喜びにただ口を半ば開きじっと此方を見つめるに、小太郎はこくりと一度頷く
ぎゅうと、堪らずは相手に抱き付いた
はしたないとか、そう言った事等考えられず、その胸に身を寄せる
言葉では言い表せない感謝と至福故の行動だった
華奢な身体を抱き締め、小太郎はあやす様に背を撫でる
しかしふと、一つの疑問が脳裏を掠める

、汝は何で戦う気だ?」

前々より戦う事は出来ると聞いていたが、一度も戦に出た姿は見ていない
そう言った話も全くと言って良い程にした事が無かった
コロコロと笑みを漏らしは僅か小太郎から離れ視線を合わせる

は管狐を使います…」

すっと袖から竹管を取り出し目の前に出して見せる
管が数本、横一列に並べられ鮮やかな赤紐で括られており、
全ての管先にはがっちりと栓がされていた
管狐は通力により主の命に従う
問いへの応答や予言をするのが一般的だが、が持つ其れは戦闘にも向くと言う
何処か不安に思う小太郎を他所に、は嬉しげに話を続ける
出逢ってから幾度と無く見た笑顔
血の香纏う己とは違い、優しい香を纏った小さな女
何があろうと此の笑顔は汚させないと
一人語るのも他所に華奢な身体を抱き寄せ、小太郎は外へと視線をやった
下弦の月が雲の隙間から顔を覗かせている
あの日とは裏腹、青白い其の月に手を伸ばす



明日攻めたるは、徳川が居城










08.11.16