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可愛い娘が男を連れて来た等と嘆く家臣の話を時たま聞いていた
そんな姿に僅か哀れみ、何処か可笑しげに見ていたのを思い出す
あの頃の己を叱咤してやりたい、と
眉間を押さえれば、秀吉は今日何度目かの溜息を吐いた
ねねと秀吉にとっては我が子同然の存在だった
二人の間に子が出来なかった事もあり、
また男である三成とは違い、女であるを大層可愛がって居た
忍でなければ箱入り娘にしたい程なのだがと、よくねねと二人ぼやいている程に
そんなは今日、久方振りの休暇で
相変わらず忍装束の儘、
少し城下に出ると言い朝早く城を出た娘は昼近くになり城へと帰って来た
華奢な娘の背後には、白と黒の普段より身軽な忍装束を纏った男が一人
秀吉は絶望にも似た感覚に眩暈を感じた
「本当に、良いのか…」
先程の城主の顔を思い出し半蔵は僅か不安げに問うた
顔面蒼白になり憤怒に身を震わせる秀吉の横を相手に引かれ、
半蔵は城の中に構えられたの部屋へと来ていた
己が原因で乱が起こる等なれば笑えない
大丈夫大丈夫、と
暢気に返事を返し手に持っていた荷物を片付ける相手に僅か溜息を吐く
此処へ来るのは初めてでは無い
だが、其れは何時も任務後の夜半から東雲の間であり
こうして日が高い内に部屋へ来るのは此れが初めての事だった
まるで男の部屋の様に殺風景な其処は、
日の光に照らされている為か何時もと違う様に映り
所々に置かれた簪や手鏡等を見れば相手も女なのだと(何故か)感心した
ふと、相手へ視線を戻せば先程城下で買ったらしい菓子を広げている
「今お茶を淹れて来るな?」
にこりと微笑みを相手に向ければは自室を後にした
嬉しさから無意識に笑みが溢れ、足取り軽やかに廊下を歩く
そんな姿を遠目から、じっとりとした眼差しで秀吉が見つめていた
恨めしそうにただじっと其の小さな背中を見つめて居たが、
背後からの気配に気付き思い切り顔だけ振り返る
「何してるの、お前さま?」
其処には事の成り行きを知らぬねねの姿が在った
泣き付く様にねねにしがみ付けば、抑えていた言葉がどっと溢れ出す
昼間の出来事を聞いたねねは秀吉とは対照的に、何処か微笑ましげに頷いた
と、湯呑みを二つ盆に乗せ自室へと向かうが此方に気付き、
きょととした表情で二人に近付いて来る
そんな相手に何故半蔵が此処に居るのかと秀吉が膨れっ面で問えば、
は笑みを深めて大層嬉しそうに話し始めた
要は半蔵も休暇だったらしく、たまたま町で見かけ茶を誘ったらしい
それでは、と
意気揚々とした様子で部屋へと戻る相手を見つめ、秀吉は深く溜息を漏らす
「良いじゃないの、だって女の子なんだもの」
何処か楽しげに言いねねは秀吉の裾を掴み軸を返す
秀吉は引き摺られながらも、もう一度だけの背中へ視線をやった
可愛い娘に付いた悪い虫が、よりによってあの男とはと
泣き出しそうになるのを耐え秀吉はきつく唇を噛み締めた
部屋に戻れば半蔵が先程出した菓子を食べつつ外を見ていた
手に持たれた其れは甘い物の苦手な相手も食べられる甘味の少ない苺大福
仄かな甘味と苺の酸味が人気で、此れを買う為には城下へと出たのだった
相手の近くへ湯呑みを置き、己もまた其れを食そうと向かいに座る
互い言葉を交わさぬ儘に時が過ぎて行く
と、大福を一口含み飲み込めばは思い出したかの様に口を開く
「そう言えば半蔵も休暇なんだろ、何故忍装束なのだ?」
もぐもぐと再び大福を頬張りつつ問えば、半蔵は小さく溜息を吐く
其れは此方の台詞、と
半蔵は残りの大福を口に放り言えば両手を合わせ、茶に手を付けた
どうも互い、何時もの装束でなければ落ち着かないらしい
の場合普段より忍らしくない装束の為特に目立ちはしない
ただ半蔵の場合は普段の其れでは日の下では余りに目立つ為、
予備として使っている白を基調とした装束を着ているのだと言う
ふわりと、一陣風が吹けば、露になった半蔵の長い髪が靡く
さらさらとしたその髪に手を伸ばせばは白い指先で弄ぶ
「ね、髪を梳いても良いか?」
僅かに身体を乗り出し問う相手に半蔵はただ無言で頷いた
そんな相手の返事に礼を言いつつ立ち上がれば、
己の愛用する櫛を取り出し半蔵の背後にちょこんと座り
髪結の紐を外せば、美しい髪がはらりと背に流れ落ちた
櫛を通す度より艶が出て、見惚れる様にじっと其れを見つめる
暫し櫛で梳いた後再び髪を結い直そうとしふと手を止めた
ぎゅうと、まるで甘える様に相手の首筋にしがみ付く
本人はそんなつもりは無く、寧ろ仲良くなった相手には普通にする態度であり
そうとは知らぬ半蔵からすれば誘っているとしか取れず、
珍しく頬に赤みが差し何事かと視線だけ相手へ向ける
眼が合えばはにこりと微笑み、僅かに首を傾げた
「半蔵、耳の掃除もして良いか…?」
何処か強請る様な言い方に半蔵は嫌とも言えず、好きにしろと素っ気無く言う
突然の其れに驚きつつ、相手は何時もこんな感じなのだと無理矢理思い込む
だがが普段からこんな事をしている筈も無く
先日ねねが秀吉にしていたのを眼にし、もねねに耳掃除をして貰った
そして其の気持ち良さと二人の仲睦まじい雰囲気に一種の憧れを抱いていたのだった
相手が怪我をしない様に具足を外し、ぽんぽんと膝を叩き相手を促す
微か躊躇いながらも半蔵がの膝に頭を乗せ横になった
半蔵の解いた儘の髪が腿に掛かり、擽ったさに身を揺らす
そろりと其れを撫でれば用意していた耳掻きで掃除を始めた
言葉無い儘に黙々と続けて居たが、ちらと半蔵の顔を覗く
瞳を伏せ大人しくしている相手の姿に愛しさが込み上げる、と
長い睫が僅かに震え、ゆっくりと瞼が持ち上げられ
視線だけ此方へ向ければ、手の止めたにどうしたと声を掛ける
何でも無い、と
可愛い等と言えば怒る事は明らかで、それだけ言えば再び掃除を始めた
「半蔵、反対側を向いて欲しいのだが…」
片耳を終え、仕上げに後端の梵天で耳の中を軽く拭い半蔵に声を掛ける
しかし暫く待っても返事が無く、は不思議に思い相手を見下ろす
と、見れば僅かにだが寝息を立て、ゆっくりと胸を上下させていた
珍しく無防備な相手にから思わず笑みが零れ、腿から床まで流れる髪を優しく撫でてやる
時折吹く風が心地良く、窓の外へと視線を向ける
段々と太陽は傾いて行き一日の終わりを告げている様で
休みが終わってしまう事よりも、今触れ合っている相手と離れる事が寂しく
はそっと瞳を伏せ、其処に在る温もりに思いを寄せた
乱世が終わり本当に良かった、と
己の考えに思わず笑いが込み上げふるりと首を横に振る
あれだけ乱世を求め、戦を愛し、殺戮を繰り返してきた己が此処数年随分丸くなった
そして此の一つの影と出逢いこんなにも変わった己に自身驚いた
「…永遠が在るのなら、」
どうか此の時がずっと続く様に
悲願にも似た思いを胸に、もまたゆっくりと意識を手放した
僅か肌寒さに身を揺らし、半蔵は重い瞼を持ち上げる
寝てしまったらしいと、特別慌てるでも無く身体を起こす
ふと、隣で転寝する相手に気付けば傍に在った打掛を肩から掛けてやる
は微かに反応するも起きる気配は感じられない
ちらりと外を見れば日は沈み、空は夕闇に染まりつつあった
「そろそろ、行く…」
眠っている相手に呟けばふわりと、窓枠に足を掛け一度だけ振り返る
未だ座った体勢の儘眠り続ける相手の姿に笑みが浮かぶ
本当はもっと傍に在りたいと
思いを振り切る様に、半蔵は風と共にその場から掻き消えた
しん…と、部屋が静まり返る
はそっと瞳を開き、相手が出て行った其処へと眼を向ける
微かな残り香に切なさに似た感情が込み上げ、
其れから逃れる様に膝を折れば打掛ごと己の身体を抱き締めた
日を追う毎に膨らむ不安と、
相手との逢瀬を重ねる度より深みへ堕ちて行く感覚がを襲う
「嗚呼…掃除、まだ残っていたのにな」
はっと思い出せばクスクスと笑いを漏らす
またこうして二人で時を過ごせば良い
今は太平の世なのだからと、誰に言うでも無く独り零しは再び瞼を閉じた
其れから数日の間、は主秀吉より当分の外出禁止令を言い渡された
無論外に出れない間は書類関係の仕事を課せられる
元より報告書等の事務的な事が嫌いなは以来、
今まで以上に報告書が忽せになったとか
08.9.22
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