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「Hey! 小次郎、遅くなってすまねぇ!」
息を切らせながら駆け寄って来る政宗を小次郎は何時もの笑みで出迎える
相変わらず右眼には眼帯を付けた儘だ
久方振りに顔を合わせたあの日以来、
政宗達は幼少の頃の様に周りの眼を盗み二人切りの時間を設けて居た
普段使われて居ない部屋は少し埃っぽいが居られない程でも無く、
二人は自室に比べ幾分狭い其の部屋で肩を並べて一冊の本を読み始めた
「此れが兄上の言う異国語の本、ですか?」
「Yes. 中々読み応えのある本だぜ」
所々筆で線や言葉を付け足されて居る、恐らくは政宗が使って居る物だろう
沢山並ぶ文字の中から政宗のお気に入りらしい言葉を拾い教えられる
とある一頁を捲れば本を持つ政宗の手がぴたりと止まる
黙った儘びっしりと敷き詰められた奇異な文字を見て居た小次郎はふと顔を上げ相手を見る
一点を見詰め黙りこくる兄の視線を追えば一つの言葉が在った
「び、ぃ…ろ…?」
「No...brother. だ」
「ぶらざあ、ですか?」
小次郎が異国語を読める筈も無く、先程から政宗が言う言葉を真似て口にするの繰り返しだった
未だ疑問符を幾つも頭の上に浮かべながらじっと教わった文字を見据える
兄の発音はとても綺麗でまるで歌うかの様に自然に流れて行く
ぼんやりそんな事を考えながら微か首を傾げ相手へ顔を向ける
どんな意味なのかと問う眼差しに政宗は珍しく狼狽えた様に視線を泳がせた後一つ溜息を漏らした
何処か顔が赤く見えるも指摘すれば意味を教えて貰えなくなると解っている為黙っておく
「兄弟、って意味だ」
そう言う政宗の表情は嬉しい様な恥ずかしい様な何とも言えない表情で
きょとと其れを見て居たがふっと頬が緩み、甘える様に兄の肩へ頭を寄り掛ける
己の右側に相手が座るせいか眼帯が邪魔をする
一度離れるとするりと紐を解き政宗の反対側に置いた
再び触れた相手の温もりに政宗は意とせず表情が緩むのを感じて居た
「兄上、また小次郎に此の本を…」
「此れはお前にやるよ」
見せて下さいねと、言いきる前に言葉を遮られ小次郎は相手の顔を覗き見る
其処には何時もと同じ少し意地悪そうな兄の顔が視界一杯に在った
良いのですか?と、視線だけで問えば政宗もまた同じく声に出さず頷いて返事をした
ぱっと眼を輝かせ礼を言う弟に政宗は至極満足そうに微笑んだ
「俺のお古で悪ぃがな」
苦笑しつつ頭を掻く兄を暫し見詰めた後差し出された其れに視線を落す
高鳴る鼓動が酷く耳に付き煩い、きっと眼の前の兄にも聞こえて居るだろう
思うと僅か頬が赤く染まり、そっと本を受け取った
ずしりと重量感のある其れに僅か怯むも兄の使って居た物と言うのがとても嬉しくて
深く頭を下げれば己より少しだけ大きな手が頭を撫でてくれた
兄と別れ己の自室へ戻る廊、前に佇む母に気付きふっと笑みを消す
対照的ににこにこと微笑む義姫は静かに小次郎の傍に寄り手に握られた本を見る
無言の儘睨む様な視線にも何も言わずに居れば母が折れた様に口を開く
「政宗から貰ったのですか?」
言葉とは裏腹に「今直ぐ捨てなさい」と眼が訴える
目は口ほどに物を言うと言う言葉を此の人は知っているのだろうか
其処まで考えてふるりと首を横に振る、此の人は知っていてやっているのだと
誰より傍に居た己が何を今更と僅か苦笑を漏らし肩を竦めて見せた
「有難迷惑な話です、兄上は人の心を読むのが苦手のようですね」
何時の間にか己の傍に添う家臣---に本を手渡す
、小次郎の一の重臣であり幼少時代から義姫の次に小次郎の傍に在った男
主である小次郎に忠誠を誓い小次郎の言葉こそが総てと信じて居る
は何も言わぬ儘其れを受け取りぺこりと頭を下げた
「兄上と同じ趣味を持つつもりはありません…、燃やしてしまって下さい」
「…御意に」
へにっこりと笑みを向ければ振り返り義姫の横を擦り抜け再び歩みを進めた
が、何時か兄にした様に義姫の手が小次郎の袖を掴み静止させる
驚きがぴくりと動くが既の所で踏み止まる
一方の小次郎は動揺する様子も無く、振り返れば義姫と向かい合う
相手の優しげな笑みの中には全てを見透かした様な嘲笑が仄見える
「今宵、政宗と三人で食事をしようと思います、良いですね?」
有無を言わせない口調
以前より聞かされていた、其れは兄に毒を飲ませる為の“宴”だと
淡々とした口調で言う母に小次郎は唯頭を下げ其の場を後にした
残された義姫とは互い口を開かずじっと視線を交える
義姫の眼は優しくも心を読ませない凍て付いた眼差しだが、
の眼もまた主以外の何者にも本心を見せぬ眼差しで
暫し其の儘見詰め合って居たがが深く頭を下げ主と同じ様に其の場を後にする
横切る男に視線を向けぬ儘、義姫はくっと口許を吊り上げた
「Ah? あの人が俺と食事をだと?」
小十郎の手に握られた手紙を受け取りながら政宗は驚いた様子で問い返した
がさがさと乱雑に文を開く相手に今一度深々と頭を下げた後そっと視線を上げる
じっとりと文字を見詰める隻眼が揺れるのを見ながら小十郎は口を開いた
「義姫様より直々に預かりました…小次郎様も御一緒、との事です」
「みてぇだな…良いだろ、行ってやろうじゃねぇか」
ぐしゃりと文を握り締めくっとほくそ笑む
其の様子を黙って見て居た小十郎ははぁと溜息を漏らし額に手をやる
何か企んでいるのは明らかだが今回は何も聞かされて居ない
恐らく幾ら問い質そうと口を割る事は無いだろう
若干の頭痛を感じながら顔を上げ政宗と向かい合い居住まいを正す
先までの表情は無く何時にも増し真剣な表情でじっと見据えた
政宗もまた同様に笑みを消し、鋭い眼差しで相手と視線を絡める
言葉を探す様に時々俯いたり空を見上げたりを繰り返し小十郎はゆるりと声を掛けた
「政宗様、くれぐれも御用心召されよ」
「…其れは母を疑れって意味か?」
表情は変えないものの、其の声には隠し切れぬ程の怒気を含んでいた
幾ら蔑まれ愛を向けられなくとも実母である義姫を疑う等、政宗にとっては許し難い事なのだろう
だがあの人はそんなに優しくも甘くも無い、小十郎は確信を持っている
あの優しげな瞳の奥には闇にも似た怨恨を隠していると
例え今此の言葉で首を刎ねられようと、言わねばならないと口にしたのだ
「Shut up! …此れ以上何か言って見ろ、次は其の首吹っ飛ばすぞ」(黙れ!)
唸る様に吐き捨てすっと立ち上がると無言の儘部屋を出て行く
ごくり、と
独り残された小十郎は喉を鳴らし生唾を飲み込んだ
此方を睨む隻眼はまるで竜の様に鋭く、息を吸う事すら許されぬ様で
足音が遠ざかるのを確認し溜息と共に身体から力が抜けた
成長したとは言え、政宗はまだまだ子供なのだ
性格もあるかも知れない、だがあの儘では容易く寝首を掻かれる
一国を担う者として、天下を狙う者として、何事にももっと慎重になるべきだと
考えるも口に出さねば相手に伝わらぬと思い返し小十郎はふるふると頭を振った
「眼を覚まして下され、政宗様…」
祈る様な、願う様な言葉は広い部屋に木霊し溶け
外は既に夕闇が広がり約束の時間が迫っている、己が言えるのは此れだけだ
脱力した身体に鞭打ち襖に手を付きながらゆらりと立ち上がる
先の政宗の切なげな顔が浮かび、そして其の前に見せた凶悪な微笑が頭を過る
互いに仕掛け合う罠が何なのか、思案するも解る筈もなく
再び額を押さえれば溜息と共に呟きが零れ落ちた
「そんな処は母子共にそっくりなんだが…」
だだっ広い広間にて、三人だけでの夕餉が静かに始まった
斜め横に母、向いには昼間言葉を交わした小次郎が座って居る
手元には膳が置かれ、乗せられた御飯や汁物からは湯気が立つ
「……」
嬉しく思うも同時、久々過ぎる母との時間に政宗は何を口にすれば良いか解らなかった
どんな話をすれば母は笑うのか、
どんな話をすれば母は好きになってくれるのか
黙々と食事を口に運びながらも頭の中では必死に言葉を探す
そんな政宗を察してか義姫は柔らかな笑みを向け徳利を持ち上げた
「さ、政宗…」
酌をする母を止めようとするも既に時遅く、盃になみなみと酒を注がれていた
何事も完全無欠な政宗だが実の処酒には滅法弱い
徳利数本ならば酔い潰れる事もないが緊張している為酔いが早いかも知れない
何とか断ろうとする政宗ににこりと小次郎が微笑んだ
「大丈夫ですよ兄上、城に在る中で一番弱い酒です」
「あ、嗚…だが…」
「それに折角三人で夕餉を頂くのです…ね?」
己の盃にも酒を注ぎ眼の高さ迄持ち上げる
暫し渋っていた政宗だがとうとう折れ、同じく盃を掲げふっと笑みを漏らす
其の儘二人盃を口へと運びゆっくりと傾けた
小次郎は一口も喉へ通さず盃を置けば兄に視線を向ける
政宗が喉を上下させるのを見て、義姫は一層笑みを深めた
「……っ、…!」
政宗の身体がビクリと揺れ手にした盃を強く床に投げ付ける
胸元が熱くなり圧迫される様な感覚に目眩がし、
ごぽ…と音を立て口から飲み込めなかった酒が溢れ落ちた
ギリギリと真新しい畳に爪を立てる
苦しさと痛みに涙が滲み視界を遮る、恐らく目の前には母と弟が居る筈
だが二人は一向に人を呼ぼうとも駆け寄ろうともしない
ぼんやりとしながらも嫌な予感がし、畏怖と阻喪に力無く蹲り何度も嘔吐を繰り返す
くつくつと笑う義姫は暫し其の様を見下ろし、満足した様に軸を返す
廊へ出る襖に手を掛けた、刹那
首に触れる冷たい感覚にぴたりと動きを止める
ゆっくりと、刃先に触れぬ様に振り向けば刀を向ける小次郎が此方を見据えて居た
「何を…しているのです、小次郎…」
未だ後ろで噎せ返る政宗を庇う様な其の姿に思考が途切れる
確かに小次郎は己の味方だった、此の計画にだって喜んで頷いた
何より今迄寵愛し育てて来たのだ
愛され敬われる事は有れど恨まれる事等ある筈が無い
ふっと、微笑み向ける小次郎に気付き俯けていた顔をゆっくりと上げる
眼の前に在る笑みは“何時もと同じ”笑顔だった
「Poor thing... 小次郎は何時だって兄上の味方でしたよ?」(可哀想に…)
小次郎の言葉にふと、今日迄見て来た笑顔が頭を過る
確かに柔らかな笑顔だった、だが其れは本当に己に向けられたものだっただろうか
小次郎の眼は何時だって己では無い、ずっと遠くを見詰めていたのではと
瞬間ぞくりと悪寒が走り身体を硬直させる
小次郎の笑顔の後ろ、弟と同じ鳶色の隻眼が義姫を射抜く
其れは初めて息子から感じた脅威
唾液で濡れる口許も其の儘に政宗はずいと一歩前へ出る
相手が近付く度に義姫も同じだけ後ろへと後ずさる、が
背後には壁が迫り此れ以上逃れる事は出来ない
鼻先が触れ合う距離迄近付いた政宗はにぃ、と口許を歪めて見せた
「アンタに俺は殺せない…勿論、小次郎を傷付ける事も許さねぇ」
「な…ぜ、死なない、あの毒で死なぬ訳が…!」
腰を抜かしずるりと其の場にへたり込む義姫をじっと見下ろす
動揺し声を荒げる母に艱苦を滲ませた表情をし政宗は舌打ちした
二人の様子を黙って見て居た小次郎がゆっくりと近付き、母の前に膝付けば視線を合わせる
そして懐より懐紙に包まれた粉を摘まんで見せてやる
「残念でしたね、“あれ”は小次郎が処分させて頂きました」
手に持つのは先程兄が飲んだ薬---と言っても毒でもなければ身体に害が有る訳でもない
唯少しばかり癖の強い物で、量に寄っては嘔吐や腹痛を引き起こす事がある
其れを使い恰も母に渡された毒を飲んだ様に見せ掛けたのだ
くすくすと可愛らしく微笑む弟に盛大に溜息を漏らし政宗は己が投げた盃を拾い上げる
薄らと残る粉を指に擦り付ければずいと小次郎の眼の前に突き出した
「こんなあからさまな毒殺は初めてだ、ちぃとばかし量が多いんじゃねーか?」
「毒殺だなんて物騒な、此れもまた計略の一つです」
「Oh... 昔はあんなに可愛かったのにな」
態とおどけて言って見せれば普段と変わらぬ笑顔で「そっくり其の儘御返しします」と言ってのける
二人の和やかな様子を暫し呆然と見て居た義姫だがやっと状況を理解したのだろう
顔を袖で隠し小刻みに身を震わせる、口許の笑みからして泣いて居るのでは無いと解った
一頻り笑い終えたのだろう、顔を隠す手を退けると同時、
遠くからドタドタと足音が近付いて来て勢い良く襖が開いた
「政宗様!!」
「小次郎様…!」
似た様な容姿の男二人が転がる様に駈け込んで来て其の場に居た三人は唖然とする
己の主の姿を確認すれば男二人は安堵する、が
はっと思い出した様に各々の主の元へと駆け寄り腰の刀へ手を伸ばす
小十郎は政宗を庇う様に、は小次郎と義姫を庇う様に
ちゃきりと音を立て互い獲物を相手へと向け合う、見据える瞳は真剣其の物で
正に一触即発の状況にも慌てる事無く政宗が手を上げ制止する
続けて其れに倣う様に小次郎も手を上げを制止させた
「小十郎、行き成りだがこいつを俺の家臣として迎える」
「なっ…何を仰ってるか解っているのですか!?」
「Of course. でもって今からこいつは“小次郎”じゃなく“”だ、Okey?」(勿論)
政宗の言葉に今度はが驚いた
何を言って居るのだと食って掛かろうとするも再びに止められ渋々身を引く
義姫に至っては先の会話から全てを汲み取ったのだろう、何も言わず唯じっと成り行きを眺めて居た
ついと、が政宗の前に正座し深々と頭を下げると其の様子に政宗は僅か顔を歪めた
幾ら互いに話し合い決めた事とは言え政宗にはやはり多少異存が残る
実弟であるを表向きにとは言え家臣と位置付ける事、
本人は気にして居ないと言うが半ば無理矢理に名を変えさせる事
そして何よりも心残りは---
「そう言う訳ですので母上、
申し訳有りませんが此れ以上共に在る事は出来ませぬ」
率直に言えば此の城を出ろと言う事で、無論小次郎派だった家臣達も全て出て行かせる事となる
だが其れは同時にを孤独にすると言う事でもあり
話し合いをした時は快く其れを受け入れた、とはそう言う人間だと政宗も知って居た
しかし今まで嫌悪し敵対していた者達が果たしてを受け入れるのだろうか
そんな政宗の考えを遮る様に声が掛かる
「政宗様、兎も角今は此の騒ぎを鎮めましょう」
小十郎の言葉に周りに居た皆がこくりと頷く
先程迄の騒ぎで城の人間たちがざわめき立っているらしい
考えて居ても仕方が無いのだと、己に言い聞かせ政宗は広間を後にした
早朝、未だ陽の昇らない時刻に城門前には政宗達の姿が在った
荷を纏める義姫に声を掛ける事無くじっと見詰めるに気付きながらも、
政宗は声を掛ける事が出来ずぐっと唇を噛み締める
とても少ないとは言えない家臣や女中達を連れ義姫は用意された籠に乗り込む
ちろりと此方を見やり笑みを向ける、其れは純真な微笑みで
「なぁ、」
遠ざかる一行を見詰めた儘政宗が名を呼ぶと同時、何かを投げ付けられる
咄嗟の事だったが何とか其れを受け取り視線を落とせば一本の刀が在り
よくよく見れば其れは部屋に置いて来た筈の己の愛刀で、
隣に居たは驚き眼を見開いて居る
「もしあの人が心配なら付いて行け、俺は止めねぇ」
「兄上?」
真剣な眼差しで己を見据える兄にはそっと瞳を伏せる
頭を過るのは母と過ごした今日迄の日々
だが己が心より渇望して止まないのは何か、は知っていた
ふっと、何時もの笑みを漏らし刀をに押し付けると軸を返し城へと歩き出す
僅か反応が遅れるも其の意味を理解し、くっと喉で笑えば政宗も後を追う
残された小十郎とは暫し呆然とした後慌てて各々の主人の元へ駈け出した
「Hi! 、お前の言葉が聞きたいんだがな?」
「解り切っていらっしゃる癖に、兄上は中々に性格が悪いです」
「お前程じゃねぇよ」
くすくす笑う相手を見れば政宗の中に在った不安は薄れ行き、
己もまた釣られる様に笑いぐいと肩に腕を回す
こうして心から笑い合える日が来るとは露とも思わなかった
そしてふと己の大望を思い出す
天下を手にする其の時もまた、誰よりもに傍に居て欲しいと
彼方迄広がる蒼穹を見上げ、呟く言葉は隣に在る政宗にのみ届いた
「兄上、も其の右眼の様な誇り高き傷が欲しゅう御座います…」
09.1.13
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