和敬公主府

これはどういうところなのか全然わからないで行って
結局全然わからないまま帰ってきたところです。
(前置き)

和敬公主というのは誰かといいますと、清の乾隆帝の三女で、
乾隆十二年に「蒙古科尓沁輔国公布騰巴勒珠尓」
(読めないよー、誰か教えてー)
(16歳くらいで)結婚した女性です。

公主というのは厳密に言うと「=皇帝の娘」ではありません。
皇帝の娘さんが結婚した際に封ぜられる地位のことです。
つまり未婚だと公主じゃないわけです。少なくとも明清では。
よく小説なんかでは間違って使われてるようなので…。

で、結婚すると、公主には生活費を納めてくれる湯沐の邑
とうもくのゆうという一種の領地と、
住まいとして京師のどこかに公主府が与えられます。
(とゆうことは通い婚…?)
と、言われているんですが史料がほとんどなくて実態がつかめない部分が多いので、
「何かわかるかも」とかなり期待して見に行ったのでした。

が!!

行ってみると、確かにそういう建物はあるものの、
入り口が開いておらず、誰かに聞こうにも誰もおらず。
(誰かいても言葉わかんないけど)
結局周りをうろうろして写真何枚か撮っただけに終わってしまいました。
何で??
入れないの???

 

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  公主府の壁

どうやら縦長の敷地らしいということはわかる程度の眺め。中はさっぱり見えず。
それにしても、女性の府第らしく、優雅で優しい雰囲気のつくりになっています。中はさぞかしきれいなんでしょう。この写真だと全然わからないんですが、窓に嵌め込まれた桟の模様(右隅にちょこっと見えてる窓の模様)が全部違っているんです。すごく芸が細かくて感動しました。
(こちらの写真ならわかるでしょうか
この壁は100m以上ずっとこの調子で続いていて、扉などは一切ございませんでした。
     
  入り口

朱塗りが美しいです。もともとこうだったのかはわかりませんが。額にもズバリ「和敬公主府」とあります。
が、扉は閉まったままでした。入れて欲しかったなぁー。
扉の取っ手は写真とり損ねたんですが、ライオンさん、じゃなくて獅子が輪っかをくわえてるやつでした。
ほんとはもっと写真も撮りたかったんですが、この入り口が面してる道は結構な大通りで、バスやら車やら通行人さんやらがガーガー通ってるのでちょっと恥ずかしかったんです(←小心者)。
     
  入り口脇の装飾

石彫りです?コンクリートのようにも見えます。よくわかりません。
でもなかなか華麗で、傑作とは言えませんがそれなりに美しかったので、通りすがりの人にジロジロ見られながら写真撮ってきました。
こういう家に住んでみたいですねえ。
ちなみにものの資料によると、正門に続いて正殿、後殿、後寝、後楼と、左右の配房を備えているそうです。見たいよー。