西便門城壁

北京城内城の西南角に近い位置にあった城壁です。
周囲24kmのうちで唯一残されている城壁(の一部)だそうです。
このような磚城(レンガを積み上げて造ったもの)になったのは
明の六代皇帝英宗(十五世紀半ば)からだそうですが、
その時からのものであるなら550年。
立派なもんです。
今は150mくらいしか残ってないので残念です。

地下鉄で「長椿街」駅から行ったんですが、
駅からほんの何百メートルのところにあってすぐ目の前に見えてるのに
立体交差の中心の島にあるもんだからどこからも入れず、
唯一入り口っぽいのがあったけど針金で締め切られてたし、
(人がいるからぜったいどこかに入り口があるはずなのに)
車がガーガー走って空気が悪そうな所をぐるぐる回った挙句、
9月下旬だってのにスプリンクラーの水をびしゃびしゃかけられた。
ブルーになって諦めて帰ろうかなと思ったくらいで。
根性で入り口を見つけたときは「勝った」と思うと同時に空しかった。
(結局入り口は駅からは一番遠いところだった)

 

『明北京城復元図』より。丸印は余花さん
あれ?

『西便門城壁』と呼ばれていますが、それにはちょっと疑問があります。
西便門というのは明清北京城の外城にあった門の一つで、正陽門(前門)のほぼ真西、北に向かって開く門でした。つまりその城壁は東西に短く伸びています。
で、実際行ってみると、今『西便門城壁』と呼ばれてるのは南北に伸びていました。なんかおかしいです。
でもって西便門のある外城の城壁は高さ約6m、基底の厚さ約6m、壁上の厚さ約4.5mだったそうですが、写真の通り(わかるかなぁ)どう見てもそれ以上の規模があります。だったら何なのよと言いますと、むしろ内城の城壁ではないかと思うのです。
内城の城壁は高さ約10m、基底の厚さ約20m、壁上の厚さ約17mだそうですから、規模としてもこちらに近い感じです。また、現在の地図上の位置から考えても、やっぱり左の図で丸をつけたあたりの内城の城壁なんじゃないかと思います。まぁ、西便門
に一番近い城壁ってことで……。

 

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  馬面

城壁に一定間隔で設けられていたという馬面です。一直線の城壁からところどころぴょこっとはみ出してるあれです。なぜウマヅラなのかはわかりませんが、もちろん防衛のための設備です。城壁によじ登ろうとするのを横から攻撃するため……だったでしょうか。
上に箭楼が設けられています。下から見上げるとなかなかです。(下から見上げるだけなら)
屋根の上にからまってるように見えるのは、天安門などの例に漏れず、ライトアップ用の電飾です。
     
  城壁(西外側)

西の側。つまり外城側から見た城壁です。結構な高さがあります。
建築美です。これが延々何キロもだーっとあったかと思うとぞっとします。万里の長城みたいにうねうねしてるわけでもないし。
外側なのでちゃんと女牆(足元の敵を射る為の穴)も開いています。二つ下の写真にある排水溝は城内(東側)に開いてるんですが、そちらは女牆とかは当然ないです。
     
  登城口

城壁上に登るための階段です。柳の向こうで蔦に埋もれてるもんだから最初はちょっと怖くて、しかも何だか登ったらいけなそうな雰囲気だったのでとりあえず周りをまわる事にしてみた、蟻の心臓。そのうち上に誰かがいるのが見えたので、とりあえず登れるのは判明。思い切って登ってみると、なんとそこには!
     
  排水溝

すみません、排水溝です。
内城側の方にだけあります。なぜかとゆーと、城壁上に登って真横からよく見てみると、足元が微妙に、内城側に傾斜しているのがわかります(3つ下の写真でわかるでしょうか)。つまり雨水とかは自然と内城側に向かって流れるようになっているのです。ゆえに内城側にしか排水溝がないのです。賢いです。
あと壁の高さも外城側と比べて半分くらいしかありません。北京城内の街の様子がよく見えたことでしょう。右手奥に「長椿街」駅があります。
     
  馬面の箭楼

悲しくなるので見ないほうがいいと思うんですが、お見せしないわけにもいかず……。
何でしょうね、これ。実を言うと、この城壁自体もほとんど蔦に覆われてしまっているし、入り口は
だし。ありがたみのかけらもないです。ちなみに箭楼の中はカギがかかってて入れませんでしたが、隙間から覗いたところ、プールとかによく置いてある白いデッキチェアーが転がってました。とほほー。
     
  馬面箭楼の屋根

建物自体、実用に供されたものですが、それなりに装飾的なところが憎いです。電飾がなければもっと美しいと思うんですけど。磚の風化した色合いと窓枠、扉の朱がなぜか合うんですよね。不思議なものです。中国の独特な色彩感覚には目から鱗がぽろぽろします。
     
  城壁上

結構広いです。当時はこれだけの高さの建築物なんてそうそうなかったでしょうから、眺めもよかったんだろうなー。
正面で行き止まりになってるように見えるのは、階段があるためです。一応西(左手側)のほうに2mくらいの狭い幅で向こうに続いてます。
ところで、もうお気づきと思いますが、人がいません。観光用に整備されてるとは言い難いですし。周りは一応小さな公園みたいになってるんですが、地元の人がのんびりしに来てるくらいで、余花さんカメラ出すのが恥ずかしかったくらいです。あんまり知られてないんでしょうか、ここ。
     
  城壁(東内側)と排水溝

柳が風情です。4倍ズームで撮ってこれですので結構な高さがあります。城内の側からですので女牆はありません。
古い地図だとこのへんは池があったり草場(かやばを置くところ。冬寒いから)だったりしてるので、あんまり栄えてるところではなかったようですが。
ちなみに真ん中の棒は電飾を張るためのものです。