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おっきいのちょうだい

 情けない話だが、ちらりと目をやった瞬間からその瞳に縛りつけられた。濡れ濡れと光る黒曜石の瞳。けぶる長い睫毛を見せつけるような上目使い。目が合ったのを十二分に承知して、ゆっくりと繰り返されるまばたき。目尻がピンク色に染まっているのがはっきり見てとれた。目が離せないなら離せないで、思いきり睨みつけてやったんだが相手はくふ、と喉の奥で笑いやがった。
「何の用だ」
「わからない?」
 わからないわけがあるか。お恥ずかしながら奴のその声だけで俺の心は陥落しかけたね。なんだこのベルベットの声。それでもプライドにかけて、最大限の努力で目をそらそうとしたら今度は俺の首筋に唇をよせてきやがった。
「よせ」
 一歩離れてはみたものの、俺の心陥落。それでも虚勢を張るのはさんざん振られた身としては当り前だろう? でも優美に伏せられた柔らかそうな瞼からは結局目が離せなかったあたり、情けない。
「今更、何の気まぐれだ」
「……気まぐれな女は、いや?」
 はい俺の身も陥落。濡れた瞳で小首傾げられてみろ、誰だって陥落するから。俺は、わざと唇ではなく鼻先で奴の頬を撫でた。すぐに向こうも鼻先で俺の顎のラインをなぞってくる。唇だけは避けて、吐息を言葉の代わりに、鼻先を指の代わりに互いの輪郭に、首筋に触れていく。
「……いやでは、ないな」
 形の良い耳を丹念に鼻先で探りながら囁いてやると、白い喉元が弧を描いてのけぞった。一旦長い睫毛に凍りついた互いの吐息が、奴の熱で溶けて煌いていた。
「……しいの」
「聞こえない」
「ほしいの、あなたの……おっきいの、ちょう」
『あそこにいる、一番体のおっきいのちょうだい』
『はいはい、あれはきっと良く走りますよ』
 だあああああこの、このタイミングで邪魔が入るか! 発情期に、唯一俺様に靡かなかった奴がたまらん匂い振りまきながら俺に首を絡めてるんだぞ! せめて終わってからにしろ、このクソデブヒゲじじい!!

 まあそれでも、ソーセージにならないだけマシかと俺はドナドナ買われたわけだ。新しい牝に会えるかもしれないし、まあいいや、とな。それがおい、居たのは俺と同じくらいか俺よりでかい牡ばかり。しかも。
「やあ、よろしく新入りくん」
「やりがいのある仕事だよ、子供たちに夢を配るんだからね」
「がんばろう!」
 ……こいつらやばいクスリでもやっとんのか。瞳孔開いてないかおい。怖い、こいつら怖いよ! 女っけのまるで無いとこで夢とか爽やかなマジ顔で言ってるよ! どこの聖者だよ!
 もっと正気を疑うのがそのスケジュールだ。荷物満載のくそ重い橇ひいて一晩で世界中周れだと? 動物愛護団体は何をしている、鯨よりも世界的に有名な動物虐待だろうが。
「ペース配分に気をつけてね!」
 やかましい。立派な牡がタマ抜かれたような笑顔で……笑顔で?
 ちょっと待て、こいつらなんで今の時期にまだツノがあるんだ。女がいないからかとも思ったんだが、なんだか……なんだかこいつらみんな妙に子供っぽくないか? んで、妙に内股で……タマ、まじで抜かれてる、の、か?
 俺の恋路を邪魔したクソハゲヒゲデブじじいが『ホーホー』笑いながらやってきた。右手にぎらぎら光るナイフを、左手に不気味な箱を持って。
『さあさあ、新入りくん、そのおっきいのちょうだいしちゃうからねえ』

――終――

初出 2006年12月19日
少々改稿 同月21日
オチ改稿 同月24日
井上斑猫


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コメント:「御茶林研究所」2006年12月13日の雑記にて、
茶林さんが飛ばされた檄に応えてしまった作品。
提唱されたお題はクリスマス作品でタイトルが「おっきいのちょうだい」。
他のタイトルの方が相応しいものになってしまったような。

トナカイの生態を調べずに書いた部分を手直し。
ツノが年に一回生え替わるのをすっかり忘れていた。
牡のツノが落ちるのは十二月、
しかし殆どは発情期(秋)の喧嘩で落ちてしまうのだそうな。
後半に出てきた爽やかくんたちにはまだかろうじてツノがあるという設定です。

24日付記:アップ後三里さんより「サンタクロースのトナカイは去勢された牡」
説を教えていただき、改稿への誘惑に負けてしまいました。