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講話集 日曜日の糧




謝り合う心 赦し合う心

司祭 川井  啓
あなたの一分間拝借!(2012.2.1)より転載
  

2月の目標

謝りあう心、赦しあう心の育成に励みましょう

人間性教育のテーマは生涯の教育課題です!


 「福は内、鬼は外」と豆をまく節分の儀を迎える2月です。今月の心の教育目標は、「謝り合う心、赦し合う心の育成に励みましょう」です。
 「謝ること」「赦すこと」は、大人にとっても子どもにとっても難しいことです。特に「ごめんなさい」ということほど難しいことはありません。自己中心的であればあるほど、口から出にくい言葉ではないかと思われます。
 「謝る」こと、それはお礼の意味合いも含まれている美しい言葉であり、行為であると思います。自分の失敗に対する温かい注意に感謝の気持ちが表れてこそ、本当に「済まなかった」という気持ちが生かされます。そこには前より一層豊かな人間関係が生じ、後々まで忘れ得ざる思い出として刻み込まれるものです。まさに「幸いなるかな、失敗、罪よ!」 という言葉の深層が見えるのではないでしょうか。もし失敗がなかったならば、友との絆は深められなかったでしょう。自分から過ちがあったら、お先に謝ることの大切さを目覚めさせてくれます。
 私にも小学校時代に体験した思い出があります。戦前、中学校は義務教育ではなく入学試験を受けなければなりませんでした。当時は、今のように塾と言う代物がなく、みんな放課後の教室に居残り、夜の9時頃まで受験のために特別教育を受けさせられたのです。教師も自分のクラスから何人が合格するか必死だったようです。そんなある日のこと先生が『今日は、先生は研修のため出かけるから自習しなさい。』と言い残し、出かけてしまいました。最初は皆まじめに勉強していましたが、だんだん時間がたつにつれ、各自自由勝手なことを行い、果ては廊下に出て相撲取りまで行い、てんやわんやになり、勉強どころではなくなりまし。そこへ先生が突然帰ってこられたのですからたまりません。要領の良い人は皆コソコソと教室に入り前より勉強していた振りをしていたのですが、私にはどうも納得できなかったのです。私を含めた3人組は正直にありのままを話し、特大の往復ビンタを頂戴したわけです。今でも忘れることができない思い出の一つとして心の糧になっております。
 人生の歩みには、失敗、行き過ぎ、躊躇、責任転嫁等々いろいろありますが、大事なことはいつも自分に正直であること、勇気をもって謝りあうことではないかと思います。「謝」の字が心の奥底にしっかりと生かされていれば、自然に道が開かれてくると信じます。「1人の改心は、改心を必要としない99人の義人の存在より天においてはその喜びが大きい」というイエスのみ言葉を心に銘記し、自己刷新の力にしたいものです。
 また、「赦し」という言葉についても「与」と同じ意味合いがあることを漢和辞典と友達になりながら解り、すごく感動しました。「与」は「あたえる」のほかに、くみする、なかまになる、共に行うという意味があると明示されていたのです。まさに「赦し」の深層を表しております。
 罪を犯した人のために、その改心を祈り、自分の全てを与えることが本当に「赦し」を証明したことになると聖書は全人類に啓示しています。イエスは十字架上の苦悶のうちに、自分を辱め犯罪者扱いをした群集の罪の赦しを父である神にお願いしています。この模範こそが赦しの最たる極みではないでしょうか。
 神の恵みと助けがなければ、このような「赦し」すなわち「与」の実践はできそうもないことだと思いますが、できるだけ祈りつつ、イエスの「赦し」の模範に近づく努力を積み重ねながら2月の目標実行にベストをささげましょう。

 父なる神は、あなたが人の過ちを赦すように、あなたの過ちを赦します。あなたが人の過ちを赦さないなら、神もあなたの過ちを赦しません。(マタイ6の14 )

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