225日目 226日目 227日目 228日目

No.228: 室内楽・オペラ座 (2007.5.6)

きょうは、夕方から室内楽の練習へ。
室内楽の先生には、ずっと「真面目で平板すぎる」と言われ続けているので、今度のレッスンこそは先生をおもしろがらせるような演奏をしてやろうと意気込んで、ああしたいだの、ここはこうしたいだの、ひとりでしゃべり続けてしまう。(ほかの2人、遠慮しているのか、いつもおとなしい。)

その後、ガルニエのオペラ座に室内楽のコンサートを聴きに行く。どんな感じでアンサンブルしているのか、ちょっと参考にしたいと思って、チケットを買っておいたやつ。
メンバーは、いつも聴いているパリ・オペラ座管弦楽団の団員で編成されている。

プログラムは、フォーレのピアノと弦楽のための四重奏曲2番、フランクのピアノと弦楽のための五重奏曲2番サン=サーンスのトランペット・ピアノと弦楽のための七重奏曲。

前から数列目の真ん中の、かなりいい席だった。
いつもバレエのときにオーケストラが入っているオーケーストラ・ピットがせり上がって舞台になっている。

いざ演奏がはじめって見ると、メロディーも響きも重い!
重いといっても、いつものバレエのときの演奏と比較して、という意味なのだけれど、常にヴィブラートがかかっていてエネルギッシュに弾いている感じの・・・、つまり、日本でよく聴くタイプの弦楽四重奏、という感じ。
演奏はうまくて、べつに何の文句のつけようもないんだけど、特別な新鮮さのようなものは感じられなくて、ちょっと残念。(でも、これは、かなり贅沢な残念だと思うけど)
いや、でも、ぼくは、いつものバレエのときのちゃらちゃらした演奏の方が好きだなぁ・・・
ちゃらちゃら、というと御幣があるかもしれないけど、とにかく、優れた演奏技術を持った演奏家をあれだけ大人数そええて、それで軽くて薄い音楽をさらさらやってるってところが、なんとも贅沢な光景なんだよなあ。(本当は、上手いからこそさらさらやれちゃうんだけど。)

ああ、でも、サン=サーンスのトランペットの七重奏曲は、めずらしくて、おもしろかった。
トランペットで、こんなに柔らかくてデリケートな表現ができるんだねー
ちなみに、トランペットは、演奏中の挙動がすれてない感じの、若い男の子。

さて、試験もいよいよ残すところ数日となったし、人の演奏をどうこう言っている場合ではないな。自分の演奏をなんとかしなきゃ。



練習に、シテ・デザールに向かう途中。歩道沿いにバラがいっぱい。


カーテンコール。
いつものオーケーストラ・ピットの上。


帰り。オペラ座の大階段の上。

225日目 226日目 227日目 228日目

No.227: メロディーライン (2007.5.5)

きょうは朝の10時から練習をはじめて、なんだか夢中になって吹いているうちに6時半になってしまって、それからあわてて洗濯と買い物に行く。

* * *

音楽の流れには、ひとつのメロディーにつき一箇所、そのメロディーをささえている「重心」のようなものがある。
それは言葉で定義することができないようなあやふやで感覚的でなものなのだけど、でも、演奏家は、それをもとにメロディーラインを作っている。みんな「それ」をそれぞれ勝手に自分の言葉で呼んでいる。ちなみに、音楽院のフルートの先生は、単純に「重要な音」という言い方をしていた。

昨日、室内楽の先生が、その、自分が「重心」だと感じている音に対して、「降りて!(Descendez !)」と言っていた。 ・・・降りる? 支えるのでなくて、降りる???

* * *

一昨日のフルートのレッスンが終わったとき、先生が冗談めかして、「ちゃんと自分のビデオを撮ってきなよ!」(演奏中に動くなよ!の意)と釘をさしていたので、きょうの午前中、自分がどういうときにどういう動きをしているのか観察していた。
どうも、「重心」の箇所で、踏ん張るような動きをしているようだ。
実際、長い濃厚なメロディーを支えるためにはかなりのエネルギーが要るので、そういう箇所は特に踏ん張っている。
それで、その踏ん張りを打ち消すために、逆に軽く浮き上がるようなイメージをしてみたり、いろいろ実験をしているうちに、突然、室内楽の先生の「降りて!」という言葉が頭に浮かぶ。
そして、それと同時に、空中高くから舞い降りて、また軽やかに空中に飛び立って行く、オペラ座バレエのダンサーの映像が目に浮かぶ。
着地の瞬間に自分の全体重を支えながらも、まるで体重存在しないかのように軽々と滑らかなラインを描いて空中を舞い続けるダンサー!
そして、その瞬間に、フルートの先生の「もっとシンプルに!」と「ビデオ!」と、室内楽の先生の「もっと命を!」と「降りて!」が、すべて矛盾なくひとつのものにつながって・・・
そして、それがきっかけで、なんとも軽いメロディーラインが(まだ短い時間しか持続しないけど)作れるようになって、それで、夢中になって吹いているうちに夜になってしまったのだった。



あわてて洗濯&買い物に行く途中のサンス館。
花が咲き乱れている庭で、なんとも気持ちよさそう!

225日目 226日目 227日目 228日目

No226: 室内楽のレッスン (2007.5.4)

きょうもまた、えらく長い時間眠り続けてしまって、大量の夢を見る。
夢占いというわけでもないけど、ぼくの場合、未来を予知するような夢をよく見て、それが普通に実際に起こることが多い。
たわいのない、現実とのささいな偶然の一致みたいなのが多いけど、夢のおかげで危険を回避できるようなこともよくある。また、回避できないものもあって、その場合はそういう事態を自分が受け入れる心の準備させるような性格の夢もある。
夢の中に先生が出てきて、いろいろな音楽的なアドヴァイスをくれることもしばしばある。
昔からそうで、そういう夢は、実際にいろいろと役にたつ場面が多い。

予備選抜試験に関しては、正直言って、客観的に見てなんの問題もなさそうな感触をもっているのだけれども、なぜか、夢の方はあまり楽観的な予想をしていなさそうな雰囲気だ。

それはともかく、きょうは室内楽の練習に出かける。きょうは、いつもよりだいぶ遅い時間。
ここのところ、音楽的に、ひたすら軽く、薄くしているのだけれども、室内楽のレッスンでは、逆に内容の薄さを指摘される。
「確かに完璧なアンサンブルだけど、真面目で平板すぎる! もっと命を! もっとファンタジーを! もっとクレイジーに!」というかんじ。
なかなか一筋縄ではいかないようだ。
ああ、でも、この室内楽の先生のレッスン、本当に好きだ。

手帳を見てみたら、予備選抜試験の日にちもせまり、レッスンも過密になってきて、なんだか大変なスケジュールになってきた。



サル・コルトーの、音楽院に面した小さなスペース。
自販機があり、いつもここにいろんな学生がだべっている。
(きょうは、もう遅いので、だれもいない。)

225日目 226日目 227日目 228日目

No.225: フルートのレッスン (2007.5.3)

きょうは、ひさびさに昼過ぎまで20時間ほど眠り続けて、そのあと、寝すぎてぼーっとした頭のままフルートのレッスンに出かける。(きょうはめずらしく夕方からのレッスン)

一昨日だったかの夢、やっぱり正しい指摘をしてくれていたようで、きょうのレッスンでは音楽の重さを指摘される。(これでも、だいぶ軽くしていったつもりなんだけどな。)
「重い」という言い方でなくて、「込み入りすぎている(Trop comploque)」、「シンプルに」とおっしゃっていたが、つまり、音楽的な表現を詰め込みすぎなので、さらっと単純に吹くように、ということのようだ。
なんというか、きちんと技術的なところを押さえて、あとは音楽的にきれいに吹いてしまえばそれでいい、というようなかんじなのかもしれない。
ああ、そういえば、こちらの音楽や美術を見たときも思ったが、単純で分かりやすくてシンプルに視覚や聴覚に訴える、というのは、なんとなくこちらの芸術の根底のひとつとしてあるような気はするな。

日本人の芸術のひとつの価値観として、芸術の深遠さや、表現の奥深い複雑さ(それらは一般に対する難解さにつながりやすい)を評価するようなところがある気がするが、そういうのは違うようだ。
そういえば、昨日読んだロラン・バルトの本にしても、なんとも重々しくて晦渋な(この「晦渋」って言葉自体も晦渋だなぁ)邦訳がつけられていたんだけど、原文のフランス語はもっとシンプルな文章なのではないかと勝手に想像している。でも、平易な文章だと、日本では軽くみられるんだろうな。

それから、日本人、なにか大事な事にあたるときは「えいっ」と気合を入れるというか、(たとえば剣道や戦争やらにしても、まずは「精神」やら「気合」のようなものがあるというか、)そういうのが潜在的にある気がするが、そういうのも違うようだ。

あとは、演奏中に動くな、と言われた。

帰りのメトロで、たまたま同じクラスの台湾人の女の子と出くわして、「あなたは、すごく勉強してて、とても音楽的に吹くことができて、すごいよ!」などとほめてくれて、そのあと、「日本と台湾は近いし、お互い、どっちかの国に旅行する機会があったらまた会おうよ。」みたいな話をして、メールアドレスを交換して別れた。



音楽院の入り口。パリの扉、どこもでかくて重い。

225日目 226日目 227日目 228日目
目次に戻る