◆ No.212: バレエ「シンデレラ」 (2007.4.20) ◆
オペラ・ガルニエで、プロコフィエフの「シンデレラ」を見てきた。振り付けはヌレエフ版。
「シンデレラ」といっても、ヌレエフ版のは、おとぎ話そのままのシンデレラではなくて、いわゆる(当時の)現代版シンデレラストーリーのようなもの。
今回は、どちらかというと音楽を聴くのが目的で行ったのだけど、この演奏が期待以上によかった。舞台装置も驚くほど素晴らしかった。じつは、踊りの方はあんまり期待していなかったのだけど、これもよかった。(以前ビデオで見たときは、ヌレエフの気負った感じのガサガサした「モダン」な振りに、あまりいい印象を持っていなかった。)
プロコフィエフ、ヌレエフともに、ロシアで生まれて亡命した、という共通項を持っている。
そのせいか、ぼくにとっては、プロコフィエフ、ヌレエフともに、精神や肉体の極限を求めるような技巧性がなんとも息苦しく、そういう部分が、正直あまり好きでなかった。・・・なんというか、「ソ連」とか「革命」とか「戦後」とか、そういうキーワードが思い浮かぶような、そういう息苦しさだ。
ところが、今日聴いたプロコフィエフは、なんとも甘いメロディーと響きの、うっとりするようなプロコフィエフ。ヌレエフの振り付けによる踊りからも、あの息苦しさは感じられず、なんとも楽しく、しっとりとした美しさをもったものだった。
数十年前には前衛であった、この音楽も、踊りも、もう十分にこなれて古典になっているのかもしれない。あのころの時代の匂いも、なんだかレトロなパロディーのように、軽く取り込まれているようにさえ見える。
そして、音楽も、踊りも、恍惚とするほど美しいと思える瞬間は、古典的な美しさの要素を含んだ部分だった。そして、それは、ぼくにとって、おどろくほど新鮮で美しく感じられたのだった。
この、伝統的な美しさを持ったオペラ座で、もう古典の仲間入りをしようとしている「シンデレラ」をみて、そして、・・・ぼくは、いままで、ひたすら新しいものを作ろうとしてきたのだけれども、こんど日本に帰ったら、一度、真正面に古典的なクラシックの演奏会をやってみたいな、などと思ったのだった。
恍惚とするほど古典的な美しさの均衡のとれたクラシック。そういうの。
オペラ座入り口。なんだか、いろんな人がたむろしている。
入り口の大階段。
あちこち歩き回ってみると、いたるところ、めまいがするほどの華やかさ。
華やかな装飾、このあたりまでは素直に感激、という感じだが・・・
ここまで金ピカのテンコ盛りにして、悪趣味な感じがしないのが不思議だ。
クリムトみたいな、悪趣味の一歩手前のきわどい美しさというかんじか?
金ピカのテンコ盛りと、シャガールの天井画のコントラストが、これまた絶妙。
なぜミスマッチングな感じがしないのか不思議だ。
カーテンコール。
たくさんの舞台転換があったのだけど、本当に素晴らしい舞台装置だった。
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